あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:少女イコン・不滅の少女( 26 )

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「ガラスの城★私の王国あるいは夢幻の青い花」 にコレクション投稿いたしました。

 ずっと大好きなシャルロット・ゲンズブールの22歳の頃のもの。撮影はフランスのフォトグラファーで革命児とも称されるジャン=バプティスト・モンディーノによるものです。少女から大人へという時期のシャルロット。シャルロットって父セルジュ・ゲンスブールと母ジェーン・バーキンの良い要素を一身に受け継いでいるように思えてなりません。「それは贔屓目だよ~」って?笑われたりもするのですが好きなシャルロットを喜んで大いに贔屓しています。私の永遠の少女イコンのお一人です☆

  たとえば、昔持っていたイノセンスをなくしてしまった気がするの・・・・・。
自分の中の好きなところ、好きじゃないところを、自分ですごく意識するようになってしまった。前はそんなこと気にしてなかったのに
シャルロット・ゲンズブール
 
 5年前は一言もしゃべれなかったというシャルロットが、最近は楔がはずれて自由になったみたい、だとも語っていました。このインタビューの頃の最新出演作は、イアン・マキュアンの1978年の小説『セメント・ガーデン』を、アンドリュー・バーキンが脚本・監督し映画化したもので、以前綴りました『セメント・ガーデン ルナティック・ラブ:禁断の姉弟』でした。


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by Claranomori | 2015-06-18 05:59 | 少女イコン・不滅の少女
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★今年も後一日。2009年の最後の記事はオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn:1929年5月4日~1993年1月20日)で。前述のコレットの『ジジ』の舞台版の主役はオードリーだった。コレット自身からの抜擢で選ばれたという。そして、『ローマの休日』で銀幕のスター☆オードリー・ヘプバーン登場となる。その後も秀作揃い!優れたスタッフや俳優仲間にも愛され、いくらお歳を召されても可憐でお美しいお方だった。

オマージュ作品は未見のものがあるけれど、ほぼ観れる範囲の作品は観ている。どれも素敵!酷評の作品だってオードリーが素敵ならそれでいいって想う。不思議なお方。今も愛され続け、現役の人気俳優たちに混じって人気投票に名を連ねている。もう何十年もの歳月ではないだろうか。殊に日本での人気は世界一なのかもしれない。平成生まれの甥も「オードリー・ヘプバーン」を知っているのだから凄い。オードリー映画の相手役に好きなお方も多いので私は映画を観る中で、年月と共に”オードリー好き”は強まって行った。それぞれの作品は魅力的で役柄も様々。何歳でも何を演じてもオフショットの時でも、いつも素敵なあの瞳!笑顔も多いけれど、ゆえに内省的なショットや場面に遭遇するとさらに好きでもある。

オードリーは生涯「オードリーであった」。高慢ちきでもなく人の意見をしっかり聞けるお方であり、かつご自分の意思を貫く!それが「オードリーらしい生き方」であり、晩年のユニセフの活動までずっと。オードリーのお写真は数多く存在する。多くのスター女優は撮る角度や採用のチェック、オフ時は禁物...というのが通常。けれど、オードリーはいつでも撮られることを拒むお方ではなかった。気さくで優しい。生まれ持った気品と意思の強さ。個性を活かしたファッション・センス。少女らしさを残しながらも決して子供っぽくはない。”美人女優”ならワンサカ続々世界中から登場される。そんな中で世界規模の国際女優でありスターであり続ける(死してさえ)。ああ、やはり「スターがスターであった時代」に夢を馳せる。褒め讃えるばかりであるけれど、晩年の活動は少女期の暗い戦争という刻との関係も深いと想っている。そんな”慈しみ”のようなものを持ち続けたお方であったから、いつまでも清らかでお美しくあられたのだろうとも想う。上の自転車のカゴに居るのは愛犬アッサム(フェイマスは死んでしまった)で、オードリーとご一緒にスタジオに向かう(『緑の館』で共演した子鹿イップ(イプ)も好き)。息子さまだって。そんなお姿もお美しい。私生活を隠し、母親になってもそうしたイメージを払拭しようと保つお方も多い。けれどオードリーは違う。”潔さ”というのかもしれない。実にクリーンである。やはり永遠の妖精オードリー♪

※昨夜から台所の給湯器のお湯がでなくなり点検して頂いた。どうやらもう古くて壊れていて部品も製造されていない。運悪く年の瀬なので交換作業はあと1週間程のち。ガクンと冷たいお水でお皿やカップを洗いながら”ヒーヒー”呟いている。こうした予期せぬこともあるのだ。それも人生。それも試練。また愉しいとさえ想える。更新にたいそうムラがある私ですのに、いつも気に留めてくださる方々、何かの検索で訪れてくださる方々、コメントをくださる方々....そうしたご縁をとても嬉しく、また励みに生きております。今後とも末長く宜しくお願いいたします。皆様、良いお年を♪
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by claranomori | 2009-12-31 01:15 | 少女イコン・不滅の少女
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★この絵は1854年、オルレアンでのジャンヌ・ダルク記念祭で初めて公開されたという、ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(Jean Auguste Dominique Ingres)による有名なもの。そして、オルレアンの乙女が聞いた、「王太子シャルルを戴冠させてフランス王位につけよ」という天の声を、深い信仰心故に、その神のお告げに従い軍隊を率いて、かなりの劣勢であったにもかかわらず見事にオルレアンを解放し、それのみならず「ランス大聖堂でのシャルル7世の戴冠式を行った」のである!輝かしきジャンヌ・ダルクの栄光の瞬間を絵にしたものを眺めては、その勇敢なお姿や崇高さと共に浮かぶ哀しみが付き纏うのだけれど。

17歳の少女がフランスを救うために神のお告げによってやって来たというお話をシャルル7世と初めて会った時には信じてはもらえず、査問会が開かれた。シノンのお城での初めての王との会見は1429年2月、オルレアンの解放は同年の5月、そして、戴冠式が7月である!フランスとイングランドの100年戦争。この時期のフランスは明らかに絶望的な状況であったとされている。当時のフランスの武将たちはオルレアンの解放を機に、ノルマンディ攻撃の続行を望んでいた。戦争の最中、戴冠式よりも敵を倒すという武将たちの主張は真っ当な気もするけれど、ジャンヌはひとり強靭にも反抗し続け、ランスの進撃を決行させてしまう。天晴れである!この辺りから、色々と読み漁り私の頭の中は未だに愉快な歴史模様に混乱させられ続けているのだけれど、ジャンヌの、オルレアンの乙女の使命は見事に果たされたのだ。ランス大聖堂でシャルル7世の戴冠式が行われるということの使命、そして、その歴史的事実の持つ意味は大きい。敵国イングランドに与えた打撃のみならず、驚くべきことに敵はシャルル7世の実母である王妃イザボー・ド・バヴィエールでもあったというのだから!僅か14歳でフランス王シャルル6世の妃となったお方である。フランスの歴史の中でも悪名高き女性でもある。なかなか愛らしい容姿の少女であったようだけれど、心の中はかなりの野心を持つ異常としか思えないことがらを行い続けた恐ろしい女性であった。息子を殺害する企てまでしていたという。ジャンヌ・ダルクはそのフランス王妃の策略を見事に打ち砕いたのでもある。王妃イザボー・ド・バヴィエールは、娘カトリーヌ王女をイギリス王ヘンリー5世の妻として、いわば娘とフランス全土を献上するという1420年のトロワの和議を結ぶ。結局のところ、王妃は自身がイギリスとフランスの両国を支配しようというものだったのだろう。この辺りはシェイクスピアの『ヘンリー五世』でも描かれている。しかし、ヘンリー5世、シャルル6世もこの和議の2年後に死去される。そこでイギリスは生まれて1歳にもならない王子ヘンリーを、そして、王太子シャルルも我こそが正統な継承者であると宣言した。当時のフランスにおいて二人の国王を名乗る者が存在した。そんな状況に登場したのがジャンヌ・ダルクであった。この絵のジャンヌには神に選ばれし者の円光が見られる。ジャンヌの後ろで本を読むフランチェスコ派の修道僧、手を合わせる従者、そして、剣を杖にした馬丁の姿。このお方はこの絵を描いた御本人であるアングルだそうだ。自らもこの輝かしき祭儀に参列したかったのであろう。

しかし、この戴冠式から1年も経たないうちにジャンヌは捕らえられ裁判にかけられる。そして火刑台へ...。ジャンヌの鎧の前の銘文板には「その火刑台は、天上の王座と変わった」と書かれているという。当時、まだ”魔女”という概念よりも”異端者”としてジャンヌは刑に処された。当時は土葬が通常の時代に火刑、そしてその灰は土に返ることも許されずにセーヌ川に撒かれたという苛酷な最期。しかし、1900年代になり、ジャンヌ・ダルクは”聖人”とされた...純粋で勇敢な少女はイギリスまでも救ったとも言われるに今は至る。異端者としてのジャンヌは当時女性が男装することは禁じられていた。けれど、その処刑には野望を打ち砕かれた王妃イザボーがイギリスの摂政ベッドフォード公にジャンヌの処刑の要請を手紙にしてまで送っていたという。ルーアンの広場で20歳にもならない少女ジャンヌの命は苦しい火炎の中で燃え尽きてしまったのである。
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by claranomori | 2009-06-09 11:27 | 少女イコン・不滅の少女
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★ああ!胸高鳴る。哀しくも聖なる少女”ジャンヌ・ダルク”あるいは”オルレアンの乙女”のことを想うだけで。いつの間にかこの”ジャンヌ・ダルク”という勇敢な17歳の少女の名を知り、気がつけばすっかり私の中の重要なキーワードのように組み込まれてしまっているのだった。映画でジャンヌ・ダルクを演じたもの、フランスとイングランドの100年戦争、その時代背景や絡み合う人間絵巻などをあれこれ観たり読んだりすることが好き。実在の人物で最古の私にとっての”少女イコン”あるいは”聖なる少女”はこの”ジャンヌ・ダルク”なのだ。まだまだ興味は尽きないけれど、整理してゆくためにも別に「ジャンヌ・ダルク」のカテゴリーを設け、続けてみます♪
※上の彫像はフランソワ・リュード(François Rude)によるジャンヌ像。
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by claranomori | 2009-06-07 10:45 | 少女イコン・不滅の少女
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レアード・コーニグの『白い家の少女(路地の奥に住む少女)』を読み返して謎が解けた!!と大喜びしていた私。ずっと不思議に想っていたことだけれど、ジョディ・フォスターが映画『白い家の少女』の少女リンを演じた時、ジョディの髪が染められていたのがずっと謎だった...ジョディは生まれ持った美しいブロンドの髪の少女なのに、映画の中では微妙に違うブロンド色だった(気のせいではないと想う)。

久しぶりに再読してみると、勝手に謎が解けたようで気分が良い。原作の中で、13才のお誕生日のお祝いのケーキとロウソクと薄暗いお部屋の描写の場面。映画とかなり二重に浮かぶ、可愛いジョディ♪

焔が二重になって輝いている鏡の前で、少女はじっと立っていた。ゆらめくロウソクの光を浴びて、彼女の両手と顔は青白く、蝋のように白かった。ふだんは樫の落葉色をしている長い髪の毛は、いま赤銅色に染まっていた。

ジョディの本来の髪ではロウソクの光で赤く映えないという美術的な理由からだったのだろう(謎が解けたと言いながらも勝手な想像に過ぎない)...まあ、とにかくやれやれ☆以前も少女リンの愛読書であるエミリー・ディキンソンの詩集のことで、映画を見返したりして納得していたこともあった。やはり、かなり大好きな少女リンなのだろう☆
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by claranomori | 2009-02-10 06:04 | 少女イコン・不滅の少女
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『マリリン・モンロー・ノー・リターン』という野坂昭如氏のとんでもなくカッコいい曲がある。”この世はもうじきおしまいだ”というフレーズが浮かぶ。マリリン・モンローは”聖少女”だと想っている私。お写真を眺めているとなんとも言えない哀切な感情を抱いてしまう。私が生まれた時には既にこの世におられないお方だった。この世紀の女優さまを知っても関心はなく、先行するイメージにまんまと騙され続けていたのだ。でも、出演映画を観て行くうち、歌声も好きでレコードも購入...『マリリン・モンローの真実』という御本に出会う。一気に読み終え、その時からやっとマリリン・モンローが好きになり今も深まるばかり。生まれ持った曲線美の肢体は幸か不幸か。
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1926年6月1日~1962年8月5日という僅か36年の生涯。未だに謎に包まれた死。書かれたものも全てを鵜呑みにできないように想う。色々と”真実は?!”と詮索したところで戻っては来られない。”ロリータ”ということを考えた時にどうしても浮かぶお方。おそらく、マリリン・モンローは”少女好き”の方々の蚊帳の外におられると感じている。セックス・シンボルとしてのマリリン・モンローばかりが誇張される。映画を観ているだろうか、彼女の屈託のない笑顔を見逃している。マリリン・モンローは孤児である。父親の顔も知らない(一度だけ写真を見たことがあるというものを読んだけれど)。母親は産んですぐにマリリンを近所の人に預けたという。その母親もマリリンが9歳の時に精神を患い入院。その間だけでも10数回程養家を転々と...ノーマ・ジーン・ベイカーの時代。この不遇な少女期はいくら世紀の大スターとなれども付いて廻る。クラーク・ゲーブルに似ていたという父親。そのクラーク・ゲーブルと共演した『荒馬と女』は共に遺作。どんな気持ちで撮影していたのだろう...。私は幸運にも両親の愛情をいっぱいに育てて頂いた。そして過度のファザコンのよう。なので、どんなに哀しく孤独だっただろうと想う。その孤独を想像しただけで居た堪れない。想像を超えるものだっただろう。16歳で最初の結婚と離婚。アーサー・ミラーとの3度目の結婚が一番長く続いたけれど破局。イヴ・モンタンとの浮気もありシモーヌ・シニョレは辛い思いをした。ジョン・F・ケネディ大統領、弟のロバート・ケネディとの噂。30代半ばになっていたマリリンは何か迫り来る危機感に覆われていたようだ。女ざかりなのに、歌も歌えて色んな役をまだまだ演じられたのに。アメリカという国のシンボルでもあり、またベトナム戦争へと突入する狂気のアメリカという時代。自殺とも他殺とも憶測されるけれど、やはりあの狂気の時代がマリリンを死に追いやったのだろう。天衣無縫なイノセンス。これこそ、マリリン・モンローの生まれ持った最大の魅力だと想えてならない。スカートを翻す姿は画期的だっただろう。でも、そんな場面が無くてもとても可愛いお方だしコメディも楽しい。上手く纏まらないけれど、表面的な少女愛好から離れたところにこのお方は永遠と存在する私☆
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by claranomori | 2008-11-12 20:54 | 少女イコン・不滅の少女
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しつこいようだけれど、私はファム・アンファンな女性が好きなようだ。でも、対極に位置するかのような大人の女性にも憧れる...なので行ったり来たり。しかし、不思議な連鎖ですべては繋がり絡み合いニアミスも多い。”フレンチ・ロリータ”という特集号が組まれたりするのをこれまでに幾度か雑誌等で拝見しているし大喜びなのだけれど、この場合の年齢は20歳を超えていることが多い。既婚で母親でもあるお方も多い。私は10代後半からこのようなことをずっと何故か気にして生きている...実は気楽ではないのだ。気楽である時もあるけれど、直球が心臓に直撃したかのような、あるいは刺さったまま抜けない摩訶不思議な矢に気付き痛くなる。大袈裟なようだけれどこんな感じ。それでも、まだまだ何も分からないしどうなるのかも分からない。好きなのだから愉しいことではある。

1959年にシモーヌ・ド・ボーヴォワールがアメリカの『エスクァイア』誌に依頼を受け書いた論文が『ブリジット・バルドーとロリータ症候群(Brigitte Bardot and the Lolita Syndrome)』。その鋭敏な指摘に幾箇所にも頷き嬉々とする。ウラジミール・ナボコフの『ロリータ』が発表された1955年の翌年、ロジェ・ヴァディム監督が当時妻であったBBを主役に『素直な悪女』(BBの主役第一作目)を世に送る。非難轟々がかえってヒットにも繋がったようだ。そんな中、フランソワ・トリュフォーだけは高く評価していたという。当時のBBの魅力を的確に表現した好きな文章がある。山田宏一氏の翻訳されたものから以下に記させて頂こうと想う。

ブリジット・バルドーは、まさに、多義性をそなえたとらえどころのない妖精、つまり悪女的な要素のある純真なお転婆娘の最も完璧な見本なのである。そのひきしまった筋肉質のダンサーの体つきは、うしろから見ると、両性具有的(アンドロギヌス)な感じですらある。女らしさはその輝かしいバストに勝ち誇っている。城の塔の窓辺でほどいた髪を梳いているとその長い髪が塔の壁に光の束のように流れてペレアスの目をくらませるメリザンドさながらの長い房々とした官能的な髪が彼女の肩先まで乱れかかっているが、そのヘアスタイルたるや、まるで手入れなどしていない浮浪児の頭のようなだらしなさだ。くちびるの形はすねた男の子が口をとがらせているみたいだが、またそれはキスをしてみたいという気を起こさせるくちびるでもある。彼女は裸足で歩きまわり、おしゃれっぽい衣服や宝石やガードルや香水や化粧といった人工的なものをすべて鼻先であしらう。にもかかわらず、身のこなしが淫らで挑発的なので、彼女の踊る姿を見るだけのために聖人は悪魔に魂を売るにちがいない。彼女の顔にはたったひとつの表情しかないとよくいわれる。たしかに、そこには外の世界がまったく反映されず、また内面の動揺のようなものもあらわれない。しかし、そうした無関心の表情はいかにも彼女にふさわしい。BBには経験というものの痕跡すらない。たとえ彼女が『可愛い悪魔』のヒロインのように無軌道に生きたとしても、人生の与える教訓はあまりにも混沌としたものだったので、そこから何も学び取ることができなかったのだろう。彼女には記憶もない、過去もない。そして、その無知のおかげで、彼女は神話的な子供時代にのみ属する。あの崇高なる無邪気さを、完璧なる無垢を、保ちつづけているのである。
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素敵なお言葉である!私は特に思春期の頃などは、この天真爛漫なBBやマリリン・モンローをグラマーなイメージのみで敬遠していた。ところが、映画を観るとすんなりと魅了されてしまうのだった。BBは多くの女性たち、才女マルグリット・デュラスやココ・シャネルたちからも非難をも浴びた。私はそれも納得できるのでとても複雑な気持ちが入り混じる。でも、 ボーヴォワールの指摘するようにあの踊る姿、裸足にバレエシューズ、あの淫らな髪とくちびる(キスしたいとは想わないけれど)は魅力的過ぎる。”フレンチ・ロリータ”という幻想がBBから始まったとしたら、銀幕のスターである最初のロリータはマリリン・モンローだと想えてならない。清生たる永遠の妖精であるオードリー・ヘプバーンも忘れてはならないけれど、BBやオードリーは許されるのにマリリン・モンローは軽視する人々(女の子たちに多いのかも)がいる。それはずっと彼女の背負った宿命のようなものなのかもしれない。不満もあるけれどラッセル・トレイナーの『ロリータ・コンプレックス』でのマリリン・モンローの検証には深い哀切と共に、ナボコフの”ロリータ”以前に実在していた少女ローを想う。なかなか纏まらないので、ひとつの記事では想いも上手く綴れない。なので、まだまだ続く...果てなどいらない放浪のようでもある☆
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by claranomori | 2008-08-06 07:33 | 少女イコン・不滅の少女
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ジーン・セバーグ(1938年11月13日~1979年9月8日)は、ゴダールの『勝手にしやがれ』(1959年)が一番に語られる作品だと想う。私も勿論好き!でも、当時18歳~19歳だったジーン・セバーグはフランソワーズ・サガン原作の映画化『悲しみよこんにちは』(1957年)でセシル役を演じた。以前にも少し綴ったのだけれど、どうしてもジーン・セバーグが好きで、どうしてもセシルが好き。セシルは17歳。私もそんな歳の頃に読んだもの。そして、此処でつらつら綴っている中でいつも立ち止まるところ、それは少女期(思春期)の心の揺らぎであり、その時だけの心の襞。とても不安定で暴走したり臆病になったり...でも儚く過ぎ去る刻。"少女幻想”と言っても童女(幼女)を愛しく想う気持ちとはまた違うもの。また、よく”フレンチ・ロリータ”という特集が組まれたりする。気になるので見たり買ったりするのだけれど、多くは男性が描く幻想であり、私は愉しく頁を眺めながらもちょっと違うニュアンスで脳内に絡まり合う美少女~ロリータ~ファム・ファタルな百花繚乱絵図を整頓しようとしてしまう。線引きは微妙なのでくっきりとはゆかないけれど、あれやこれやと鑑賞しては想いを巡らせ此処に綴ってゆく。
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ジーン・セバーグはアメリカ・アイオワ州出身のアメリカ人ながら、フランス映画との係わりが大きい。小柄で華奢な体型と当時流行した”セシル・カット”のボーイッシュな髪型は永遠なのだろう。本来は髪は長いお方だったけれど、デビュー作の『聖女ジャンヌ・ダーク』(1957年)の役柄の為に髪を切ったのだそうだ。この映画は未見なので是非!いつの日にか観てみたい。主演第二作目となる『悲しみよこんにちは』のセシルの気持ちが痛いほどに分かる!と先ずサガンの本を読んだ時に想った。私の境遇とは違うけれど、父に対する気持ち、父と娘という関係に他者が入り込む余地はない...とあの年頃なら。ましてや、素敵な美人の淑女(美しきデボラ・カー演じるアンヌ)に父(これまたお気に入りの英国の名優デヴィッド・ニーヴン)を奪われてしまうような乙女心。時は戻らない。過ぎ行く時間と想い出はセピア色になれども心から消えはしない。
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国際的に活躍されていたお方なので、40歳での謎の死(パリの車の中での変死だった)を憶測するよりも惜しい気持ちが大きい。バート・ランカスターと共演の『大空港』でも見事だった。もっと年老いたお姿での役柄も幅広く演じることができたお方に想う...。ソフト化されていない作品も多く残念だけれど、晩年のフィリップ・ガレルの作品、あるいは政治的な介入...何か運命のいたずら、きっとそんな星の下に生きたお方なのかもしれない☆
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by claranomori | 2008-06-16 03:06 | 少女イコン・不滅の少女
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リリアン・ギッシュが好き!当然の如く”少女イコン”☆リリアン・ギッシュ(1893年10月14日~1993年2月27日)は約1世紀を生き子役時代(5歳頃)から舞台出演、映画デビューは1912年の『牧場の花』(未見)なので18.9歳頃。生涯独身を貫き女優に生きたお方。私は年老いたリリアン・ギッシュのお姿からどうにか一緒に時を歩めた、それだけでも嬉しい。私如きがこの女優さまを語るには畏れ多いのだけれど、可能な限り古い作品も観ている過程に今もある。サイレント期のソフト化されていない作品、またトーキー時代になりグラマーではないリリアン・ギッシュはお払い箱のようになる。でも!スクリーンから舞台に活動の場を移していた。そんな時期に演じた”ハムレット”の舞台などを想像しうっとりするのが精一杯ながら、今も私に夢を与えてくださるのだ。なんて!素敵なことだろう♪
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多くのお写真に写る可憐なお姿、特に瞳が大好き!スクリーンに戻って来てからの母親役や祖母役ではカラーの映像。年老いても可愛いお方でどこか凛とした美しさをいつも感じていた。初めて観た作品はロバート・アルトマンの『ウェディング』。大好きな映画のひとつであり、アルトマンお得意の群像劇でお婆さん役だった。『許されざる者』も大好きな作品で、オードリー・ヘプバーンとバート・ランカスターのお姿と共に今も浮かぶ。そして、『八月の鯨』でのベティ・デイヴィスとの共演の姉妹...老いても乙女とはこのようなお方のことではないだろうか!と穏やかな気持ちになれるのだ。『國民の創生』や『イントレランス』を初めて観た時の驚きは喩えようがない!また、『散り行く花』で演じた15歳の少女ルーシー役(22歳の頃)...ああ、泣けてくる。薄倖の乙女の姿は詩情溢れるもの。私は”詩”がとても好きなのだけれど、日本だと大正時代のこの作品に何か郷愁を抱いてしまう。なので映画が好きなのだろう。知らない時代、異国なのに...♪妹のドロシー・ギッシュと共演した作品(『嵐の孤児』)もあるし、お写真でしか知らない『風』や『白鳥』も是非観たいと願っているところ☆
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by claranomori | 2008-02-20 23:39 | 少女イコン・不滅の少女
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フランソワーズ・アルディは1944年1月17日のパリ生まれの山羊座(ボウイ様もマリアンヌ様も同じで何故だか憧れの星座だったりする、単なるミーハー♪)。今なお!フランスを代表する素敵なアルディ♥私は”フランスの歌手”というと、このアルディから入ったもので、とてもとても大好き!!なので、想いは果てしなく、上手く綴れそうにもなく、ドキドキする...。少しずつ、好きなことを綴ってゆきたいのでやっと今頃カテゴリーを設置。此処では60年代から70年代初頭辺りまでのお若い頃のものを。それ以降は『音楽と映画の宝石箱』にて(こういう作業って、きっと死ぬまでというか指先が動くまで続けても限りないようにも想う...まあ、それも愉しい!)。
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フランソワーズ・アルディというと、最も有名な曲は『さよならを教えて(Comment te dire adieu)』ではないでしょうか。フランス・ギャルやシルヴィー・ヴァルタンと大きく違うのは、アルディは英語圏での人気がとても高いお方でもある。60年代からそうで、アメリカでも英国でもあのフランス語訛りのキュートな英語で歌われた楽曲たち・アルバムが幾種類もある。歌手であり、シンガー・ソングライターでもあるので多くの楽曲は自作。日本でも松任谷由実(ユーミン)や五輪真弓という方々にも早くから影響を与えておられるアルディ♪”アンニュイ”という言葉、物憂げな寂しいトーンは歌詞やメロディ、そして歌声と共に私を魅了し続けている。”ギターを持つ少女”としても鮮烈だった!また、奇抜で斬新なスタイルのファッションも好き。そして、アルディが時々カバーする曲のお陰でその原曲を聴きたくなり、そのアーティストを知ることにもなった...多くの私の思春期に出会ったアーティスト方は今もずっと心の中に居る。住人なのだ。自分では分からないけれど年月の経過、私の人生の傍らにずっと一緒に居てくださるのだと想う♪

※やっと大好きなアルディさん!こんな調子ですが気長にこれからもよろしくお願い致します。いつもご覧くださっている皆様ありがとうございます☆
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by claranomori | 2008-01-10 23:42 | 少女イコン・不滅の少女