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クララの森・少女愛惜
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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪

by Claranomori
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カテゴリ:往還する女と少女
  • 『雪のひとひら』 著:ポール・ギャリコ 訳:矢川澄子 画:原マスミ
    [ 2012-02-20 17:02 ]
  • 『小鳥たち』 作:アナイス・ニン 訳:矢川澄子 まえがき訳:小池一子 公刊(1979年)
    [ 2012-01-14 18:17 ]
  • 明日のトーク★大好きなシャルロット・ゲンズブール特集『ORANGE VELVET LOUNGE★MAMBO CAFE6周年SPECIAL』
    [ 2011-07-28 18:37 ]
  • 『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』★ヒラリー&ジャッキー姉妹の愛と確執の物語♪
    [ 2010-04-09 11:21 ]
  • スーパー・リッチでクール・ビューティーな少女の想い出とあれやこれ☆
    [ 2009-11-23 23:00 ]
  • 『八月の鯨』 老姉妹リビー(ベティ・デイヴィス)とセーラ(リリアン・ギッシュ) リンゼイ・アンダーソン
    [ 2009-04-28 09:53 ]
  • 『やさしい嘘』 愛らしいエカおばあちゃんと娘と孫娘 監督:ジュリー・ベルトゥチェリ
    [ 2009-02-09 21:57 ]
  • 『何がジェーンに起ったか?』 ブランチ(ジョーン・クロフォード)とジェーン(ベティ・デイヴィス)姉妹
    [ 2009-01-08 05:30 ]
  • 『道』 少女のようなジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ) 監督:フェデリコ・フェリーニ♪
    [ 2008-12-05 08:20 ]
  • 我がミューズ☆シャーロット・ランプリングCHARLOTTE RAMPLING 『愛の嵐』 美少女ルチアを巡るあれこれ♪
    [ 2007-12-26 23:26 ]
『雪のひとひら』 著:ポール・ギャリコ 訳:矢川澄子 画:原マスミ
★ポール・ギャリコはやはり好きで、以前『さすらいのジェニー』のことを綴りましたが、今回は『雪のひとひら』(初版は1975年)を。ある冬の寒い日、雪のひとひらは生まれ、はるばると地上に舞い降りてきました。丘を下り、川を流れ、風のまにまにあちこちと旅を続ける。ある日、愛する伴侶となる雨のしずくに出会い、子供たちが生まれる。けれど最愛の夫の雨のしずくを亡くします。悲しみの中、彼女は少女の頃を想い出しながら自問するのです。優しい子供たちが母のまわりに集まり慰めようとする。雪のひとひらは、悲しみのうちにも微笑みながら、我が子を見やり思わず目をこする。彼らはもはや子供ではなく立派に成人していてくれたのです。母にそっくりな雪のしずくと雪のさやか、また雨のひとひらと雨のしずく二世は父に似ているのでした。けれど、時は行き、川は流れ続けます。彼らとのお別れの日がくることも悟る。雪のひとひらは「水」という特性ながら一人の女性なのです。流動する命であり、珠玉でもある水の一滴。その姿は純粋で聡明なよるべない魂の偽りのない姿かもしれない。愛する者たちをことごとく失ったあとに、ほんとうの寂しさが訪れる。孤独というものをつくづくと。

何ゆえに? すべては何を目あてになされたことなのか? そして、何より、はたしてこれは何者のしわざなのか? いかなる理由あって、この身は生まれ、地上に送られ、よろこびかつ悲しみ、ある時は幸いを、ある時は憂いを味わったりしたのか。最後にこうして涯しないわだつみの水面から太陽のもとへと引きあげられて、無に帰すべきものを? まことに、神秘のほどはいままでにもまして測りしられず、空しさも大きく思われるのでした。そうです、こうして死すべくして生まれ、無に還るべくして長らえるにすぎないとすれば、感覚とは、正義とは、また美とは、はたして何ほどの意味をもつのか?

ポール・ギャリコの描く悲哀はいつもやさしい。全編の柔らかな美しさに幾度も涙しました。この装画と挿絵は原マスミでファンタジックに作品を彩ります(新潮文庫)。訳者である矢川澄子は、「この小説『雪のひとひら』の主題はやはり愛のこと、もしくは美と愛との一致するところにあり、その答えは最後の甘美なささやきではありますまいか」と。これは、雪のひとひらが最期のこのときにあたり、幼き日々が蘇り、いままでいつぞ答えられなかった数々の疑問が舞い戻ってくる場面のことで、あたたかな涙と共に心が清められるかのようです。

「ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら。さあ、ようこそお帰り」

そんな雪のひとひらの耳に最後に残ったものは、天と空いちめんに玲瓏と響き渡る、懐かしくも優しい言葉だった。老女の喜びと悲しみの一生を終える最後にこの言葉が残る。水の一滴、それは人間にも欠かせないものであり、大地や自然の恩恵を受けて生きている。どんなに小さなものでも、どんなに目立たないものでも、みんな其々の存在理由があり意味のあることなのだと想います。私はまだ人生の途中ですが老境に至るまでに、また最期の折にいったいどのような疑問が舞い戻るのだろう。きっと、雪のひとひらのように、幼き日の想い出が蘇りながらもその答えはないだろう。最後に聞こえる言葉がやさしい響きであれば幸せな人生だったと想えるのだろうか。それならばその為にも苦しみを望む。望まなくともいつもやって来るけれど、それらの苦しみがなければ幸せもないと想って今を生きてゆく。

by claranomori | 2012-02-20 17:02 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(2)
『小鳥たち』 作:アナイス・ニン 訳:矢川澄子 まえがき訳:小池一子 公刊(1979年)
★『小鳥たち』はアナイス・ニンの死後、1979年に公刊された作品で、日本では『リトル・バード』(訳:杉崎和子)として富士見書房から1982年に刊行。私が読んだものは新潮社から2003年に刊行されたもの。私はアナイス・ニンの作品というよりも、アナイス・ニンという女性の生涯に興味を抱いているように想います。矢川澄子さんがとても好きなことと、この御本の『小鳥たち』というタイトルに惹かれて購入したものでした。内容は13篇からなるエロチカ。それもどれも切ない。この『小鳥たち』のどの短篇が好きかと尋ねられたなら、どれもあまり好きではない、と答えるでしょう。けれど、アナイス・ニンによる「まえがき」と、矢川澄子の「訳者解説」は大好きなのだ、とも。

貧窮のあまり現金収入をもとめる一群の作家がいて、彼らがエロティックなことに全力を投入したとしたらどうなるだろうか。彼らの生活や世界についての感覚や彼ら自身の作品にどう関わっていくだろう。彼らの性的生活にどんな影響を及ぼすだろうか。

私は、そういった作家グループのなかで懺悔聴問尼(マザー・コンフェッサー)のような役割であった。ニューヨークでは、なにごとも困難を極め、残酷さもいっそう増す。まるで、ジョルジュ・サンドみたいに世話しなければならぬ大勢の人間と問題を抱えていた。

アナイス・ニン 『小鳥たち』 まえがき 訳:小池一子

このような回想から、アナイス・ニン自身も周りの友人たち、恋人たちも絶望的に貧しかったという時代であることが窺われる。

けれどもこうして集められた材料に彼女自身の体験からする深い洞察を重ね合せ、このような典雅で澄明なひびきをもつ短篇に仕立て上げたのは、ひとりアナイス・ニンにのみゆるされた特権であり、彼女の希有の詩人的素質を物語る証拠とみてもよいだろう。

矢川澄子 『小鳥たち』 訳者解説
アナイス・ニン(Anais Nin:1903年2月21日~1977年1月14日)はフランスのヌイイ=シュル=セーヌ生まれの作家。11歳の頃から60年余りの間、綴り続けたという日記。1923年にヒュー・パーカー・ギラーと20歳で結婚。1955年にはルパート・ポールとも結婚。重婚であった。キューバからパリ、そしてニューヨークと移住。アナイス・ニンが1977年に死去するまで、ポールはギラーとニンの結婚を知らずにいたという。

アナイス・ニンは、西欧的・カトリック的な純潔教育の申し子として、内向的かつ閉鎖的な少女時代を過ごしてきた。パリでのヘンリー・ミラーとの邂逅をまって、アナイス・ニンは心身ともにはじめて解放された女性となったという。その後、ニューヨークに戻るも、徹夜で書きお金を稼がなくてはならなかった。匿名で幾つものエロチカ小説を書いた。この『小鳥たち』も大金持ちの老人の楽しみのために書かれたもの。それもお腹ぺこぺこの状態での幻想小説。究極の貧窮など知りもしない私にいったいアナイス・ニンの何が分かるというのだろう。11歳から日記を書き続けた所以とは。「薬と悪」だと云う日記を綴ることで人間の心理を分析すること、研究することで、「詩は不要」と云われても書き続けることが出来たのかもしれない。『小鳥たち』の中の少女たち、女性たちはアナイス・ニンでもあるのだろう。やはり希有なる女性作家である。

by claranomori | 2012-01-14 18:17 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(0)
明日のトーク★大好きなシャルロット・ゲンズブール特集『ORANGE VELVET LOUNGE★MAMBO CAFE6周年SPECIAL』

『ORANGE VELVET LOUNGE★MAMBO CAFE 6周年SPECIAL』7月29日(金)@マンボカフェ

 明日7/29(金)は北区の広くゆったりした空間のマンボカフェさんの6周年記念パーティー!当店がオープン時からお世話になっているオレンジ・レコーズの方々とご一緒に。グルーヴあんちゃんが色々細かいことを決めてくださっているのですが、明日のトーク・コーナーのテーマをなんと!”シャルロット・ゲンズブール特集にしましょうか”と多忙な中メールをくださった。きゃあ!と舞い上がる私。即答で了解メール。けれど、それから時間が経つにつれドキドキしています。なので今の想いを。

 シャルロットは私にとって「聖少女」のようなお方。まだ映画デビューする前から小さな男の子のような可愛い少女シャルロットのお姿をセルジュやジェーンのお写真と共に眺めていた頃は私もまだ10代だった。けれど月日は思いのほか流れている。シャルロットは今年の7月21日で40歳になられたのだもの!私も残念ながらもう少し年上なのだから不思議だけれど当然のこと。はにかんだ表情や仕草の真面目で内気な可愛いまだあどけない少女シャルロットを想う。私よりもっと大好きなお方もおられるだろう。私はシャルロット・マニアという意識は無くて、ずっと大好きで居られる数少ないアーティストのお一人なのです。音楽デビューも映画デビューも同時代性という中で共感して生きて来たことも光栄です。ゆえに、今はすっかり素敵な美しいシャルロットなのに、いつまでも少女シャルロットが共に在る。また当時の私の蒼い姿も。往還する女と少女。同じ時をシャルロットと生きていられることが本当に嬉しいです!この私の心の支柱としているブログ「クララの森・少女愛惜」の最も心を射られる大切なお方でもあるようです。

 少女子役時代のシャルロットや今のシャルロット、その過程のシャルロットの姿を想うのが好き。きっとこの先もずっとずっと素敵なシャルロットに違いない。嬉しいなあ、共に時を刻めるなんて!明日のトーク、上手には無理ですが私の拙い言葉で想うことをお話するのだと思います。綴っていると少し落ち着いて来ました...そういう時はいつも泣いています。涙の効用はカタルシス。私の好きな世界の住人たちはこれまで、こうして幾度も私の心をなだめ、勇気づけてくださる。「少女愛好」という言葉、「少女愛」というイメージ...それらはますます危険なもののようにチェックされる。チェックは大切だと想います。少年少女が大好きな私たちは彼女たちを慈しむのです。危害から守る想いなのに湾曲された先入観や誤解も多い。私の綴ることも時にチェックされているようですが特に問題はないようです。自分の言葉に責任をもって書いているつもりです。何を間違ってか変なコメントを頂くこともありますが、申し訳ございませんが削除させて頂いております。同士、同志のような方々が訪れてくださること、お話ができること、知らないことを教えて頂けること...このブログを始めた折でさえ、時流は危ういものでしたので危惧しての開始でした。でも、今は皆様のお陰で少年少女を中心に、私の心に問いかける美しいものたちと共に、マイペースにですが愉しく更新を続けています。キーボードが打てる限り継続すると想います。気負いは無いのですが時折心痛も伴います。楽しいだけでは少女愛惜はできないことも学びました。なので道のりは長く終わりの無い旅路だと覚悟しています。苦行の末の姿は今の私には皆目想像すらできませんが人生は修行なのですから、ある意味、私の生きるテーマだということなのでしょう☆

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by claranomori | 2011-07-28 18:37 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(8)
『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』★ヒラリー&ジャッキー姉妹の愛と確執の物語♪
★幾度も観ている大好きな映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』。原題にあるように、"ヒラリーとジャッキー"、この姉妹の子供時代からジャッキーが亡くなるまでの、お互いの人生と姉妹の確執が見事に演じられ描かれている。エミリー・ワトソンは本当に素晴しい女優さま。この『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』では20世紀最高のチェリストと絶賛されていた実在の人物を演じている。安易な役柄ではないと思う。そして、姉であるヒラリー役のレイチェル・グリフィスも地味ながらもいつも上手い!と思わせる素敵な女優さま。
運命は残酷だ。幼い頃から姉はフルートの実力があったのだけれど、音楽家の道を断念し結婚し子供たちとの生活(ジャッキーからするとその姿はありきたりの平凡な主婦の姿だった)を選ぶ。妹の才能に幼い頃から嫉妬のような思いを抱いていたり、逆に幸せな家庭を持つ姉にジャッキーもある種の嫉妬を抱いていた。でも、結局はお互いに切り離せない血の絆を痛感しているし求め合ってもいるようだ。特にレイチェル・グリフィスの表情はいくつもの場面で感動的。

多発性硬化症という難病がジャッキーを襲う。日に日に思うように動かない身体、聴覚まで薄れていく、その悪化する中での葛藤と苛立ち。そして、エルガーの協奏曲の美しくドラマティックな旋律がさらにシーンを盛り上げるので、息が詰まる程の複雑な感動を受ける。

「何も心配しないでいいのよ。」という言葉。幼い頃二人で海岸で抱き合っていたあの光景は共に永遠のものだったのだろう。最も大切な人、ジャッキーが最期に本当に会いたかったのはヒラリーだったと思う。でも、その直後亡くなってしまう...。

弟と車での帰り道、カーラジオから妹の訃報を知る。その、あのヒラリー、レイチェル・グリフィスの繊細な演技の見事なこと(オーバーアクトではないのでさらに感動が込み上げる)。何度観ても涙に溢れる大好きな作品、心に響き過ぎ苦しいくらいに素晴らしい!

ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ:HILARY AND JACKIE
1998年・イギリス映画 
監督:アナンド・タッカー 製作:アンドリュー・ペイターソン、ニコラス・ケント 脚本:フランク・コットレル・ボイス 撮影:デヴィッド・ジョンソン 
音楽:バーリントン・フェロング
出演:エミリー・ワトソン、レイチェル・グリフィス、ジェームズ・フレイン、デヴィッド・モリシー、チャールズ・ダンス、セリア・イムリー


by claranomori | 2010-04-09 11:21 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(0)
スーパー・リッチでクール・ビューティーな少女の想い出とあれやこれ☆
★時折思い出す。今はもうご結婚され母親になっているだろう6年間親交のあったお友達のことを。中学と高校の6年間が一緒だった。中学になると違う小学校からもやって来る、そんな中で部活も一緒で仲良くなっていた。けれど、同じクラスになったのは最後の一年、高校三年生の時だけ。同い年なのにどこか大人っぽいクール・ビューティーな少女だった。最終的には同じくらいの身長になったけれど、私は身長が伸びるのが遅くて中学の時は前の方に居た。彼女は後ろの方。もっともお話するのはやはり部活の時間。私達は陸上部で彼女は主に跳躍の専門。私は短距離とハードル。

そうそう!「長距離ランナーの孤独」ではないけれど、陸上部って孤独だといつも感じていた。自己の記録が更新されている期間は短いけれど、その儚き時間を私は太陽光線が苦手なのに夏休みも練習していた。楽しかったのだ。真夏の想い出はそばかすが一気に顔中に増えたこと。みんなのように綺麗に黒くなれず、いつも真っ赤な顔で鼻先の皮膚が醜いと鏡を見ては悲しくなっていたこと。髪も日焼でさらに赤茶色になっていた。でも、日曜日は大会があればみんなで自転車で遠出した。帰りには美味しいコロッケ屋さんに行ったり。その女の子とは400メートル・リレーが同じだった。陸上で唯一のチーム競技。チームでダントツに早い凄い人がいたので彼女が第四走者と決まっていた。その他の三人はその都度記録(タイム)により決定された。私は何故かカーブ(第一走者か第三走者)のタイムが良かったみたいでいつの間にか第一走者と決まっていた。試合の前日はドキドキしてほとんど不眠だった。責任重大なのだ、第一走者って。フライングするともうアウトだし、最後の走者までに少しでもタイムを良くしてバトンを渡してゆく。バトンの受け渡しにタイムのロスが生じるのでその練習も幾度もした。私の個人の競技のどれよりもそのリレーが終るまで緊張していた。一位でメダルを頂いた時の感覚があまり思い出せない。中学の時に大会新記録を4人で出したことがある(すぐに更新されたけれど)。その翌日の朝礼で校長先生が私達の名を挙げ誉めてくださったのだけれど、朝礼は長いとすぐに貧血になり保健室へ向かう私。その顔ぶれは毎回大体同じ。私は運動部の体質ではなかったらしい。

その「スーパー・リッチでクール・ビューティーな少女」は第三走者を担うことが多かった。最後の年までは同じクラスでないので彼女がお昼ご飯をどうしているのか知らなかったのだけれど、試合にゆくとパンなどを一緒に買いにゆくことがあり、その時に驚いたのは、中学生の頃からお財布にお札がいっぱい!私はというと必要最低限のその日のお小遣いを貰っていただけなのでビックリ。学年を上る度に仲良くなっていてようやく高校三年生で同じクラスは嬉しかった。お誕生日とかクリスマスくらいしかケーキを食べることは普通なかったけれど、そのお友達はしょっちゅう食べていると云う。高校にもなれば学食を利用する人が多く、お昼休みに教室に残っているメンバーは決まっていた。ガランとした教室で、私は持参したラジカセと編集したカセットテープをそのメンバーに聴いてもらうことが楽しかった。どんな反応を頂けるかなって。その中にはブライアン・イーノやエルヴィス・コステロを知っている人が居て意気投合したり。彼女は演劇部。私は16歳で腎臓が悪化しドクターストップを受ける。診断書を先生に提出しみんなとお別れした時のことも想い出す。お陰で自由な時間ができた私は学校の図書館を利用することが多くなった。読書をする時間が退部届けと引き換えに与えられたみたい。校舎から見下ろすと中学から一緒に過ごしてきた彼女たちの姿がある。寂しかったな...。でも、その女の子とはクラスが同じなので部活が終ってからも一緒に過ごす約束が多くなった。彼女と私は校区の端と端というくらいにお家が離れていた。彼女達の通学路の近くに私のお家があったもので、制服のまま彼女たちが集まることになって行った。

私は両親によそのお家に遊びに行き門限を過ぎて帰宅すると凄く叱られた(私の10代の門限は夕方の6時だった)。なのに、彼女たちが家に居てくれる分には問題なくて、時には晩ご飯を一緒に過ごすこともあった。なんだか変なのだけれど、お友達と少しでも一緒にいるために、彼女たちのすっかり寄り道の場所に私の家(部屋)が役立っていたようだ。私は早々と私服に着替えて彼女たちがやって来るのを待っていた。そのメンバーに洋楽を聴く人は居なかったので、彼女たちが好きそうな日本の音楽(当時はニューミュージックと呼ばれていた)をエアチェックした専用のテープを用意して。偶に洋楽をかけたりしても反応はなく、ほとんどお喋りしていて耳を傾ける暇もない。「いつもこんな音楽聴いてるの?」とか「普段はこんな格好してるんだ!」とからかわれた。「ロックを聴いていると肌が荒れるんだよ」とか...懐かしい♪

そして、いつもお財布にお金をいっぱい持っているスーパー・リッチなお友達。彼女はいつの間にか、学食ではなく購買部でパンとジュースを買ってガランとしたお昼休みの教室メンバーに加わるようになった。そんな時に初めて知ったこと、その時のことが忘れられない。ポツリと「毎日お弁当で羨ましい...」って、そのクール・ビューティーな少女が云った。ドキっとした。その寂しげな表情と同時に「そうか!」という想い。私は毎日お弁当が嫌でみんなと偶には学食に行きたかった。母に云うと週に一度だけ500円を学食費に頂けることになり、姑息にそのお釣りを貯め翌月のレコード代に充てていた。私のお弁当と彼女のパンを半分ずつ交換することもあった。そうすることを喜んでくれるので。私の家で最も遅くまで居ても良かったのはそのお友達。帰っても外食ばかりだと母の煮物を美味しいと食べてくれていた。母はそのお友達のお母さんと電話でお話していたこともあったので、実は私より現状を知っていたのだろう。一度だけ彼女のお家に行ったことがあるけれど、自転車でも遠くて少ししか居られなかった。お兄さんとお母さんと三人暮らしだと知った。お兄さんは働きながら大学に通っていると。お母さんはお仕事が大変で、お弁当どころか、一緒にご飯を食べることも滅多にないと。なので、小さい頃から一ヶ月の食費としてお金を貰っていたのだった。私はその時、ずっとお金持ちのお嬢さんだという勝手な彼女への浅はかな思い込みが瞬間に散って行くようだった。そして、彼女の表情にいつも何か翳りを感じていた(それを美しいと想っていた)、その訳も理解できた気がした。あまり他のお友達は彼女の翳りに関心がなかったけれど、私はどうしていつでもケーキを食べることが出来るのかを知った。でも、そのケーキもいつも独りぼっちで食べていたのだと。よく連れ立って学校内を歩くようになったのに、進路は異なり卒業しなくてはならない日がやって来た。桜の咲く頃はこうした淋しい想い出ばかり。

私が陸上部だったと云うと驚かれることが多い。今から想うと自分でも信じられない位に練習していた。校庭はいっぱいにみんなで使っていた。野球部のボールが怖くてビクビクしながらキャッチもできず何度か頭に当たって痛かった。ソフトボール部、サッカー部、フェンス越しにテニス部、その奥にバレーボール部、バスケットボール部。反対側の隅に卓球部、演劇部の人たちも発声練習しながら時々ランニングしていた。英語部の人たちは窓からいつも手を振ってくれた。私は顧問の先生によく注意を受けていた。「何のためにスパイクを履いているんだ!?」って。先輩の真後ろに付いて走らされたことがある。スパイクで土を蹴りながら走る正しい姿なのだ。私の真後ろにいてもまったく土がかからないと云われた。自分では分からず結局上手く蹴りながら走ることが出来ずに終ってしまった。手を振ってくれる英語部の友人たちは私のそんなスーっと走る姿が好きだとフォローしてくれたけれど、実際に先生の指摘は正しいのだった。上手く活用していたならもう少しタイムは良くなっていたのだから。県大会のハードルで練習不足故に転倒してしまった。凄く叱られた。準決勝まではいける予定だったのに予選でのこと。そして、その上手く活用できないスパイクの針で足は傷だらけ。かなりサイテイで先生も叱った後は呆れて笑うしかなかった。私は呆然としていた...でも、今では大切な想い出たち♪

※(追記)
腎臓を十代で患う羽目になったのは自業自得のことだと随分後に身に沁みた。大事な臓器であるのに、私はバカだとしか云いようのないことに、中学高校という時期に校内のおトイレを利用したことがほとんどない。校舎内の云えば秘密の場所。内緒話したり教室では云えない悩み話を聞いたり。そんな為に一緒に利用していた。あるいは、鏡を見て前髪や制服を整えたりする場所だった。また、長年、駅や公共の場のおトイレも抵抗があった。その為に極力水分を摂らないことが普通となっていた。その上、陸上部なので水分はバテることになるのでお砂糖漬けのレモンをお水の代わりに少しずつ食べていた。そんな愚かな時期を情けなく回顧できる歳になっている。そうして、あの頃の私を懐かしい私であるとも。でも、私に違いない。今も完璧に克服できたかは自信はないけれど、醜いと想っていたことが実は美しいことであったり、尊いことであると心から想えるようになった。あるお友達が「偶には太陽に当たるのも大切よ」って仰ってくださった。もう何年か前だけれど、今ようやくそのお言葉の有り難さを感じているところ。人間の日常には滑稽なことも多い。それらの悲喜交々はすべて美しい生きている姿なのだとも。最近、ノスタルジーに浸ることがさらに多くなったのは歳のせいだろう。本当に100歳まで生きられるのだろうか...その為の学びの日々なのだとポジティヴ・シンキングと水分摂取は欠かせない☆

by claranomori | 2009-11-23 23:00 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(2)
『八月の鯨』 老姉妹リビー(ベティ・デイヴィス)とセーラ(リリアン・ギッシュ) リンゼイ・アンダーソン
リンゼイ・アンダーソン監督の『八月の鯨』(1987年)は、リリアン・ギッシュ90歳、ベティ・デイヴィス79歳、ヴィンセント・プライス76歳、アン・サザーン78歳、ハリー・ケリー・ジュニア66歳という、ハリウッド映画の各分野で活躍し続けてきた名優方を配しての名作。この映画が大好きで次はこれを綴ろう!と思っては書けなくて...好きなシーンがいくつも巡り、溢れる涙で胸がいっぱいになってしまう。初めて観た時はまだ20歳そこそこだった。映画の魅力は年を重ねてゆく中で作品がまた新鮮なものになる。なので、何度も観たくなる。この往年の名優たちの初期の作品はまだまだ未見のものが多い。古くからのファンのお方はこの作品が封切られた時、どんなに嬉しかっただろう!と、私もうっとり想像する。そんな優しい詩情溢れる品格のある作品。老練という言葉が相応しいのは随所に。
娘時代に姉妹リビー(ベティ・デイヴィス)とセーラ(リリアン・ギッシュ)は幼馴染みのティシャ(アン・サザーン)と3人で、8月になると入江にやってくる鯨を見にかけて行ったものだった。でも、もう遠い昔のことになってしまった。その間50年もの歳月を色々な思い出と共に生きてきたのだ、それぞれに。出演者は主に年老いた5人の名優たち。あとは、海辺の別荘と美しい自然、そして別荘内の小物たちや衣装たち。特に野ばらや紫陽花が印象的。とてもシンプルに流れてゆく。

戦争で先立たれた夫への変わらない愛。薄化粧をし髪を整え、よそ行きのお洋服と靴に着替え、花一輪と蝋燭のともし火、そしてワインを用意する。そして、亡き夫のお写真を前にして語りかけるセーラ。私はリリアン・ギッシュがとても好きなのだけれど、何故好きなのかという答えが必要ではないことを、こういうシーンから得られる。幸せなのだ。”永遠の少女イコンであるリリアン・ギッシュ”の愛らしさ!この90歳を超えたお姿を拝見しても”可愛い~!!”と声に出してしまうくらい。たまらない。このセーラ役もリビー役も適役。ただ年老いた役者というだけではこの情感は表現出来ないと思う。そして、この撮影当時既に癌に侵されていたであろうベティ・デイヴィスの痩せこけたお姿。視力を失って自分の事が自分で出来ない、そんな苛立ちを流石の演技で見せてくれる。すべて自然な感じ。姉の白くなった長い髪を妹が梳くシーン。最後のこの老女優(名女優)お二人が固く手を握って微笑むシーン・・・私は、きっと年を重ねる度に、この人生を静かに謳い上げる名作を味わい続けるのだと思う☆

八月の鯨/THE WHALES OF AUGUST
1987年・イギリス映画
監督:リンゼイ・アンダーソン 脚本:デヴィッド・ベリー 撮影:マイク・ファッシュ 音楽:アラン・ブライス 出演:リリアン・ギッシュ、ベティ・デイヴィス、ヴィンセント・プライス、アン・サザーン、ハリー・ケリー・ジュニア、メアリー・スティーンバージェン、マーガレット・ラッド、ティシャ・スターリング

by claranomori | 2009-04-28 09:53 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(5)
『やさしい嘘』 愛らしいエカおばあちゃんと娘と孫娘 監督:ジュリー・ベルトゥチェリ
ソ連崩壊後の小国グルジアのトビリシという町で暮らす三世代の女性たち。エカおばあちゃん(エステル・ゴランタン)と娘のマリーナ(ニノ・ホマスリゼ)と孫娘アダ(ディナーラ・ドルカーロワ)のそれぞれの思いを感じながらも、”やさしい嘘”に”美”を見てしまう私はどうしても涙に溢れる。このエカおばあちゃん役のエステル・ゴランタンはこの作品撮影当時90歳近い。女優としてのデビューは85歳頃だという。私は時々年老いた”おばあさん”や”おじいさん”を失礼かもしれないけれど、とても愛らしくかわいいと感じることがある。私の今住む町で一番会話をするのは早朝のお掃除をしてくださる腰の曲がったおばあさん。そのおばあさんからすると小娘の私にとても優しく話しかけてくださる。華奢なお体と素敵な笑顔は少女のように思えるのだ。中途半端な歳の私にはまだまだ試練が待ち受けているだろう。そのおばあさんやこの映画のエカおばあちゃんのような年齢になった時、私はどんな風になっているのだろう...。

タイトルの”やさしい嘘”にあるように、この映画の中で思いやるがうえの嘘が二つある。一つは、マリーナの弟オタールはパリで暮らしているのだけれど、ある日、オタールの事故による死の知らせを受けるマリーナとアダ。その死を二人はエカおばあちゃんには言えない。二人はオタールの振りでエカおばあちゃんに手紙を書き続ける。けれど、アダはそんな状況に疑問を抱き始めていた。孫娘のアダはとてもおばあちゃんっ娘で得意なフランス語で通訳をしてあげたり、足のマッサージをしてあげたり。愛するが故の嘘を二人は続けるのだけれど、母親マリーナの心境はもっと複雑な気もする。しかし、突然エカおばあちゃんの膨大なフランス語の蔵書が無くなる。エカおばあちゃんはオタールの元気な姿を見に行くための旅券にそのお金を換えたのだ。マリーナとアダも遠いパリへ同行することになる。そして、オタールがもういないことを知る。心配するマリーナとアダ。しかし、エカおばあちゃんは言う”オタールはもういなかった。成功をめざす人たちの憧れの地、アメリカに行ったんだよ。でも、あの子ならきっとうまくやっていける。私たちのことをきっと忘れない。いつか手紙をくれるよ。”と...この尊大なる言葉に涙する。過酷な時代を生き抜いてきたエカおばあちゃんは、これまでにも幾度もの愛する者たちの死や別れを経験してきただろう。そして、娘マリーナのことも孫娘アダのこともよく分かっている。大きな愛。思いやりからの”やさしい嘘”。”嘘”は時に思いやりが伴う...私と弟は病院で寝たきりの母に父の死を伝えることが出来ずにいた。私は最期まで言えず心が痛んだけれど、優しい弟は母の死の直前に耳元で伝えたと言った。私は勇気もなく何もできなかった...けれど、母は知っていたのだろう...と今では想うこともある。親子や夫婦には言葉以上に伝わるもの、家族の絆というのは理屈ではない。このエカおばあちゃんの”やさしい嘘”により、マリーナもアダの心も解き放たれただろう☆

やさしい嘘/DEPUIS QU'OTAR EST PARTI...
      2003年・フランス映画
監督:ジュリー・ベルトゥチェリ 脚本:ジュリー・ベルトゥチェリ、ベルナール・レヌッチ 撮影:クリストフ・ポロック 出演:エステル・ゴランタン、ニノ・ホマスリゼ、ディナーラ・ドルカーロワ、テムール・カランダーゼ

※何故か、”少女”を考える私は童女や思春期の少女だけでは物足らない。無性である時期の少年も必要なように、老境に至った老女までに及ぶ。90歳手前のおばあちゃんのお話なれど、彼女に”少女”を見た私なので仕方がない。表象的なことだけでもなく、楽の調べが心を揺さぶる時の慄きを想う。”少女”という言葉は永劫回帰するのだろうか☆

by claranomori | 2009-02-09 21:57 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(2)
『何がジェーンに起ったか?』 ブランチ(ジョーン・クロフォード)とジェーン(ベティ・デイヴィス)姉妹
とても好きな映画のひとつである『何がジェーンに起ったか?』は1962年のロバート・アルドリッチ監督作品。原作はヘンリー・ファレル。最初に観たのはテレビ放送で、その初見から強い印象を受けたもの。「映画の宝石箱」のブログに以前『八月の鯨』が好きで少し綴ったことがある。私はベティ・デイヴィスを最初に知った作品は『イヴの総て』だと想うのだけれど、同一人物だと思えない程だった。その時、既にご病気だったと後に知り、”女優”というようなものを強く感じた。私が映画を好きで観始めたのは音楽を好きになるよりも前なので70年代作品にとても好きなものが多かった。そして、今もやはり映画は大好きなので時間が足りない状態の日々。

此処は『少女愛惜』。何故、この年老いた姉妹が?と想われるお方もおられるかもしれない。ところが、私には大問題なのである!このベティ・デイヴィス扮するジェーンはベビー・ジェーンという子役スターとして人気を博していた。その頃の姉ブランチ(ジョーン・クロフォード)はそんな妹を羨ましくも嫉妬していた。後に姉がスターとなり立場は逆転する。しかし、自動車事故により半身不随となってしまうブランチ。そんな姉妹は古いお屋敷でひっそりと生活している。家政婦の女性が出入りする程度で、車椅子生活の姉は何かと不憫である。次第に妹ジェーンは美しい姉に対して抱いてきたと想われる鬱積したものが狂気に向いだす。陰湿な復讐を始めるのだけれど、その様は見事!というしかない。ここでもやはり”女優”という力量を見せつけられる。凄い!どちらも凄いと想うけれど、妹ジェーンの今はすっかり老醜の至りながらも子役時代の華やかな頃が纏わりついている。子供時代の想い出や体験は永遠に忘れることはないといつも想う私。それらは楽しい想い出もあれば悲しい想い出、辛い想い出たち...。モノクロームの映像は姉の気品と美しさ、不自由な身を黒い衣装で、妹は厚化粧の白塗りに真っ赤な口元、そして白いフリルのお洋服にロールされた髪型...このジェーンの様相は時に醜悪でもあり愛らしくもある。それはベティ・デイヴィスの様々な表情などにも言える。サイコ的でもありゴシックホラー的でもあると私は想う作品。緊張感で一気に観終える終盤の意外な展開。海辺でアイスクリームを買い、踊り舞うジェーンの姿は眩しい...深い余韻を残し私の心を捉え続けている。実際に姉妹女優のお方もおられるし、ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードは共に名女優。そんな共演(競演)の中での秘話なども色々あるようだ。嘗て、ジョーン・クロフォードとグレタ・ガルボの挨拶事件(勝手にそう名付けている)等など...真相は分からなくていい。

※昨年ポール・ニューマンがお亡くなりになられた。まだ何処にも綴っていないけれど、私だって哀しい...旧友のロバート・レッドフォードとの番組を昨年BSで観た。お互いに年老いていたけれど素敵だった。その番組の中で、年老いることについて、ポール・ニューマンが語っていた言葉。”ベティ・デイヴィスがこう言っていたよ。臆病者は老人には向かない。”と☆


何がジェーンに起ったか?
WHAT EVER HAPPENED TO BABY JANE?

        1962年・アメリカ映画
監督:ロバート・アルドリッチ 原作:ヘンリー・ファレル 脚本:ルーカス・ヘラー 撮影:アーネスト・ホーラー 音楽:フランク・デ・ヴォール 出演:ベティ・デイヴィス、ジョーン・クロフォード、アンナ・リー、ヴィクター・ブオノ

by claranomori | 2009-01-08 05:30 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(0)
『道』 少女のようなジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ) 監督:フェデリコ・フェリーニ♪
ジュリエッタ・マシーナは半世紀をフェデリコ・フェリーニと生涯の伴侶として生きた女優さま。何から・・・というくらい想いは積み重なるばかり。フェリーニの名を知ったのは『甘い生活』のリバイバル。母と一緒に梅田方面へ偶に出向くようになった頃から、プレイガイドに立ち寄ることを欠かさなかった。まだお小遣いを貰っている身分の私は、近日公開される映画のチラシや来日情報などをチェックして満足している状態だったのだ。ルキノ・ヴィスコンティ映画のリバイバルがやって来た!これは今も色褪せることなどない。フェリーニへの興味も吹っ飛び、同時代映画のどの作品よりも魅せられてしまった。劇場で映画を観ることによる感動は言葉を軽く超える。初めての映画の衝撃はテレビで観た『愛の嵐』なのでどうもイタリア映画とのご縁を光栄に想ったり。映画がとても好きである私はやはりそれらの衝撃を忘れることはできない。そして、その時の私、あの瞬間にタイムスリップしてしまう。それらの思い出と両親の思い出が重なることも多い。
ヴィスコンティが一等好きである私は今も変わらない。けれど、フェリーニへと繋がれるものは私にとってはマルチェロ・マストロヤンニだった。ジュリエッタ・マシーナのこと、この『道』のことを綴るのに始まらない...涙あふれて。フェリーニの『道』はテレビ画面だったけれど、ジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナの愛くるしい表情や仕草、瞳が焼き付いている。初めて観た時は、可哀想なジェルソミーナのことばかり。アンソニー・クインはこのザンパノ役のイメージのお陰で長年好きではなかった。けれど、これまた私に欠かせない女優さまである、ドミニク・サンダ様を拝見するために観た『沈黙の官能』でアンソニー・クインに開眼...既に長い役者キャリアのお方で初老であった。愚かな私に気付いたとも言える。憎々しい役柄を演じる力量はどんなだろう!そして、”可哀想”という気持ちにばかり覆われていたジュリエッタ・マシーナ演じるジェルソミーナの心は...と。フェリーニ監督は少年時代から道化師に憧憬を抱いておられたという。後の作品たちにもたびたび登場する。ジュリエッタ・マシーナはこの作品を撮っている時、既に30歳を超えている。劇中のジェルソミーナは不器量だということになっている。母親と4人姉妹の貧しい生活故、泣く泣く母親は旅芸人のザンパノにジェルソミーナを1万リラで売り渡す。我が子をお金に換えるのだ...家族との別れ、世間を知らず従順で無垢なジェルソミーナは知恵が遅れているという役柄でもある。知恵がなんだ!と想う。家族と別れる意味をジェルソミーナは心で理解しているし、その別れの日、海を見つめ大きな瞳は潤む。粗野なザンパノと旅芸人稼業。ザンパノに愛想がつき離れようともした。何もできない自分を蔑み死にたいと想うとザンパノの悪友でもあるゴッフレド(リチャード・ベースハート)に告げる場面。好きな場面なのだけれど、彼は”小石にも存在する意味があるのだ”と何かで読んだという。どんな存在の意味があるかは知らないけれどとふたりの交わす会話。ジェルソミーナは、”それなら私にだって何か意味があるのだ”と想え微笑む。ザンパノは彼女を必要としている、愛しているとも。ところが、ザンパノは自分の心の中をじっくり覗くようなタイプではない。一本気で不器用とも言えると想う。旅芸人生活。アメリカ製のバイクに荷車が合体したような車がふたりの寝床でもある。色々な出会いや出来事があり、ザンパノはジェルソミーナを棄てる。ラッパをそぉっと置いて。幾年か経てある町でジェルソミーナが口ずさんでいた歌を耳にする。その女性のハミングはジェルソミーナの死を告げることに。ザンパノはジェルソミーナの死をもって、彼女の存在、愛に気付く。暗い夜の海辺でザンパノはうつ伏せ泣く場面で終わる...。海は涙との絆が深いのだろう。また、どこまでも続く道に小石たちは存在する。ジェルソミーナの歌や道化は町の人々の心に伝わっていた。子供たちもジェルソミーナに興味があり好きだった。ジェルソミーナは少女の心、純粋無垢な心故に愛され、やがて精神を病み死にも至ってしまったのだと想う☆
 道/LA STRADA
1954年・イタリア映画
監督:フェデリコ・フェリーニ 製作:カルロ・ポンティ、ディノ・デ・ラウレンティス 脚本:フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリ 撮影:オテッロ・マルテッリ 音楽:ニーノ・ロータ 出演:アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ、リチャード・ベースハート

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by claranomori | 2008-12-05 08:20 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(0)
我がミューズ☆シャーロット・ランプリングCHARLOTTE RAMPLING 『愛の嵐』 美少女ルチアを巡るあれこれ♪
映画が子供の頃から好きだけれど、この『愛の嵐』をテレビで観た時の衝撃が今もずっと映画が好きでいられる私に繋がっていると想う。音楽もボウイしか聴かない訳ではないけれど、自然と音楽と映画、ファッションなどが連なり、今の私の好きな世界があるのだと想うと不思議でもあり愉しい♪この映画を隠れる様にして一人でこっそり観ていた小学6年生の私。随分昔の事なのに今でもフラッシュバックすることが多い。1987年にリバイバル上映で大きなスクリーンでも観る事ができた。私の初恋の女優さまであるシャーロット・ランプリング!母はドミニク・サンダさまの方が好きだった。そして、私もそうなるのだけれど...。嘗ては風変わりな作風や映像美ばかりを優先して観ていたけれど、今では観る映画の幅もとても広がってもう死ぬまでこの楽しみは続くとしか思えない程。でも、幼い子供時代にいきなりこの映画に遭遇したのもご縁というのだろうか...友人からは”変ってる”だの”いやらしい”だのと言われたものだ(お喋りの中でのことなのだけれど、ある時期まで自分の大好きなもののことを自ら他言することを止めてしまった)。両親は寛容だったので外ではおとなしくお家ではずっと喋ってるような時期があった...。私は”子供時代は良かったね~”というお話にはピンと来ない。気持ちは分かる気がするけれど、あの時代の風景を懐かしく想ったりしても、”子供時代が良かった”とは言い切れない...そこら辺のことは自分でも上手く説明できないので、こうして私なりの”少女幻想”を思いつくままに綴ったりしているのかも。”少女幻想”だもの、ちょっとした瞬間に崩れ散るものだろうし、角度を変えると地獄図にも成り得る。
この映画の内容は深い。まだ子供だった私は何を感じたのだろう...とずっと想ってきた。でも、”観てはいけないものを観てる”感覚は強烈だった。ナチスだし、性倒錯した世界が描かれ死へ向かうしかない運命の二人。やっぱり変なのかなぁ...”いやらしい”という表現は私は感じなかった。それよりも”美しい!”と思えたのだから。何と言われようが、ヨーロッパの頽廃映画の代表作に違いないのだから良し。あるお友達とこの映画のお話をしていて、”どこが好き?”と訊かれたので、それはもう!最初に観た時から今もあのダーク・ボガード扮するマックスがユダヤの少女ルチアのことを”僕のかわいい子”と語る、その言葉!なので、それを告げると、”ほ~ら、お父さんじゃない。”と言われハッとしたものだ。彼女はいつも確信を突く...言葉にされ、ようやく自分で思考する鈍間な私なのだ。ファザコンだということを突かれたのも彼女だった。なので、父の死は今も母の死の受け止め方とは違う。母のことも大好きだけれど違うのだ...言葉にできないけれど、寡黙で厳格な父の姿に憧れと誇りを持って生きてきたし、今もその気持ちは変らない。何故に『愛の嵐』からこうなるのか...ダーク・ボガード!!に幼い私は父的な美を見たように想う。似ている訳ではないけれどハンサムではあった。そして、この時点でこのお二人の他の作品も観たい!と映画チェックが始まり家にある古い映画雑誌を毎日眺めていた。そして、母との共通の趣味が持て影響を受けた。私がボウイを教えてあげたのだけれど、母も美形には弱いので一緒に『戦場のメリー・クリスマス』を観に行った。戦時中、私の両親は学生だったけれどあの恐怖を知っている。特に母は怖かったと語っていた。父は仲の良かった兄を亡くしている。そんな両親と私の育った時代は大きく違うけれど、こうした映画を通じて共鳴し合うことができた。想いは其々だけれど。
長くなる!もっと具体化すると面白い。この『愛の嵐』の監督はイタリアの女性監督リリアーナ・カヴァーニ。ルキノ・ヴィスコンティの助監督をされていた。また、製作者であるロバート・ゴードン・エドワーズは、『ベニスに死す』や『ルートヴィヒ 神々の黄昏』も手掛けたお方。また、音楽はダニエル・パリスなので『ルー・サロメ 善悪の彼岸』が直ぐに浮かぶお方。そして、劇中の名場面のひとつでもある、ユダヤ人のルチアが裸体にサスペンダー姿で『望みは何と訊かれたら』(後にマレーネ・ディートリッヒのレコードの中で見つけた時の歓喜!)を歌う。ディートリッヒというと『地獄に堕ちた勇者ども』や『ジャスト・ア・ジゴロ』...と共通するものが多い。既に私は10代の頃にこれらの作品やアーティストたちに出会い今も”我がミューズ”の方々ばかりが此処にいる!この衝撃を超えるものはこの後あるだろうか...と想う程にゴージャス☆遭遇の過程を大まかに辿ると、アラン・ドロン~マレーネ・ディートリッヒ~シャーロット・ランプリング~ダーク・ボガード~デヴィッド・ボウイ~ヘルムート・バーガー~ルキノ・ヴィスコンティ~ドミニク・サンダ~ビヨルン・アンドレセン~ロミー・シュナイダー...と今の私に欠かせない大好きな方々ばかり!年月が必要だったけれど、今はこうした流れが不思議だけれど自然なので愉快な気持ち。また、大好きなオスカー・ワイルドの存在も欠かせないので、この『愛の嵐』と『サロメ』の結びつきも嬉しい。

このユダヤ人の美少女ルチアか、メリーベル(萩尾望都さまの『ポーの一族』)が最も幼少期から今まで私の中で生き続けている”少女幻想”の重要人物かもしれない...何か美しいパズル遊びをしているようで愉しい☆

愛の嵐/IL PORTIERE DI NOTTE
 1973年・イタリア/アメリカ合作映画
監督:リリアーナ・カヴァーニ 製作:ロバート・ゴードン・エドワーズ 
脚本:リリアーナ・カヴァーニ、イタロ・モスカーティ
撮影:アルフィオ・コンチーニ 音楽:ダニエル・パリス
出演:ダーク・ボガード、シャーロット・ランプリング、フィリップ・ルロワ、ガブリエル・フェルゼッティ、イザ・ミランダ、マリノ・マッセ

(追記)
※このルチアを描く芽となったと語るリリアーナ・カヴァー監督のお言葉を再発見できましたので追記しておこうと想います。

★『愛の嵐』のルチアを巡る想いなどを思いつくままに少し綴ってみたけれど、まだまだ想いは遥か...この衝撃の出会いが今も映画が大好き!でどうしようもない私となっているように想う。

久しぶりに、リバイバル上映時(1987年)の時に購入したパンフレットを眺めてみた。この映画の脚本は監督のリリアーナ・カヴァーニ、イタロ・モスカーティとなっていて、原作がある訳ではないけれど、実在する女性のお話などから監督が書き上げたものだと記してあった。この頁の内容はすっかり忘れてしまっていたので、再発見したようで今なお新鮮に受け止めることができて嬉しい。

「ダハウの収容所に18から21歳までいたあるユダヤ女性は、今もなお毎年のバカンスをダハウで過ごすのだと言っていました。でも、彼女はそれがなぜだか、自分にも分からないのです。また、かつてアウシュヴィッツにいた別のブルジョワ女性は、もう夫や子供のところに戻ることができず、ひとりで生きるために家を出ました。すでに収容所で極度の残酷さを知った彼女にはもう正常な家庭生活を送るにはあまりにも人間が歪んでしまっていることを自分で感じていたのです。そして彼女はこう言っていました、”犠牲者がみな純真で潔白だなんて考えないで”と彼女は私に言いました。これらドストエフスキー的な女性たちが私に不安を与え、それが『愛の嵐』の女性を描く芽となったのです。」 by リリアーナ・カヴァーニ監督

by claranomori | 2007-12-26 23:26 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(8)