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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:詩人・作家・画家・芸術家( 35 )

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 わあ!何と今年最初の投稿となります。いつも気にかけてくださっている皆様、ありがとうございます!年末年始とバタバタしており、確定申告も終えましたので、そろそろブログの更新ものんびりですが頑張ろうと思います。お正月の初詣の折のおみくじに書かれていた言葉は、私自身の想いととても重なる尊きお言葉でした。総じて「これまでの歩みに誠実に励みなさい」というような意味だと解釈しました。私の場合、気が付けばずっと「音楽」に関わるお仕事で、それには何か深いご縁をも感じています。10代の頃から「生きるということは何だろう?」「なぜ、大人になってゆくのだろう」「どうして、こんなに音楽が好きなのだろう?」「ボウイはどうしてこんなに美しいのだろう!」「美とはなんだろう?」...etc.と「なぜ?」ばかりの自問自答人生を続けています。

 大好きな音楽や映画、文学や絵画の中から数多の発見と学びの日々はずっと続くのだと思います。「たかが音楽、されど音楽」な訳で、どうした事か大好きな音楽の多くには各アーティストの主張があったり、抽象的な歌詞であっても強く響く言葉がある。また時に歌詞のない音楽のメロディから響く詩もある。それはどうしてだろう?その時の社会とは?と、その国々の歴史背景を調べてみたりしていると、太古の時を往来する事も多い。そんな音楽たちが大好きでたまりません。人其々の音楽の愉しみ方がありますが、どうも私は探求したいようです。その起源はデヴィッド・ボウイという稀有なるアーティストに魅せられた者の宿命だと拝受。答えの見つからない難題である「音楽ってなんだろう?!」という永遠のテーマを傍らに、愛しきものたちと人生を共に、これからも歩んでゆけたら本望だと思います。

 そんな想いの中、再読したフルトヴェングラーの最晩年(1954年)の『音と言葉』という音楽評論集の中に、とても共鳴した文章がいくつもありました。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(WILHELM FURTWANGLER:1886年1月25日~1954年11月30日)は、西ドイツ、バーデン出身の指揮者であり作曲家。20世紀を代表する指揮者のお一人であり、また作曲家としては後期ドイツ・ロマン派の系譜にあるとされる。けれど、ご本人はその後期ロマン派との呼称に複雑な想いを抱いておられたようでもあります。第一次世界大戦、第二次世界大戦と大きな二つの戦争の時代を生きたお方で、ワーグナー、ベートーヴェン、バッハ、ブラームスの悲劇的生涯の中に問いつめ、悲しみ、哀惜せずにはいられないフルトヴェングラーの芸術家としての危機感、その想いは、生きた時代も国も異なる私にも伝わるような気がします。

 「私たちはもう芸術の中に生きているのではない。単なる傍観者になってしまった」というフルトヴェングラーの嘆き。それはもう後戻りできない科学の進歩の中で、時計の針を戻すような思考ではなく、人間の情、生命、故郷をも忘れてはならないのだという、悲痛なる嘆きに思えます。ある意味、わが国日本に於ける明治の維新が復古でもあったこととも通ずるような。
 ―少なくとも今日のための―基底となるよう、この国の中へ、家々の中に降りてきていただきたい。あがない得た歴史的な展望を、指針として用いるべきであって、支配せんとするために使用してはなりません。芸術作品という不回帰の出来事を、それは直接我々に関する出来事であるゆえに、歴史的な関連と同様に、いやむしろそれ以上に尊敬していただきたいのです。真の偉大さに対する愛、熱狂的な、なんの保留をも付けない献身的な愛情を持つことを、もう一度学んでいただきたい。 
 『音と言葉』 すべて偉大なものは単純である フルトヴェングラー
 一言にしていえば、「美しい心を取り戻す」という事だったかもしれない。この意味で彼はゲーテやトーマス・マンなどとは血縁であり、余り遠く隔たった所にいたのではない。彼の名演奏の秘密の一端はそこにうかがえるような気がする。
芳賀檀 あとがき より

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、リヒャルト・ワーグナーの『ジークフリート牧歌』です♪


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by Claranomori | 2014-03-21 23:16 | 詩人・作家・画家・芸術家
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Joyeux Noël !

今日はクリスマス・イヴですね。とっても寒波のクリスマスとなりました。26日には新内閣誕生となるのですが、限られた隣国の動向は相変わらず不穏で危機感を募らせる師走です。でも、寒さを愉しむ事の出来る子供たちの笑顔って素晴らしいです。今日のニュースで東北の雪の壁とその地で生きる人々の姿が映し出されていました。人の叡智や生命力に胸を打たれます。今年も特に嬉しいクリスマス気分など皆無なので、やや暗く優美な美しい詩を読んだり、相変わらずロマン主義或いはロマン派の作品との相性が良いので、今日はフランスの詩人ポール・フォールの詩をアンドレ・カプレが歌曲にした抒情的かつ感動的なピアノ曲を♪

『小舟の別れ』 詩:ポール・フォール

今こそ城は眠りにつき
櫂はひときわ美しく
燕は金色の夕べを
空の青きわまるところに運ぶ
僕の眼には恋が溢れ、
城も空も映らない。
泣きぬれたまま僕は去く。
この櫂をはなれよう 今日かぎり!

★アンドレ・カプレ(André Caplet:1878年11月23日~1925年4月22日)はル・アーヴル生まれのフランスの作曲家で指揮者。カタカナ表記ではキャプレとも。この夭折の音楽家はドビュッシーの友人として知られ、ドビュッシーもまたカプレを非常に高く評価していたとされています。ドビュッシーの『聖セバスティアンの殉教』、『おもちゃ箱』、『月の光』、『子供の領分』などの編曲もしています。また、カプレは素晴らしいピアニストでもあり、残されたピアノ曲や歌曲の幾つかは小曲ながらもドビュッシーの美感の影響も伴いながら独創的な中世ポリフォニー音楽への探求の響きが聞こえるかのようでもあります。第一次世界大戦従軍中に毒ガスによって神経を冒され、胸膜炎を併発して早世したという不幸が惜しまれます。歌曲に於いては殊に難解な声のパート、朗唱法の指示が楽譜に細かく書かれているのだそうです。陰翳のあるリリシズムはやはり美しく詩的です。

Christopher Goldsackによるものがyoutubeにありましたので共有させて頂きます。
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by Claranomori | 2012-12-24 23:38 | 詩人・作家・画家・芸術家
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★目まぐるしく政局が動く中、風邪が悪化したり回復したり、というここ一か月。とっても久しぶりの更新となります。気にかけてくださっている皆様に感謝しております。いつもありがとうございます。パソコンのフォルダーを整理していると素敵なお写真に再会できました。その中の一枚から1960年代のロベール・ローラン或いはロバート・ローランによる『帽子と手』と題された作品。このお方について詳しく知らないのですが、とても美しいモノクロームなお写真です。

19世紀に写真術の発明。絵画をモデルに写真作品へと。それはロマン主義であったり自然主義であったり、絵画主義的写真の流れの19世紀。そして、19世紀から20世紀にかけて変容をみせることになる。造形芸術の領域での数多の「イズム」の登場に興味があります。未来派、キュビズム、シュプレマティズム、ダダ、表現主義、構成主義、ヴェリズム、プロウン、抽象主義、他。すべてはモダニズムであり、レオナルド・ダ・ヴィンチの「絵画の手綱であり舵である」という遠近法。その遠近法を超える試みが写真芸術の中に見ることができるようで愉しい夢の時間です。

個人的には絵画の方が写真よりも好きなのですが、音楽や映画、そしてファッションとどれも密接な関係にある芸術なので、やはり写真にも興味を抱かないわけにはゆかないようです。

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by Claranomori | 2012-12-05 01:07 | 詩人・作家・画家・芸術家
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★デヴィッド・ボウイの 『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年)の曲と付随する想い、それに関連して、「デヴィッド・ボウイとドイツ表現主義★エーリッヒ・ヘッケル:ERICH HECKEL」を。以下の言葉はボウイ自身が語った『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』という曲についてですが、表現主義的なレベルの歌詞とありますものでドイツ表現主義のことを少し。

チベットの状況について何か発言したかったんだ。僕は19才の頃ににわか仏教徒になった。半年ほど勉強したかな。実に素晴らしいチベット人たちと知り合った。ロンドンのチベット協会でのことだ。その中の一人とは数年間付き合いを保っていた。彼の名前はチメ・ヨン・ドン・リンポチェといい、ロンドンの大英博物館の翻訳者なんだ。当時僕が非常に影響を受けていた本にハインリッヒ・ハラーというドイツ人の『チベットでの七年間』というのがあった。彼はごく初期の内に実際にチベットに行った西洋人の一人だった。この本の卓越した実在感と実に崇高な哲学は感動的だ。何年たっても忘れることのできない本だった。そこで僕は近年チベットで起こっている政治的状況に、音楽を通じて何らかの関わりを持ちたいと思った。この曲は家族を殺され、自国内で無力化させられている若いチベット人たちの絶望感や苦悩を表現している。敢えて具体性を追求しすぎないようにした。表現主義的なレベルの歌詞の方がより効果的だからだ。曲全体から漂う雰囲気を感じ取ってほしい。

デヴィッド・ボウイ

そうなのです。ボウイと殊にドイツ表現主義との関連は重要なのでした。画家でもあるボウイはドイツ表現主義、或いはドイツ表現派に属する作品とボウイの絵も評価されています。ドイツ表現主義は20世紀初頭にドイツから発生した一大芸術運動。そして、ドイツ表現主義の最初の芸術家集団「ブリュッケ」が誕生しました。中心となるメンバーはエルンスト・キルヒナー、エーリッヒ・ヘッケル、カール・シュミット=ロットルフ、フリッツ・ブライルの四人は創設メンバーでした。ボウイがとても影響を受けたのはその中のお一人、エーリッヒ・ヘッケルです。

エゴン・シーレに傾倒しているわけではない。最も好きなのはエーリッヒ・ヘッケルで、彼の属する表現主義が私の基盤、特別なルーツだ。ある種の基盤を持つのは大切だ。
そして私の場合は表現主義ってことになる。

デヴィッド・ボウイ

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エーリッヒ・ヘッケル(Erich Heckel:1883年7月31日~1970年1月27日)は、ドイツ表現主義の代表的画家であり版画家。木版による白と黒の対比による力強い表現が高く評価されたようです。また、ドイツ表現主義の作品で扱われるテーマは、生活及び社会の矛盾、革命、戦争など、既存の秩序や市民生活に対する叛逆を目指したものが多く、これらのアーティスト達の思想的影響はニーチェによるものが大きいとされているのも妙に納得します。そんな訳で、5年前に綴ったパウラ・モーダーゾーン=ベッカー以来となりますが、久しぶりにドイツ表現主義に関わりの大きいデヴィッド・ボウイと共に少し触れてみました。

★関連記事:「『セブン・イヤーズ・イン・チベット SEVEN YEARS IN TIBET』 ~ 今の日本の危機を想う」を「ボウイ館」にて追記いたしました♪
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by Claranomori | 2012-10-17 07:53 | 詩人・作家・画家・芸術家
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突如

なかには 苦しい 路もある・・・・・
ひしひしと 人生に打たれることもある・・・・・
群衆のなかから誰やらの目が
噛みつくように にらみつけた。

疲れて、焦立った
悲しげな旅人よ、君はだれ?
未来のわたしの友なのか?
遠いわたしの敵なのか?

わたしたちは苦痛、悲哀、心労の
同じ輪廻につつまれている・・・・・
わたしは信ずる、君は私の友だ、と、
もっとも君が誰なのか知りもしないが・・・・・

詩:ジナイーダ・ギッピウス

★ジナイーダ・ニコラーエヴナ・ギッピウス(Zinaida Nikolaevna Gippius:1869年11月20日~1945年9月9日)はロシアの女流詩人で、夫はロシア象徴主義の先駆者とされる作家ディミトリー・セルギェーヴィチ・メレジコフスキー(Dmitry Sergeyevich Merezhkovsky:1865年8月14日~1941年12月9日)。ジナイーダ・ギッピウスは16世紀に帰化したドイツ貴族フォン・ギッピウス家の出で、父は元老院の検事総長であった。幼少期から詩作を始め1888年に文壇初登場。男性名のアントン・クライニーとしての別名で評論の筆も執っている。夫のメレジコフスキーとともにロシアの初期象徴派、デカダン派的な存在で、後の若き象徴派詩人たちに影響を与えた。著作は処女詩集「鏡」(1898年)、「詩集」(1904年)、ドストエフスキーの影響の濃い「悪人も人形」(1911年)、「ロマン皇子」(1913年)、戯曲「緑の指場」(1916年)など。1917年の十月革命を逃れるために夫メレジコフスキーと共にパリに亡命し、回想録「生きている人々」(1925年)を発表している。1945年9月9日パリに死す。

両親の世代はロシア文学に親しんでいた様子は幼少期から感じていたけれど、農業国ロシア、あの広大な大地と共に生きるロシアの人々は日本人の抒情に合うように想います。この『突如』(訳詩:井上満)という詩は、ロシアの麗しき女流詩人であるジナイーダ・ギッピウスによる好きな詩の一つです。フランスも農業国です。そして、日本の農業は日本人の基盤であり、主食であるお米はわが国の誇るべきものの一つだと想います。中国米も発売され出しましたが、私は日本米を愛します。だんだん生活が厳しくなってゆくばかりですが、価格より質に拘ることも忘れたくないです。殊に東北産のお米は美味しいです。森茉莉さんの御本にあるように、「贅沢貧乏」という精神を維持していたいです。そんな私なもので、日本の美しき食や制度が壊されるTPPは反対なのです☆
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by Claranomori | 2012-04-05 03:32 | 詩人・作家・画家・芸術家
この作品について「禁欲主義の再評価」と述べた林房雄氏の意見は、傾聴すると思っている。家父長制思想の代表者、石原慎太郎は、みずから「十九世紀的人間」と称する通り、モラルの解放者ではなくて、秩序の味方である。性に対する見解が、大江健三郎と真向から対立するのも、故なしとしない。

ところで、奇妙なことに、大江氏が「アルジェリア」と叫べば、石原氏は「スエズ」と答える。後進国のナショナリズムが、どうしてそんなに気になるのだろう。わたしでさえ、「明治は遠くなりにけり」という感慨が浮かぶ。もっとも、『行為と死』には、ファナティックな民族主義に対する露骨な嫌悪が示されているが、それでも随所に、「日本人ここにあり」といった気概が隠見するのは否めないだろう。

書評:澁澤龍彦 著:石原慎太郎 『行為と死』

★この書評で石原慎太郎の『行為と死』と大江健三郎の『日常生活の冒険』を続けて読み、若い世代のホープと目されていた頃のこの二作家の対比はおもしろかったと、澁澤龍彦は語っている。「家父長制思想」というのは、澁澤氏にある小説家M氏からの私信によるもので、「家父長制思想」と「母権制思想」との対立について言及してあり、その図式にあてはめてのこと。澁澤氏が『行為と死』の冒頭の「スエズ」の場面を読みながら浮かべたという山中峯太郎の文体。短い内的独白を挟みながら、端切れの良い速度で、適度にハードボイルドな描写を続けてゆくところは、アンドレ・マルローというよりも、あの日本的な冒険小説の大家、山中峯太郎そっくりと言うべきである、とも。

この澁澤龍彦氏の書評を読み、私の中の漠たるものが解け始めるかのようでした。私は日本に限らず世界的に19世紀という時代がとても好きである。石原都知事が会見で「わたしは古い人間だから」と仰る折に、私は一昔前の世代という安易な受け取り方をしていたのですが、さらに古い19世紀的人間だという意味を想うと、数々の作品や発言にさらに、あるいは違った深い意味合いを持てるように感じ、ますます石原慎太郎というお方の文学と政治、長きに渡りぶれずに己の中に国家を抱き続ける姿から、なんとも云えぬ爽快な、嘗てのお若き日よりもまして若々しき突抜けたものを感じるようです。また、あの『太陽の季節』の折から既に、石原慎太郎文学は「死」と「理想」を「我あるがゆえに我あり」という自己肯定を持って、あの戦後社会に挑戦した登場であった。敗戦後、主流は「自虐の時代」である中、石原慎太郎は価値意識を掲げていたのだということも。

みんな戦後文学の作家たちが左官級になったわけだ。僕は万年騎手で、いつまで経っても連帯旗手をやっていたのだが、今度、連帯旗を渡すのに適当な人が見つかった。石原さんにぼろぼろの旗をわたしたい。それで石原さんの出現を嬉しくおもっている。この人なら旗手適任でしょう。それで石原さんになぜみんな騒いでいるかというと、原因は簡単なんで、この人はエトランジェなんだね。

by 三島由紀夫

この三島由紀夫の言葉、石原慎太郎を「エトランジェ」と語っていたことを想い出します。石原慎太郎が文壇に登場しておよそ一年後の昭和31年の三島氏と石原氏の対談での言葉より。「最後のご奉公」と石原都知事が仰った折、その他、書物の中でも度々、三島由紀夫を感じてしまう。生きていて欲しかった、一緒に、この日本のために、と石原慎太郎の心のなかでずっと三島由紀夫が生きている。そのように想えるお方は三島が仰った昭和31年から今の平成24年の年月の中、どう見渡しても石原慎太郎しかいなかったし今もいない。そういった点でも三島の先見の明、鋭敏な洞察力を再認識いたします。人それぞれ完璧な人などいない。私は好きな人を好きだと想い、どうしてそう想うのかと考えるのが好きです。嫌いな人の言動を事細かく引っ張り出しバッシングするようなことは好きではない。また政治家は外交と防衛に対してはっきりと日本としての立場で発言できるお方が私は相応しいと想うので、そんな意味でも文学と政治が離れない石原慎太郎というお方の存在は興味深いものであり、やはり好きなのです。

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『行為と死』 著:石原慎太郎 新潮社
●1956年スエズを襲った英仏軍とアラブ軍の対戦のさなか、日本商社員の皆川は、侵略軍の輸送船撃沈に向った。それは、エジプト娘ファリダとの愛の完成であったが、同時に美奈子の呪縛からの脱出でもあった・・・愛と性の存在の深部を鋭く剔抉する異色長編。(1964年作品)
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by Claranomori | 2012-04-04 22:04 | 詩人・作家・画家・芸術家
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モンマルトルが好き。
ひびが入り、漆喰が剥げ落ちた壁には味があるじゃない。
建物の中から、今にもエディット・ピアフが出てきそう。
散歩していて、古い建物を見つけるとうれしくなる。
古いものに惹かれるから。
そして、この建物には、昔どんな人が住んでいたんだろう、
なんて想像するのは楽しいもの。
やっぱり、時間に磨かれたものには魅力があるわ。
だからアンティークはいい。
ここには、古い建物がいっぱい残っているから、
モンマルトルを散歩するだけで、わくわくしてくる。

フジ子・ヘミング 『我が心のパリ』 より

★フジ子・ヘミングのエッセイ『我が心のパリ』の中にはパリでの生活の様子が、素敵なお写真と言葉で綴られている。私は古きを訪ね其処から学ぶことが好きなので、年々今という時代とのズレを感じながらも、心のときめくものへと向かう。我が国日本の美、そしてやはり欧州の古い歴史、複雑な重い歴史を想うことが好きです。パリであれロンドンであれ、時に何百年も前の言葉や絵画に出会うことも多い。文明の変化はあれど、変わらぬもの、まったく古く感じない不思議な時間の往来がある。その中で、失いつつある、既に失われてしまったのかもしれない美に出会うと心が奮える。

雨の日が好き。白い花、特に百合が好き。
好きな時間は午後の四時。
夕陽がさしてきて、それがずっと消えるのがいい。

フジ子・ヘミングは1932年12月5日生まれなので今年80歳になられる。激動の時代、その人生ゆえに、言葉はより胸に響く。この『我が心のパリ』の中には好きな言葉がいっぱいで清々しい。世界的に活躍されるピアニストながら、日本での人気のブレイクは90年代以降。私も著作から知ったのです。読むと必ず私の心を代弁してくださる言葉がある。"よし、頑張ろう"という気持ちよりも、光と安らぎを得ながら、"ああ、人生は孤独であるがゆえに素晴らしいのだな"って。フジ子・ヘミングというお方のように強靭かつ自由な精神を私は持ち得ていないけれど、自由である為には孤独を引き受けなければならない。自由という言葉は陳腐にもなるけれど、本来は崇高で美しいものに想うのです。ただ、その代償は途轍もなく大きいとも。現実の悲惨さ、残酷さをこれでもかと。最近は「絆」という言葉さえ、何だか分からない。私は日本でこれからも生きてゆく。古き日本の歴史、文化、日本人の心、美徳というものを大切にして残された人生を共にしたいと、不思議の国或いは果てのないロマンの旅路を光と共に♪


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by Claranomori | 2012-03-15 22:11 | 詩人・作家・画家・芸術家
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音楽

音楽がきこえてくると、
私のまわりの世の中が消えてしまう。
そして
すべての愛しいものは
ひとしお 愛らしくなってゆく。
幻想のなかで、花は燃え咲き
その森の樹木は
陶酔に重い枝をもちあげ
声をのんでたたずんでしまう。

詩:ウォルター・デ・ラ・メア 訳:三井ふたばこ

先述のウォルター・デ・ラ・メアの妖精詩に続きまして、今回はこの『音楽』と題された詩を。「音楽」とは私にとっても欠かせないものです。そして世界中の文学の中に好きな小説や詩集があります。映画や絵画にも音楽が私にはあります。それは感じる、響くという楽の調べです。なので、楽器を奏でる音楽だけではないのです。また、私の好きな「少年少女詩」には往還する少女世界でもあります。私は音楽がきこえてくると、私のまわりの世の中が消えてしまう。そして すべての愛しいものは ひとしお 愛らしくなってゆく。というこの詩が今も大好きなのは、その美しき音楽を愛したゆえに、今の私が在るのだということを心から感じているからです。もう逃れること、後戻りも出来ない私の人生にとって、なんとも美しき孤独を知ってしまったことでしょう。正しく、私の心の旅路であり、孤独であるけれど愛する世界が導いてくださるのです。平坦でないがゆえに、人生も孤独も尊いものだと想っています。それにしても、やはりウォルター・デ・ラ・メアの独自の夢幻的な世界が好きです。

少年少女を愛おしく想う心は何処から来るのか自分でもよく分かりません。ただ可愛いという世界だけではなく。このブログの「クララの森」とはそのような私の好きな美しき世界の表象でもあります。「少女愛惜」とは少年少女を愛おしく想うことと同時に、その儚き刻が束の間の時間であるけれど愛惜の念に於いて結晶のように時の流れと共に私の心の中に在り続けるのだという想いです。なので、少女愛好家と称される方々とは何かが違うと感じることも多い(正否などなく)。もっと乙女ちっくな記事を望んで頂いているお方も居られるそうですが、私の心に見えるもの、感じることに出来るだけ素直に綴っているつもりです。こんなブログながらも共鳴してくださる方々、コメントを頂けることに感謝しています。ありがとうございます!


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by claranomori | 2012-03-07 11:53 | 詩人・作家・画家・芸術家
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子供の世界

最初の奇跡

小さい子供のころ
結婚式はダーチャで行われたものだ。
ダーチャはすばらしかった。
丸太造り、
彫刻をほどこした雨戸、
小さな出入口がふたつ。
ある晩
片方の部屋でみんながすわって
やっぱり大きくてぴかぴかした
サモワールでお茶を飲んでいた時、
もう片方の部屋にジプシーたちが忍びこんで
うちの銀食器をあらいざらい持っていってしまっても
もの音が聞こえなかったくらい
大きな家だった。

庭も広かったから
門を出なくても、そのまま森になっていて
キノコ狩りをした。
私たちは5月から10月にかけてダーチャで過ごした。永遠だった。

私は5歳だった。
10月が終わる。
小糠雨が降っていた。
庭はうす暗かった。
私は出入口にすわって、リンゴをかじっていた。
琥珀色に熟していて、歯が痛くなるくらい冷たかった。
家中リンゴがころがっていた。
家はすみからすみまでブーニンに耕されている、
彼の本のようだった ―
「アントーノフカのリンゴ」がある
黄色いページの大きな本のように。
でも永遠の国の
10月の終わりのこと、
私はまだその香りを名前で呼ぶことはできなかった。

彼は35歳だった。
この世での生を半ばまで過ごし
彼はいつのまにかうす暗い庭に立っていた。
つまり遠くの門を通って
小径を家へ向かってきたのだ。
彼の後ろにはあと二人歩いてきた。
でも私が見ていたのは彼一人だけだった。

彼は背が高く、おとぎ話のように美しかった。
青い瞳、亜麻色のあごひげ、小麦の穂の色の巻毛 ―
王子様。

私はすぐに好きになった ― なにもかも、
かじったリンゴといっしょに。

彼は井戸を掘りにきたのだった。
私は感じた、これは悪くない、
これは永遠ではない、
当然だった
最後の10月の日だったのだ ―
永遠は終わった。
しかし私はこんなことに我慢したくなかった。
彼らは日がな一日穴を掘った。
そして私は夜通し ―
穴を埋めた。
5歳のペネロペ、
私は三人の夫、三人の花婿を
監視した。
でも本当の花婿は一人だけだった。
あとの二人は彼の後ろにくっついているだけでいい。

そして徒に私は恐れた、
彼はどこへも行かなかった―
結局その10月はとどまった。

そして私もとどまった
こうして私たちはそこに立っている、
リンゴを手に持ったペネロペと王子。

おじいさんとおばあさん、
シャベルを持った労働者、
銀食器を持ったジプシーたち ―
みんな森の中の大きなテーブルについて
叫ぶ。「ゴーリカ!」 ― そして飲む。
ワインを飲む ― 井戸から直接。

詩:インナ・カブイシ
「現代ロシアの詩人たち」 鈴木正美 より

★インナ・カブイシ(Inna Kabysh)は1963年1月28日生まれのウクライナ出身の詩人。そのインナ・カブイシの1996年の作品『子供の世界』の「最初の奇跡」という不思議な自由詩のような言葉たち。少しおとぎ話風、少し悲しい歌のような、哲学的な複雑な構成の詩篇。「子供時代 ― それは時間ではなく、場なのだ」と、インナ・カブイシは作品の中の子供の世界をかつての郷愁ではなく、今この世界として提示しているのだという。詩が楽の調べであるように、やはりインナ・カブイシの詩にも音楽が聞こえる。5歳の少女が35歳の「王子様」と出会う10月の終りのお話。リンゴの香りに満ちた別荘での暮らしは、おそらくインナ・カブイシ自身を投影しているのだろうとのこと。別荘での結婚式は現実とも夢ともつかず、少女の持つリンゴの香りとの美しき重奏。鈴木正美氏はインナ・カブイシの詩の特徴は「天国」であり「子供」である。そして、リンゴは天国や幸福のシンボルとして用いられているのだと語っている。昨日、久しぶりに再会した友人とロシア(ソ連時代)のお話になり、幼き日に読んだロシア民謡や文学の素晴らしさを懐かしく想ったものです。けれど、このような1960年代以降の現代ロシアの詩人や文学はあまり馴染んでいないのですが、このインナ・カブイシという女性詩人の詩篇は、私の好きな往還する女と少女の世界だと感じ、とても興味を抱きました。もっと他の詩篇も読んでみたいです。

※上のお写真はインナ・カブイシの詩も収録の洋書の表紙をイメージ的に♪


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by claranomori | 2012-03-05 02:18 | 詩人・作家・画家・芸術家
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★フリードリヒ・フレーベル(Friedrich Fröbel:1782年4月21日~1852年6月21日)はドイツの教育者。幼稚園の創設者であり、生涯子供たちの教育に生きたお方。上の画は『小さな園丁』と題された、フレーベルの代表的な著作である『人間の教育』(1826年)の中の挿絵です。この絵が示唆するように、命を労わる心を育てるためにフレーベルは庭の教育的意味を重視した。ドイツ・ロマン主義的な観点からの思想でもあるとされる。フレーベルの「幼稚園」(Kindergarten)を特徴づける第一の教育原理は「庭」(garten)の原理であるという。

庭でさまざまな植物が―理性的で因果関係に明るい園丁の世話によって―それぞれのやり方で完成に向って、その本質にあった多様な方向に発達するように、同じ方法で、人間、少なくとも幼児は、彼の内的、根源的な本質に忠実に、そして同一の根源をもつ自然および生命と調和して・・・・・発達、教育、形成される。

引用: 著:フリードリヒ・フレーベル 幼稚園の教育原理 『人間の教育』 より

フレーベルのここで云う「庭」とは人工的な箱庭ではなく、力強い生命に溢れた雄大な自然そのものであり、「庭」は幼稚園の象徴であるばかりでなく、現実の欠かせぬ教育環境をも構成している。フレーベルはこの『人間の教育』に於いて、「子どもたちに生きよう」と親たちに語りかける。イエスの言葉である「天国は幼な子らのものである」や「幼な子のようになれ」を愛用し様々な意味が込められているが、とりわけ「子どもたちに生きよう」という言葉によって、フレーベルは「子供たちと一緒に生活しよう」あるいは、「子供たちから学ぼう」ということを強調している。この「子どもたちに生きよう」というフレーベルの言葉は19世紀のものながら、今日でもまったく古くはない言葉だと想います。私はただ幼い子供たちや少年少女たちを愛おしく想うがゆえに、どういう訳か教育者でもないのにフレーベルの難解な御本を読むことになった。そして、教育者として生きたフレーベルの思想に、私の大好きなロマン主義文学との関係も深いこともあり、美学思想にまで及びそうですし、さらに児童文学の世界にも繋がるのでとても興味深い御本であります。絵本や児童文学の良書を多数発行されている日本の出版社「フレーベル館」はこのフリードリヒ・フレーベルから名付けられた社名なのも納得です。
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by claranomori | 2012-02-27 09:16 | 詩人・作家・画家・芸術家