あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:私の好きな王宮物語と運命( 8 )

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 『少女愛運動(ガールラヴあるいはチャイルドラブ)』は果てしなき運動となります。この当ブログの基本は『少女愛運動(ガールラヴあるいはチャイルドラブ)』のようなもの。運動というと何やら大袈裟に聞こえますが志といったところでしょうか。アリス・リデルとルイス・キャロル繋がりで、同じく19世紀の英国に欠かせないお方、ヴィクトリア女王。その「ヨーロッパの祖母」と称讃されるヴィクトリア女王ですが、当然ながら少女時代があります。なので、今日は18歳で即位(1837年6月20日)される以前の王女時代アレクサンドリナ・ヴィクトリアの愛らしい肖像画を眺め、この高貴なる女王の少女時代を愛でたいと想います。

 以前に綴りました『ヴィクトリア女王:QUEEN VICTORIA』とやや重複しますが、ヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年5月24日~1901年1月22日)は、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の女王(在位:1837年6月20日~1901年1月22日)、初代インド女帝(在位:1877年1月1日~1901年1月22日)。
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王女時代であるアレクサンドリナ・ヴィクトリア(Alexandrina Victoria)を古い順番に並べてみました。この母ケント公爵夫人ヴィクトリアとご一緒の肖像画の愛らしいこと!母ヴィクトリアはたいそう厳格な教育をされたそうで、このようなお家柄に生まれた者の運命というものを考えたりもします。父ケント公爵は王女アレクサンドリナ・ヴィクトリアが生後8ヶ月で他界されているので、幼き王女に哀切な想いを馳せてしまいます。また、母ケント公爵夫人の母国語はドイツ語ゆえ、この母子肖像の頃の王女アレクサンドリナ・ヴィクトリアはまだドイツ語しか話せない頃だったと想われます。
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そして、次の幼き日のお姿は4歳頃と想われますので、英語も少し話せるようになられて来たことでしょう。さらに、古典ギリシア語やラテン語、フランス語やイタリア語を学ぶようになる王女ヴィクトリアですが、常に母ケント公爵夫人の厳しい目を想像いたします。
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そして、ウィリアム4世の崩御により、ヴィクトリアは18歳で即位され、ヴィクトリア女王の時代が始まるのです。この肖像は王女ヴィクトリア時代末期のものと想われます。

 一番上の肖像は大好きな王女ヴィクトリアですので、勝手に飾らせて頂きました。伯父ジョージ4世に子供がいなかったゆえ、弟であるウィリアム4世が王位を継承されました。また、ウィリアム4世にも子供がいなかったゆえ、王女ヴィクトリアはわずか10歳で推定王位継承者となるのです。母ケント公爵夫人のさらなる厳しい監視が始まったとされますが、幼き王女ヴィクトリアは、この頃から既に気品に溢れておられるようです。愛らしい眼差しとふっくらと優しい頬。この上の肖像は12歳前後頃ではないでしょうか。この10歳前後あるいは12歳前後という時期は、古今東西、少女期として個人的にとても好きな時代のような気がしています♪
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by claranomori | 2011-05-07 08:35 | 私の好きな王宮物語と運命
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★フランソワ・ブーシェ(Francois Boucher:1703年9月29日~1770年5月30日)は18世紀フランスのロココ時代を代表する画家。1703年にパリに生まれ、1770年にパリに眠る。1723年ローマ賞を受賞しイタリアに留学。ティエーポロの影響を受けたとされる。神話画、牧歌画、風俗画などを主題に、絵画、壁画、タピスリーの下絵などを多作。殊に壁面装飾に才能を発揮し、ヴェルサイユ宮殿の王妃の間の装飾で流行作家となる。ルイ15世妃マリ=レクザンスカやポンパドゥール夫人の庇護を受け、フランソワ・ブーシェは宮廷画家、彫刻家のみならず、室内装飾、服飾デザイナーとしても絶大な人気を誇っていた。とりわけポンパドゥール夫人の美的センスのための重要なブレーンであったので、この肖像画『ポンパドゥール夫人』のファッションも担当されたのではないだろうか。

うっとりする程、美麗な色調は優美!この前時代とは異なる平和で経済も好調であった時代ならではの生活趣味の豊かさに意味を持ったロココ文化の開花。「優美」「洗練」「貴族的」その真髄は「生きる喜び」にあったとされる時代。この肖像画『ポンパドゥール夫人』(1756年)のローブ・ア・ラ・フランセーズ!そのドレスを彩る装飾品たち!薔薇のお好きなポンパドゥール夫人なのでやはり薔薇の造花が数多く付けられ、繊細な手工レース、リボン、真珠、ブレスレット、ブローチ、ネックレス...嗚呼、豪奢である。その夫人の優雅な佇まいを見事に描き出しているフランソワ・ブーシェは、天使の支える時計、クッション、猫足のサイドテーブル、ポンパドゥール夫人候爵家の紋章入りの本棚などとの見事な調和を完成させている。読みかけの本を手にするポンパドゥール夫人は大変な読書家。それも、当時の女性が好んで読んでいた説話本ではなく、詩、哲学、歴史、伝記、文法などの多くの書物を読まれており、どれもよく読んだ跡のあるものであったという。「ポンパドゥール夫人の時代」ともいうべき時代が築かれた宮廷を支配する程の権力を握ったのは、国王ルイ15世の公式の愛人であり美貌の持ち主であったことだけではなく、むしろ豊かな文学的教養と美的センスのためであったとも云われている。

ポンパドゥール夫人については、また別に綴っておきたいので追々にと想います♪
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by claranomori | 2010-09-13 20:07 | 私の好きな王宮物語と運命
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3月にケイト・ブランシェット扮する『エリザベス:ゴールデン・エイジ』を観てあの神々しさに胸高鳴り、今もあの白馬に乗り指揮をするお姿などなどが浮かびうっとり。その後、何処かに仕舞い込んでいた『英国王妃物語』を引っ張り出し再読していた。この約2ヶ月はそんなことも常に頭と心の何処かに共にいた。ようやく少し整理されたようなので忘れるので綴っておこうと想う。エリザベス一世のお母様であるアン・ブリーン(アン・ブーリン:1507年~1536年)は、サー・トマス・ブリーンの次女として、ロンドンのロッチファド・ホール、あるいはノリッジのブリックリング・ホールで生まれたとされている。共に父トマスの所領である。母は名門二代目ノーフォーク公トマス・ハワードの娘エリザベスであり、このことからヘンリーの5人目の王妃キャサリン・ハワードとは従姉妹の関係にある。信じ難くも腹立たしい程に、この好色家ヘンリー八世の6人の妻(王妃)たちは皆悲運な生涯を終えている。中でも、このアン・ブリーンとキャサリン・ハワードは断頭の刑に処されている(権力を武器にした手回し)。※宗教改革問題なども大きく関係してもいる。

アンは宮廷の誰からも可愛がられ、ルイ十二世の娘クロードの保護のもとに教育を受ける。音楽、舞踏、刺繍、そしてラテン語に至るまで、宮廷マナーとともに磨きをかけたアンは、1522年まで(27年まで説もある)フランスに滞在。1527年には王妃キャサリン付きの女官として出仕していたそうだ。見違える程のレディーに成長したアンを見初めたヘンリーは、アンとの結婚のためキャサリン王妃との結婚を無効にし、最初は気の進まぬアンだったそうだけれど1529年頃から関係をもち、1533年9月7日、アンはグリニッジ宮殿で女子を出産(後のエリザベス一世である!)。ヘンリーは男子が生まれてくるものとばかり思っていたので落胆は大きかった。その後、男子を授かるが流産してしまう。前回以上の落胆のヘンリーを前に、アンは悲鳴に近い声をあげたという。お二人の関係は急激に冷め出しヘンリーは他の女性へと...。載冠まで済ませた王妃アンとの別離の方法は、前回同様に”結婚の無効”による方法しかなく、その無効理由に腐心した。しかし、信じられないけれど、このヘンリーはアンをロンドン塔に閉じ込め、宮廷の男性たちとの不倫を理由に収監させたのだ(狂っている!)。アンは無実の手紙も書いているけれど、その逮捕から二週間後(1536年5月15日)、王妃姦通の裁判が開かれ、その不公平な仕組まれた裁判の結果、アンは断頭の刑に処されてしまう。5月19日、29歳の生涯を終えた。そして、ヘンリーはその処刑から僅か10日後に、予てから関係のあったジェイン・シーモアを3人目の妻とする。ロンドン市民も流石に仰天したという!この不品行の悪名高きヘンリーは、イングランド王最初の梅毒を患った王としての記録を残しているそうだ。因果なことに、長男エドワード六世の夭逝は、ヘンリーの悪行の祟りであるとも。きっと、そうに違いない。
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映画『1000日のアン』がどうしても思い出されるのだけれど、この中でアン・ブリーンを演じるジュヌヴィエーヴ・ビジョルドのお姿が浮かび涙する(もう泣いてばかりいる!)。憎きヘンリー八世を演じるのは英国の名優リチャード・バートン(上手いので彼は許せるけれど)、そして、最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンを演じるのはギリシャの名女優であり歌手でもあるイレーネ・パパス。その他豪華な顔ぶれによる名作(1969年映画)!
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また、ブリティッシュ・ロック史に名を刻む天才キーボード・プレーヤーのリック・ウェイクマン(よく、アラン・リックマンと言い間違えてしまう)のYES加入後1973年の1stソロ・アルバム『ヘンリー八世と六人の妻たち』も浮かぶ。私はキース・エマーソンよりもリック・ウェイクマンの方が相性が良いみたい。というのも、YES加入前(その後も)からデヴィッド・ボウイ様のアルバムに参加していたり、ストローヴスというバンドがトラッドフォークの流れで好きなことによるのだと想う♪

≪追記≫
※アン・ブリーンと呼んでいたのですが、ブーリンの方がポピュラーだと知りましたので、この記事のタイトルをブーリンに変更致しました。秋に公開の『ブーリン家の姉妹』も楽しみです♪(2008.8.31)
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by claranomori | 2008-05-12 20:45 | 私の好きな王宮物語と運命
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このディエゴ・ベラスケスの1656年の『ラス・メニーナス(侍女たち)』の絵を見たのは子供の頃で、多分百科事典についていた「世界の名画」か何かだったのだと想う。なにか奇妙な印象を受けたものだ。このスペインのフェリーペ国王時代の宮廷画家の残した名画は未だに解き明かされていない謎があるのだという。それは、スペインの児童文学作家のエリアセル・カンシーノの『ベラスケスの十字の謎』の中で書かれていて知ったこと。気になる人物がこの絵には多い。先ずはマルガリータ王女(マルガリータ・テレサ)。ベラスケスはいくつかこの幼い王女の肖像画を残している。この頃はまだ6~7歳頃のもの。王女の周りの侍女たちの中でも右から二人目の強面の女性は強烈な印象を残す。マリバルボラ(バルバラ・アスキン)という女性でドイツからスペイン宮廷に連れてこられ、王妃から格別に目をかけられ、自身の召使を持つことを許される程の好待遇を受けていたという。また、最も右に描かれている愛らしい小さな少年はニコラス・ペルトゥサトで、マリバルボラにもたいそう可愛がられていた。イタリアのミラノ生まれながら、背が伸びない体ゆえに1650年にスペイン宮廷に連れてこられた。彼は未来を透視する能力があり、1675年に執事となり、敬称ドンをつけドン・ニコラスと呼ばれるようになったそうだ。この絵の中の皆を看取り亡くなったという。この時代、背が伸びないという(小人)ことから、こうして幼い頃に両親から捨てられ異国へ連れてゆかれていた人たちが多くいたのだ。ベラスケスは他にも小人の肖像も描いている。なんとも不遇なお話だと想うけれどこうした待遇を受けることのできた人たちもいて良かった。彼らの能力を理解する国王や王妃、王女たちの心によって違うだろうけれど。
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この絵もベラスケスによる1953年のマルガリータ王女の肖像画(2歳頃)。この王女は僅か21歳の若さでお亡くなりになっている。幼少時から婚約していた11歳年上のハプスブルク家のレオポルト一世と結婚(1666年)。しかし、血族結婚が繰り返されていたゆえに生まれた子供たち(4人のうち3人)は生後間もなく死に至っている。そしてご自身の生涯(1651年8月12日~1673年3月12日)も21年という短いものだった。僅か14歳で嫁ぐというようなこの時代の王女たちや、国を超えて血族関係の結婚も繰り返されたことなど、哀しい宿命の王女たちを想う...。

★この絵にはベラスケス自身もおられる。胸に騎士団の十字の紋章をつけた画家として。しかし、この「永遠の時」を封じ込めたという絵を完成させたのは1656年。ベラスケスがサンティアゴ騎士団になる夢を果たしたのはその三年後のことだそうだ。よって、この絵の胸の十字は誰かが書き加えたものなのではと謎とされているそうだ。ベラスケスは常々「絵画は光への歩みである」と語っていたという。ああ不思議☆
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by claranomori | 2008-03-18 23:38 | 私の好きな王宮物語と運命
マリー・アントワネットは、マリー・アントワネット・ジョセファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュ(Marie Antoinette Josephe Jeanne D'Autriche-Lorraine)という長い本名を持つ。何故に私は今もなお、この18世紀のフランスの王妃に魅せられ続けるのだろう...”魅せられる”という中には疑問も含まれているように想う。そもそも、この”最も憎まれ愛された王妃マリー・アントワネット”という歴史上の人物を知り興味を抱き始めたのは、宝塚歌劇による『ベルサイユのばら』の舞台。まだ幼い私は母に連れられて3度(記憶が交錯するけれど”Ⅲ”もあった!)観に行った。あの華麗なる世界に先ず魅入った!マリー・アントワネット役は初風諄さんで退団公演だと3度目の時に母が語っていた。そして、徐々にタカラヅカ~麻美れい様のファンとなる。池田理代子様の漫画の連載時はリアルタイムではなく歌劇鑑賞後、のちに友人のお姉さんに借りて読んだもの。感動して涙の嵐だった!テレビでアニメ化され再放送も観たりビデオも全巻持っていたりする。マリー・アントワネットに関する書籍も知らない内に結構ある...。
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     ♥『薔薇をもつマリー・アントワネットの肖像』 (1783年)♪

1755年11月2日~1793年10月16日という37歳の生涯。生涯を綴る作業や研究は大変なものだろう!時代はフランス革命だし、その民主主義のあり方も疑問視されていたり...私は単なる興味心から関連物を鑑賞しているにすぎない。本当のことなど分からないし、歴史に名を残すお方はどなたでも賛美者と批判者が存在するもの。私はただ魅せられている過程が長いけれど、訊かれたなら”私はマリー・アントワネットが好き♪”と答えるだろう。何故だろう...悲劇の王妃だから?豪華なロココ趣味や美しいものを愛したから?薔薇のお花がお好きだったから?...よく分からないけれど、オーストリアに生まれた少女マリア・アントニア・ヨゼファ・ヨハナが、ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの娘(15人目の子供)として生を受けたこと、僅か14歳のフランス王妃、その宿命や時代を想うことが好きではあるようだ。あまりにも悲劇でありドラマティックでもある。フェルセン(フェルゼン)伯とのロマンスや子供たちを愛した姿、贅沢な軽率な振る舞い...それらの奥底の心を勝手に想像したりして涙することもよくある。

マリー・アントワネットについて考えるとき、首を斬られるということは、極端な悲劇的な意味をおびる。幸運な時期における彼女の尊大な軽薄さは、事情がやむをえなくなったとき、不幸を前にした崇高な美しさと変る。儀礼の化粧をほどこした心ほど、品の悪いものはない。舞台が変り、喜劇が悲劇になったとき、宮廷の虚飾によって窒息させられた魂ほど、気高いものはない。  

ジャン・コクトーはこのように語っている (『世界悪女物語』澁澤龍彦)。”ベルばら”(宝塚歌劇~少女漫画)に始まり、このように私の好きな作家方の御本や絵画、アニメや映画も含め、年月と共に私の心にいるようだ。結局のところ、”好きだから仕方が無い”ということみたい☆
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by claranomori | 2008-01-16 19:48 | 私の好きな王宮物語と運命
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ヴィクトリア(Alexandrina Victoria Wettin:1819年~1901年)は、82年の生涯のうち、1838年の即位から64年と最長のイギリス女王であり、植民地(多数)であった初代のインド女帝でもある。ハノーヴァー朝からヴィクトリア朝時代(その後のエドワード朝まで)は私の好きな芸術家たちが時を共に歩んだ時代。ロマン主義、ゴシック・リヴァイヴァル、自然主義...という時代なので、興味は尽きない。英国が無類の繁栄を享受した良き時代。産業革命の結果イギリス資本主義が世界で最も優越し、「世界の工場」イギリスは資本主義の最先進国だった。1830年にリヴァプール~マンチェスター間に鉄道が開通。1851年には国家繁栄の象徴とも言える万国博覧会がロンドンで開催された。

私の興味はこの豊饒な繁栄の陰の労働者階級(下層階級)の人々の生活にも。同じ時代でも食べる穀物も違えばお肉の種類も違う。先述のディケンズの小説やそれらを元にした映画を観るとそんな事が気になって仕方がない。しかし、歴代の英国女王(王室)の中で最も生真面目さと厳格さを保ち続けたとされるヴィクトリア女王にも興味は尽きない。中産階級~ブルジョワと呼ばれる人々の模範であり憧れの対象でもあったように思う。1861年に最愛の夫アルバート(ゼクセン=コーブルク公子)が42歳で死去された。女王は悲嘆に暮れ2年間公の場に姿を現さなかったという。9人の子女と夫、仲の良い家庭を維持し続けた、女王という立場と家庭の維持。昨今のスキャンダルの多い王室とはどうも違う。王女時代からドイツ語(母方の母国)、ギリシャ語、ラテン語、フランス語、イタリア語に親しみ、オペラや日記、そして乗馬を愛したヴィクトリア女王。故に、その寛大な芸術に対する愛が多くの優れた作家や画家、作品を後世に残すことができたのだと思う。有名な言葉「君臨すれども統治せず」に従い議会制民主主義を貫き、イギリス君主の形式を確立したお方と言える。子供たちをドイツを中心に各国に嫁がせ、その広がった子孫を調べると脅威的でもある。「ヨーロッパの祖母」と呼ばれるに至る所以である。しかし、女王自身が血友病の因子を持っており、ロシア皇太子アレクセイを始めとする男子が遺伝し発病し、お気の毒なことに男子は全員死に至り子孫は残していない。

物質的主義価値観が主となれば、それに反抗する者も現れる。私の大好きなオスカー・ワイルドはそんなヴィクトリア朝時代を生き、その価値観に対して唯美主義を唱えた第一人者であり、英国とフランスの文化の橋渡しのようなお一人であったと思う。その他、多くの好きな芸術の宝庫のような大英帝国女王の時代の光と影。エポック・ド・パリと並んで興味の尽きない時代であり、あまりにも濃厚。大きな意味で個人的な英国趣味とフランス贔屓はこの濃厚さに隠されているのだろう。

(参考資料:嘗て読んだ英国文学と歴史文献より)
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by claranomori | 2007-10-24 11:48 | 私の好きな王宮物語と運命

悲劇の皇女アナスタシア

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★アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ《Anastasia Nikolaevna Romanova:1901年6月18日~1918年7月17日(生きていれば。ここは謎のまま)》は、ニコライニ世とアレクサンドラ皇后を両親に持つロシア・ロマノフ朝皇女。アンナ・アンダーソンが”私はアナスタシアです”と名乗ったことにより、今日でもまだその真相はベールに包まれている。「1918年7月、白軍が攻勢を開始し、エカチェリンブルク地区ソビエトは皇帝ニコライ二世とその家族ならびに従者らの処刑を決定した。」という歴史の定説があるけれど...。3人の姉達とも3つ下の弟アレクセイとは特に仲が良かったそうだ。姉達よりも小柄で少女時代のお写真を拝見していると、美人姉妹ながら最も愛くるしいお方に思う。ブロンドの波打つ髪と青い瞳、性格も陽気なお方だったという。処刑時にアナスタシアだけは逃げ川に飛び込んだ...という生存説もあり、映画などでロマンティックに描かれていたりすると、単純な私はすっかりアナスタシアは生きていたのだ!と思ってしまう。でも、多くの方々が今も研究されているけれど、未だに真相は分からずミステリーは続く。でも、どちらにしてもこの皇族の楽しい平和な時期は短く、激動の革命という時代の中で悲運な生涯を迎えたことには間違いないのだと思います。(画像・参考資料「アナスタシアとロマノフ王朝」「ロマノフ朝 最後の皇女」・映画「追想」「ニコライとアレクサンドラ」・アニメ映画「アナスタシア」より)
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    ♥左からマリア、オリガ、アナスタシア、タチアナ、アレクセイ♪
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by claranomori | 2007-10-12 20:02 | 私の好きな王宮物語と運命

悲運の皇太子アレクセイ

b0106921_189742.jpg★皇太子アレクセイは日露戦争勃発の年1904年に誕生。しかし、翌年には「血の日曜日事件」を機に第一革命が起こる。日露戦争が終結した後、1914年には第一次世界大戦勃発。1916年ラスプーチンが貴族たちにより暗殺される。ニコライⅡ世は1917年二月革命で退位し、ロマノフ王朝滅亡。1918年、エカテリンブルグのイパチェフ館にて、家族・従者等と共に処刑される。由って、皇太子アレクセイは僅か14年程の短い生涯を悲劇で終えた。生まれつきの血友病故、両親や姉達からも大切に見守られていた。
(参考資料「ロマノフ王朝歴史年譜」より)

私はイングリッド・バーグマンがいつの間にか大好きになっていた。いつ頃だったか『追想』という映画を母と一緒に観た時、その時に母が”悲劇の皇族”という言葉で少し当時のロシア、ロマノフ王朝時代のお話をしてくれた。こうした歴史、史劇の映画は今でも大好きで『ニコライとアレクサンドラ』も観た。これまた知らず知らずのうちに、この”悲劇の皇族”たちに纏わる書籍も機会があれば読んでいる。しかし、あまりにも謎が多い。なので、史実と謎が交錯するこの一族への興味は今も尽きない。皇后アレクサンドラは、唯一の皇太子アレクセイの生まれながらに血友病を案じ、その祈祷からグリゴリー・ラスプーチンを招くことになる。元を辿ればアレクセイの血友病は、ヴィクトリア女王の家系に保有されていた遺伝子であるとされている。皇位継承者である体の不自由な一人息子への不憫さからか、皇后はラスプーチンを神格化するようになる。様々な逸話が残されているけれど、真相は不透明なまま。ニコライ夫妻に寵愛されたこのミステリアスなラスプーチンという人物についても謎だらけなのだ。映画『ラスプーチン』では英国の名優アラン・リックマンが扮していた。映画を観るとさらに謎が深まるばかり。もう少し整理して、この辺りの事を追記したいと思っています。ミステリー中のミステリー!皇女アナスタシアについて、少し続けます。※上のアレクセイのお写真(古いものでもあり、スキャナーが安物なので画像が粗いのですが、生前最後のお写真だそうです。)
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    ♥美少年の悲運の皇太子(男の子のセーラー姿も大好き)♪
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by claranomori | 2007-10-12 19:30 | 私の好きな王宮物語と運命