あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:シャンソン・抒情の浪漫( 10 )

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すべての子供たちに

四月の霧たちこめた朝に
背嚢を背にして発った、すべての子供たちに
私は記念碑を作りたい
苦悩に満ちた眼差しを下げ
背嚢を背にして泣いた、すべての子供たちに
私は記念碑を作りたい

引用: 詩:ボリス・ヴィアン 訳詩:永瀧達治

★好きである故になかなか想いが書けない、纏まらないことも多い。このボリス・ヴィアンについても然り。けれど、少しずつ書いてみよう。フランスという国は諸外国の中でもやはり一等好き。理由は色々あるけれど、映画とシャンソンやフレンチ・ポップスに少女の頃から親しんで来たからだろうと想う。ボリス・ヴィアンはシャンソン作家、歌手、トランペット奏者、作家、俳優...と数多くの肩書がある(当のご本人はそんなものに執着はなかっただろうが)。フランス現代文学史にも名を残すお方であることは間違いないけれど、インテリならではの遊び心というのか、風刺や揶揄、虚構の態を取って表現するので、迂闊にはゆかない面白さがある。その系譜はセルジュ・ゲンスブールへと踏襲されて行ったようにも想う。

ボリス・ヴィアンに関する書物や訳詩、解説などは永瀧達治氏のものに親しんでいる。私の場合、ボリス・ヴィアンに限らず、フランスの音楽というと永瀧達治氏の影響はとても大きい。後に色々とお世話になってゆく事等は想像すらしてはいなかったけれど。以下の永瀧達治氏の言葉はとても心に残っている言葉で、今の私にとって重要な言葉でもあるようなのです。『すべての子供たちに』は色々な歌手の方々が歌っていますが、ジョーン・バエズもフランス語で歌っている素晴らしいものがありますので聴いてみてください。

ボリス・ヴィアンの本領は「普通の人がそうであると考えることに対して、本当にそうであるのか?」と考えることから始める。

行き着くところまで来た感のある日本の嘘の「豊かさ」と嘘の「民主主義」の中で、ボリス・ヴィアンの精神は現代の若者たちには理解されにくいものでありながら、だからこそ、彼らが待ち望んでいる「あるきっかけ」なのではないかと考えるのは単なるファンのはかない期待なのであろうか。

永瀧達治


●ジョーン・バエズが『すべての子供たちに』をフランス語で歌っています♪

★上記の言葉は、日本の嘘の「豊かさ」と嘘の「民主主義」という中でぬくぬく生きて来た私の心を打つのです。憂国への道は先輩方はとっくに感じていた。母子がこの経済大国日本の中で餓死してゆく。何が豊かさだろう。新自由主義なるアメリカに依存するような属国的な日本はいつ脱却できるのだろう。戦後レジームからの脱却はいったい。間もなく東日本大震災から一年になる。TPPだってすべてアメリカ主導ではないですか。その点、中国の態度の方がずっと真面に想えた。一部の投資家や企業のお金持ちの方々は良いようですが、一般庶民、就職も見つからない若者たち、子供たちのことを考えたら、先ず、日本の国内優先であるべきなのは私にだって分かる。フランスという国は戦勝国ながら長い間ナチス・ドイツの占領下であった時代がある。その時代は様々なフランス映画の中で描かれ続けている。日本は敗戦国となりGHQの占領下に置かれた時代。そんな時代があったことを知らない人も多いけれど、当時を知らない私ながら、やはり腑に落ちない。もういい加減よいのではないだろうか。日本が日本であるために日本として真の自立をしても。1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約により日本が主権回復した日から60年を迎える今年がその年になればと願います。
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by claranomori | 2012-02-29 10:31 | シャンソン・抒情の浪漫
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★ジャンヌ・モローはフランスを代表する大女優であり名女優であることは誰もが認めることでしょう。お若い頃のあのへの字な口元は好き嫌いの別れる点でもあるようです。私はフランソワ・トリュフォー監督作品がとても好きで、嫌いな作品は一つもないのです。ジャンヌ・モロー主演映画で最初に観た作品もフランソワ・トリュフォー監督作品で『黒衣の花嫁』(随分以前にこのブログを開始以前に書きました)。今現在も国際女優として現役で活躍されていることがとても嬉しいです。知的で品格のある老女役が最近は多く、皺がいっぱいのあの笑顔を拝見すると、つい心が綻びます。恐縮ながら、"なんて!可愛いのだろう!"と。素敵なジャンヌ・モローです。そして、「歌う女優」というと、やはり、ジャンヌ・モローは直ぐに浮かぶお方です。映画の中で多く演じてこられた悪女の姿とは違った、軽やかで優しい歌声もまた大好きです。今日は1961年のフランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく ジュールとジム』の中で、ジャンヌ・モローが歌う名曲『つむじ風』(Le Tourbillon)を♪

『つむじ風のシャンソン』は撮影が始まる前からずっと好んで口ずさんでいたのです。非常に予算も少なく、また少ないスタッフで撮られましたので、録音技師もいませんでした。『つむじ風のシャンソン』を録音したときだけ、臨時で録音技師を雇ったぐらいだったのです。
by ジャンヌ・モロー



ジャンヌ・モローという女優に捧げられた映画であると同時に、ジャンヌ・モローという女優にトリュフォー監督の女のイメージのすべてを結晶させた映画でもある。トリュフォーは30歳、ジャンヌ・モローは34歳であった。
by 山田宏一

『突然炎のごとく ジュールとジム』という邦題はリバイバル公開時からのものです。日本での初公開時(1964年)は『突然炎のごとく』だったようです。
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by claranomori | 2011-12-22 20:30 | シャンソン・抒情の浪漫
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★クロード・ルルーシュ監督映画のファンである私は、10代から20代頃、よく映画のお話をしていた友人にからかわれたものです。甘ったるいメロドラマ云々ということでした。ところが、私は歳を重ねる毎にルルーシュ作品を愛好して行き今も大好きです。最も有名なクロード・ルルーシュ作品というと、やはり『男と女』(1966年)でしょう。テレビで観た折は10代なので、この大人の愛の物語よりも、美しく物憂いアヌーク・エーメにうっとりで、ジャン=ルイ・トランティニャンも素敵ながら作品を追うごとに好きになって行ったという感じ。兎に角、アヌーク・エーメに尽きる!という第一印象の映画でした。主題歌、挿入歌を歌い、映画にも出演していたピエール・バルーは、アヌーク・エーメとこの映画を機にご結婚。直ぐにお別れしたのですが、その事実(ご夫婦だった)を知った時は少し驚きました。
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私の洋楽に目覚めてからの嗜好は、大雑把に云うと「耽美系ロック」と「女性ヴォーカル」で、今も好きな心の音楽のルーツである10代の頃聴いていた音楽たちから多大なる影響を受けて来たのだと想います。この『男と女』のサントラを聴くのはさらに後のことですが、主題歌であった『恋のデュエット(UN HOMME ET UNE FEMME)』は印象強く残りました。歌っているのはピエール・バルーとニコル・クロワジール。楽曲はピエール・バルーとフランシス・レイによるもので、クロード・ルルーシュ映画に欠かせないお二人でもあります。其々、偉大な方々なのでまた追々に♪

ふたりの声は 
低く歌う
ふたりの心にうつるものは
しあわせの影
希望の光
ふたりの声はうたう
そしてふたりに信ずる心が生まれる
もう一度すべてが
はじまると
人生は再出発


★映画『男と女』のハイライトと共に♪

男と女/UN HOMME ET UNE FEMME
1966年・フランス映画
監督・製作:クロード・ルルーシュ 
脚本:ピエール・ユイッテルヘーベン、クロード・ルルーシュ
撮影:クロード・ルルーシュ、パトリス・プージェ 
編集:クロード・バロア 音楽:フランシス・レイ
出演:アヌーク・エーメ、ジャン=ルイ・トランティニャン、ピエール・バルー、ヴァレリー・ラグランジェ

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by claranomori | 2011-08-01 21:59 | シャンソン・抒情の浪漫
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★ダリダ(DALIDA)も先述の映画『日曜はダメよ』と同年の1960年に歌われている。ダリダの25cmアルバムに収録されています。またコンピレーション等でも聴けます。私がレコード盤で聴いたのは、メリナ・メルクーリ盤よりも先にダリダ盤でした。ダリダの本名はヨランダ・ジリオッティ(1933年1月17日~1987年5月3日)で、エジプトのカイロ生まれ。ミス・エジプトの美貌を持つので映画から歌手へと50年代にデビュー。波乱の人生!ダリダに魅せられるのは、その美しい妖艶な容姿や歌声と共に、生涯付き纏っていた「死の影」のような運命。美貌のスターであるダリダは恋多き女性でもあり、当然男性たちが常にいた。恋人たちがダリダとのロマンス(お仕事も絡み)の苦悩から自ら命を絶った。心痛のダリダはそれでも多忙で華やかにステージで歌う。1987年5月3日、"もう人生には耐えられない、私を許してください"と書き残し、ダリダご自身も命を絶ってしまった。享年54歳。今はモンマルトルの墓地に永眠されています。

このダリダの歌う『日曜はダメよ』の動画は1972年の華麗なものです♪

ダリダはフランス語での歌が主ですが、イタリア語、スペイン語、英語等も堪能。このギリシャ映画『日曜はダメよ』の同名主題歌を、ダリダはフランス語(曲名は『Les enfants du Piree』)で録音。この10インチ・アルバムの中の『ロマンチカ(ROMANTICA)』と共に当時大ヒットしたそうです。シャンソン・フランセーズ(シャンソンやフレンチポップス)の好きな楽曲や歌手は沢山の私。本業でもあるのでそれらのことも書いてゆこうと想ってはいますが脳内いっぱい状態なので整理しながら。また、ロックも大好き!

シャンソン・フランセーズとかシャンソン、フレンチ・ポップスというとお洒落な音楽のように響きますが、猥雑でけれど文学的なフレンチ・ロックも数多いです。最近分って来たことですが、私の好きな音楽は基本的にロックとシャンソンと映画音楽のようです。かなり映画との絆も深いです(シネ・ジャズやボサノヴァ等も)。音楽好きになったきっかけは、中学生の頃にビートルズからジョン・レノン、デヴィッド・ボウイ、ケイト・ブッシュとイギリスのロックから。そして、高校になってブリジット・フォンテーヌ、フランソワーズ・アルディ、ジェーン・バーキンのフレンチ・ポップスに出会いました。挙げたお方たちと途中からながら同じ時代を生きている私(ジョンの死だけは格別な想いが今もあります)で幸せです。80年代の音楽と平行してキャリアのあるお方のレコードを聴き始め、今もそんな日々が継続されています。ダリダを知ったのはアラン・ドロンとデュエットされた『あまい囁き(パローレ・パローレ)』(1973年)の曲でした。母が持っていたアラン・ドロンのレコードを今は私が持っています。愛しき両親からの授かりものも、いつまでも好きな世界と一緒に色褪せないのです。これも、私には心の財産だと感謝しています。イヴ・モンタンが歌手であることも母に教えてもらわなければ、もっと聴くのが遅かったかも。その母経由での私の最初のフランスの音楽は、実は歌手ではなくイージー・リスニング界の巨匠!ポール・モーリアです♪
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by claranomori | 2010-11-18 12:04 | シャンソン・抒情の浪漫
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★バルバラの絶頂期の世界にたった一つの陶器のような「声」は唯一無二!シャンソンにも様々。バルバラのお声の肌理と室内楽のような美しい楽曲たち。これはバルバラだけの世界。珠玉の作品群はいまなお私の心を震わす。

「私の好きなうた」 
バルバラ(BARBARA)/ナントに雨が降る(NANTES) 
バルバラ!孤高な気高き旋律。優雅な気品と激情を合わせ持つ神秘な声。初めて、この声に出会った作品にこの曲が入っていました。そして、歌詞の内容を後に知りいっそう好きになった曲です。今まで母から聞かされていたシャンソンというイメージとは赴きの違う、美しいピアノの調べとバルバラの吐息と声に圧倒されたものです。間違いなくこの曲は、シャンソンの名曲の一つとして永遠に語り継がれて行くものでしょう。ユダヤ人であるバルバラの歌手デビューは平坦な道のりではありませんでした。この曲を発表した時、既に30代半ば。60年代のバルバラの声はあまりにも繊細で艶があり、このような悲しくも美しい曲がよく似合います。この室内楽とでも言えそうな、バルバラならではのシャンソン世界を見事に表現していると思います。この曲と出会って10年余り経ち私の父も亡くなりました。今でもこの曲を聴くと悲しくなるのですが同時に私の心を落着かせてもくれます。このピアノとバルバラの声の震えだけで充分な比類なき名曲!私にとっての生涯大切な一曲だと思います。

上記のものは、2000年初め頃に「私の好きなうた」として、バルバラの『ナントに雨が降る(NANTES)』について書いたものです。80年代育ちのバブル時代の日本でお気楽に生きて来た私が、バルバラのような激動の時代や体験を経てまるで「生きるために歌い続けた」ようなお方の心の葛藤など到底分る筈は無い。早い別れだとしても両親の愛をいっぱいに受けて育った私には。けれど、もうこの世に居られないバルバラの残された音楽、お声を聴き続けている。「バルバラを聴きたい」と呼ばれるかの如く聴き返し続けている。私の聴く時の心境によって多少は異なるけれど、初めて聴いたあの瞬間は色褪せることはない。読書に「熟読」と「濫読」という形容があるように、音楽を聴く、音楽に向かうことはただ「音を楽しむ」だけに留まりはしない。たかが音楽、されど音楽なり。向き合うことで見えないものが見えることもある。衝撃的な出会いに心苦しくなることだって。バルバラの正しく珠玉の楽曲たちの中には「死」がいつも隣り合わせに居る。ペシミズムを否定的に私は想わない。そんなことをバルバラが教えてくださったようにも想う。辛い現実を生きてゆく為のペシミズム。『孤独のスケッチ(LE MAL DE VIVRE)』というタイトルなど正しくその表れに想う。バルバラの歌手としてのデビューは決して早くは無い。既に人生の苛酷さ、世界の狂気を体験されていた。なので、自作曲を歌い始めてから最期までご自身の曲たちは私たちに向けての曲でもあり、バルバラご自身のためのシャンソンであり続けたのだとも想う。オリジナル・アルバムは全部聴いているけれど、まだまだ聴き続けないと納得がいかない。アルバムを一通り聴いただけで聴いた気にはなれないのだ。とても大好きなアーティストは皆そのように想う。これも修行のようだ。

ご自身の曲を歌われる以前はジョルジュ・ブラッサンスやジャック・ブレルの曲を歌われていた。私が生まれる以前の作品。その頃からバルバラは「黒」のイメージ。そして真っ赤な薔薇のお花も。そして、「孤高の麗人」であるので誰とも比べることなど出来ない存在として、また決して太ることもなかった。世界にたった一つの至宝のようなあのお声。次第に高音が出なくなってゆく時期のアルバムだって大好き!バルバラはただお上品なシャンソン歌手ではない。その潰れてゆくお声でロックへと向かう。私があるアーティストの生涯の作品を通じて「ロックもシャンソンも好き」で居られるお方はそんなに多くは居られない。70年代のフランソワ・ヴェルテメールとの作品を知った時、私はプログレという流れでヴェルテメールのアルバムを聴いていた。バルバラのアルバムでその名を見つけた時は嬉しかった。バルバラの歌に情念のようなものが色濃く刻まれてゆく頃にも想う。「天は二物を与えた麗人」のお一人であるバルバラ。けれど、これ程までにその二物以上の壮絶な哀しみをも背負っておられた麗人は知らない。想うまま独り言のように書いている。後から読むといつも訂正したくもなるけれどこれが今の私の心。畏れ多い存在のバルバラなれど、好きな楽曲のことなど、追々にと想う。私の棺には必ずバルバラのレコード・ジャケットを添えて欲しいと想っている。まだまだ生きるけれど☆
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by claranomori | 2010-02-04 11:36 | シャンソン・抒情の浪漫
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★イヴ・モンタンが大好きです!あらためて考えてみれば、歌手として、また俳優として、共に名曲&名作を多数残されたお方で、さらに国際的スターであり、なおかつ本物の歌手であり俳優であったお方。俳優業の片手間に少し歌も歌うとか、歌手を本業にしながら少し映画にも出演される有名人は多く居られる。けれど、共に本物であり、かつ生涯に渡りスターであり続けたお方はそう多くは居られない。フランスではモンタンが随一であろう!映画の遺作であるジャン・ジャック・ベネックス監督の『IP5』は再見すると悲しくなる。モンタンの歴史は長くなるので追々にと想う。好きな曲や出演された映画は多数あるけれど、今日は粋なリズムで素敵なモンタンの歌声、フランシス・レイとピエール・バルーによる楽曲『自転車乗り(LA BICYCLETTE)』を。1981年の「オリンピア」での13年ぶりとなるコンサート映像より。チケットは発売と同時に完売であったという。素晴らしい!




花が自然のものであるように、シャンソンは人間のものといえる。それは、可憐にして純粋な表現で、情熱という嵐、感情という雷雨、怒りという大風、優しさというそよ風、愛の風・・・・・・・といった心の変化に晒されている。希望、苦悩、歓喜、抵抗、不安がそこに表現されるシャンソンは、人間でもあるのだ。

今日は微笑みを、明日は厳しさを、往々にして気紛れで、時には狂ったように・・・・・・・シャンソンは泣き、笑い、情熱に燃え、踊り、そして思考する。数多くの秘密を分かち合った友人でもあるのだ。

バラの花がいつまでも愛されるように、シャンソンも永遠である。その要素である美しさ、優しさ、そして希望が永遠なのだから。

イヴ・モンタン

この素敵なお言葉はモンタンが残されたもの。「シャンソン・フランセーズ その栄光と知られざる歴史」(著:ピエール・サカ/序文:イヴ・モンタン/監修・訳:永瀧達治)より引用させて頂きました。

★私はどういう訳か、洋楽が好きになり最初は英国のロックやポップスに夢中になっていた。体が弱くなかなか子供が産まれなかったという母が私を産んでくださった。当時では高齢出産という時期のこと。なので、私の両親と私の世代は大きく違っていた。けれど、そのことがいつの間にか私には学びとなってゆき今に至り継続中。映画好きの両親と一緒に古い映画をよく観た。お陰で私は同世代の作品と古い映画を平行して愛好するようになった。音楽も同じように、無意識のうちに、あるいは運命的な出会いのようなレコードたちを聴き続けている。それらに国境はない。アイドルやポップ・ミュージックも大好き!

文学も同じようにフランス文学が特に好きらしい。けれど、英国文学やドイツ文学に大好きな作家が幾人も。国籍や言語をあまり意識しているつもりはないけれど、何故だか「シャンソン・フランセーズ」は相性が良いのか心が安堵する楽曲が多い。母の持っていた古いレコードをなんとなく聴いていた頃から、意識的に自分でも購入するようになったのは80年代の初め。ヨーロッパのニュー・ウェイヴの音楽を聴きながら。リオやヴァネッサ・パラディ、シャルロット・ゲンズブールやエルザ、ミレーヌ・ファルメールやパトリシア・カースたちが大好きで聴き入っていた頃。ブリジット・フォンテーヌ、バルバラ、フランソワーズ・アルディは既にキャリアの長い方々であった。英国のマリアンヌ・フェイスフル、ドイツ人だけれど無国籍な佇まいの孤高のニコも同じく。

イヴ・モンタン!本当に素敵で大好き。俳優だと想っていたのに、歌手としても偉大なお方だと知ったのもそんな頃。初めて観た映画は『戒厳令』。政治映画でとてもシリアスな作品から知った。劇中の苦悩する渋い表情に魅せられた。そして、今でも「好きな男優」の指折りに必ず入るお方。モンタンの出演作品は結構観ることができている。作品によって様々なモンタンの魅力がある。晩年のモンタンも大好き!額の皺や白くなった髪は長い芸能生活、「イヴ・モンタンの軌跡」である。両親と私が一緒に鑑賞したり、魅せられたお方のおひとり。なので、私のあの時、あの頃が共に蘇るのである。そして、愛する両親との想い出も。みんな、もうこの世に居られないけれど、私の心の中にはずっと、いつまでも。
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by claranomori | 2010-01-20 10:55 | シャンソン・抒情の浪漫
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1991年のベルギー映画『トト・ザ・ヒーロー』が大好き!この映画は不思議なファンタジー映画。監督はジャコ・ヴァン・ドルマル。劇中で効果的にこの『ブン』が使われている。この映画のことは以前少し触れています。此方では本家のシャルル・トレネの古い映像がありましたので掲載させて頂きます。

1938年のシャルル・トレネによる作詞・作曲。同年、映画『輝ける道』(ピエール・カロン監督)の中でご本人が歌われているのだそうですが未見です。"チク、タク、チク、チク”や”ピク、パク、ピク、ピク”、そして”ブ、ブン!”と僕らの心が鳴る。この擬音語と軽快なリズム、愉快な歌声が好きです。「シャンソン」にも色々な名曲が沢山ありますが、このようなファンタジックなシャンソンも魅力のひとつです。

モノクロの美しい舞台で心和みます。優美な時代に夢を馳せて♪



シャルル・トレネ:CHARLES TRENET  
1913年5月18日生まれ 没年:2001年2月19日

★第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍され、多くの名曲を残された「シャンソン」というと欠かせないお方のおひとり。私の個人的な好みですが、幾つものお写真を眺めていると、その朗らかなクルクルした瞳の輝きが好きです。「シャンソン・ファンテジスト」の代表的なお方でもあります。あと、帽子姿が多いです。

ベスト盤などに必ずと云ってよい程、収録される名曲に1937年から1938年録音ものが多く、「喜びあり(Y A D'LA JOIE)」「青い花(FLEUR BLEUE)」「王様のポルカ(LA POLKA DU ROI」「ラ・メール(LA MER)」「メニルモンタン(MENILMONTANT)」「ブン!(BOUM)」「私はうたう(JE CHANTE)」...と大変な時期です。その後も「残されし恋には(QUE RESTE-T-IL DE NOS AMOURS)」「詩人の魂(L'AME DES POETE)」他多くの名曲があります。

幼少時から曲を書いていたそうですが、15歳頃にドイツ(ベルリン)に留学されています。美術の勉強をされており絵を描いてもいたそうですが、その道ではなく歌の世界でチャンス到来!そのきっかけとなるお方にマックス・ジャコブとの出会いや映画があります。シャルル・トレネとしての前に「シャルルとジョニー」というコンビで活動されていました。同年代のジョニー・エスというスイス出身のお方と。

けれど、戦争という時代もあります。兵役中にも曲を書いていたそうです。『歌う狂人』とも呼ばれる由来は、その在隊中に軍服とも平服とも云えぬ奇妙な格好で町に出向いて歌っていたのを、楽譜出版社のラウル・ブルトンが見初めたことによるものだそうです。愉快なお方です。

そして、モーリス・シュヴァリエやジャン・コクトーの存在も欠かせません。「メニルモンタン」はシュヴァリエに捧げられた曲です。

初期のおおまかな軌跡です。

※去年綴ったものです。私は「シャンソン・フランセーズ」という大きな枠組みでの音楽がやはり好きです。そして、音楽と同等に大好きな映画や文学との繋がりが強い曲が数多くあります。それらはフランスに限りません。音楽と映画が対を成して私の心に刻まれている曲たちのことも、気ままに綴ってゆこうと思います♪
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by claranomori | 2010-01-20 09:55 | シャンソン・抒情の浪漫
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★『シャンソンの悲劇女優』と謳われたシャンソン歌手のダミア(本名はマリー・ルイーズ・ダミアン)。映画にもなった『暗い日曜日』や『人の気も知らないで』も大好きだけれど、この『かもめ』は寺山修司や浅川マキの世界と共に私の心に浸透し続けている曲。悲哀のドラマが3分弱のシャンソンの中にある。どこの海だか分からないけれど、遠い異国の知らない時代。でもその海は今も存在するだろう。海で死にゆく船乗りたちの魂とかもめが対になる。死にゆく船乗りたちの声であるかのように、暗い空の下を飛び回りながら信心深い魂を集め悲しい声で啼いている...物悲しくも美しい!こんな悲哀がたまらなく好きで仕方がない。ダミアが歌ったことで有名になったけれど、オリジナルは1905年のリュシアン・ボワイエ(お美しいリュシエンヌ・ボワイエというシャンソン歌手と名が似ています)。英国で舞台出演をした後にフランスに帰国し、1911年頃から歌い始め40年余り歌手として活動されたという、シャンソン・レアリストの代表的なお方。黒い衣装に身を包み暗いステージにはスポットライトのみだったという。また、第二次世界大戦という時代背景もとても重要。先述のジャン・ドラノワ監督の『ノートル=ダム・ド・パリ』にも出演されていたけれど、シャンソンとフランス映画の絆はとても深いもの。このカテゴリーはまだまだゆっくり続く予定です♪


海で死にゆく船乗りたちは
苦い海の底に投げ込まれる
まるで石のように、
不信心なキリスト教徒たちと共に
天国へはゆかないのだ
天使長聖ピエールに会うことなどはできないのだ

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※このお写真は白いドレス姿ですが、一時期黒いお衣装から変えた時期があったそうです。でも、黒いドレスにまた戻されたとのことです。暗いイメージの曲のダミアですが、軽やかなシャンソンもあります♪
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by claranomori | 2009-07-18 22:51 | シャンソン・抒情の浪漫
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ギョーム・アポリネールの有名な詩のひとつ『ミラボー橋』は、楽の調べと共に記憶されている。私の世代ではない時代の詩であり曲。これらの古き時代の詩情、情感というものが好き。なので、時代の流れも気にならず、すっかり疎くなっているけれどこれで良いと私は想っている。『ミラボー橋』というシャンソンはイヴェット・ジロー、日本でも石井好子さん他、今も多くのお方が歌い継いでいるけれど、やはりレオ・フェレが好きかな。レオ・フェレはアポリネールに限らず、ヴェルレーヌやランボー、ボードレール、ルイ・アラゴン...と多くのフランス詩人の詩に曲をつけて歌ったお方。文学シャンソンと呼ばれるもの。素敵な芸術遺産だと想う☆

『ミラボー橋(Le Pont Mirabeau)』

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す 悩みのあとには楽しみが来ると

日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る

手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
こうしていると
二人の腕の橋の下を 疲れたまなざしの無窮の時が流れる

日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る

流れる水のように恋もまた死んでゆく
恋もまた死んでゆく
命ばかりが長く 希望ばかりが大きい

日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る

日が去り 月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰ってこない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる

日も暮れよ 鐘も鳴れ
月日は流れ わたしは残る

訳:堀口大學

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by claranomori | 2008-07-07 23:41 | シャンソン・抒情の浪漫
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1925年録音のベルト・シルヴァ(Berthe Sylva)のシャンソンの名曲の一つ。『白いバラ』としての表記の方が有名なのかもしれない。今日まで多くのシャンソン歌手の方々が歌い継いでいるけれど、クレシオン(創唱)はこのベルト・シルヴァ。私は世代的にロックやポップス(時に前衛的な音楽も)に慣れ親しんでいる。しかし、これまた母の影響で”シャンソン”という音楽を知る。世紀の大歌手エディット・ピアフが大好きな方だった。ところが、私は当時は(失礼極まりないけれど)ピンと来ず、バルバラやブリジット・フォンテーヌに傾倒していった(今も大好き)。次第にロックやフレンチ・ポップスと同時にシャンソンを聴くようになり今日も変わらない。日本では”シャンソン”と”フレンチ・ポップス”と区別された扱いながら、本来はフランス語で歌われる歌全般(Chanson de varietes)”歌謡”のこと。私のような世代だと、レトロなフランス歌謡をシャンソンと感じるのは仕方のないことかもしれない。”シャンソン”と言えどもいくつかの種類があり、音楽評論家の方々によってもその分類は様々である。この『白いバラ』はシャンソン・レアレストの名曲で、フランスで愛され続け、最も美しいシャンソンの1位に選出(1980年)されたそうだ。

『白薔薇(LES ROSES BLANCHES)』

 それはひとりの小さな パリの少年の話
 その子の身よりといえば母親だけ
 年若く、貧しいその母親は
 悲しみと不幸に沈んだ 大きな瞳をしていた
 彼女は花が大好きで
 ことに、薔薇の花を愛していた
 いたいけなその少年は日曜日ごとに
 自分のほしいものを買うかわりに
 白い薔薇の花を母親にもっていった
 やさしく彼女にだきついて
 花をさしだしながら
 「今日は日曜日だから
 はい、ママン
 大好きな白い薔薇の花だよ
 ぼくが大きくなったら
 花屋に行って
 白い薔薇の花を全部買ってあげる
 大好きなママンのために」

 去年の春
 突然運命はやってきて
 ブロンドの髪の働き者をおそった
 彼女は病に倒れ、そして少年は
 母親が病院に連れて行かれるのを見た
 四月の、とある朝のことだった
 行き交う人々にまぎれて
 体をふるわせながら
 市場に立っていた
 一文無しのあわれな少年は
 すばやくひとつかみの花を盗んだ
 花売りの娘が驚くと
 少年はうなだれて言った
 「今日は日曜日だから
 ママンに会いにいくところだったの
 ぼくはこの白い薔薇の花をとったよ
 ママンが好きだから
 小さな白いベッドの上で
 ママンはぼくをまってるの
 ぼくはこの白い薔薇の花をとったよ
 ぼくの大好きなママンのために」

 心動かされた花売りの娘は
 やさしく少年に言った
 「その花をもっておいきなさい、あなたにあげるわ」
 彼女が少年にキスをすると、彼はかけだした
 人々は晴ればれとした顔で少年を許した
 そして少年は母親に花をあげるために
 病院に走ってやってきた
 するとそれを見たひとりの看護婦がいった
 「あなたのママンはもういないのよ」
 小さな少年は白いベッドの前に
 くず折れるのだった
 「今日は日曜日だから
 はい、ママン
 大好きだった 
 白い薔薇の花だよ
 空の上の
 大っきなお庭に行くんだったら
 この白い薔薇の花を
 もっていくといいよ...」

訳詩:中島三紀 『薔薇色のゴリラ』より


私がこのベルト・シルヴァの歌声を知ったのはフランスのレコード屋さん。90年代の初めのこと。やたらと編集盤など沢山見かけるので安かったのでジャケットの気に入ったものを数枚買って帰った。そして、何だかその歌声に興味を持った。塚本邦雄氏の『薔薇色のゴリラ』という本が好きでその中にこの曲の事も書かれていた。そして、訳詩も載っていて感動した、とても。優しく美しい心に胸を打たれる。これは歌(詩)、でも、ひとつのドラマが描かれている。今の流行歌にはない美しさ。なので、こういう古いシャンソンが好き。このような気持ちは映画を観ても感じることだし、常に思うこと。だからと言って今を生きる私は懐古主義一辺倒に陥ることもなく、好きだと思うものに触れ、それらを堪能し喜ぶ。”温故知新”。私の生活の中で私が生きるためにいつまでも大切にしていたい。
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by claranomori | 2007-05-05 09:02 | シャンソン・抒情の浪漫