あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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カテゴリ:少女愛考・少年愛好( 12 )

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 『アリス・デー(Alice day)』とは、4月25日が『不思議の国のアリス』の作者であるルイス・キャロルが、永遠の聖少女あるいは少女イコンであるアリス・リデルと初めて出会った日。これはルイス・キャロルのアリスへの愛情を理想とし、少女への愛が、無私なもの、無条件的なもの、そして少女が大人に成長した後も不変的なもの、であることを象徴するという。また、この日4月25日からアリス・リデルの誕生日である5月4日までの10日間を少女愛週間とする運動もある。
少女愛運動
少女愛運動(しょうじょあいうんどう、girllove movement/childlove movement)は、少女愛を何らかの意味で肯定的にとらえようとする活動の総称。
少女愛という言葉自体、社会的にネガティヴな印象の「児童性愛」(あるいは「ロリコン」)に対し、美的でロマンティックな言葉による言いかえ、イメージの置換にあたる。これらは少年愛解放運動とあわせて、米国においてはチャイルドラブ・ムーブメントと言われる。
運動の目標はさまざまだが、共通のものとしては、少女愛の存在を社会に肯定的に受容させ、少女愛を性的虐待や犯罪に密接にリンクさせる社会的偏見を除去することなど。
さらに運動によっては、性交合意年齢の引き下げ、児童の性的自己決定権の尊重による世代間恋愛の自由化、児童ポルノなどの表現規制緩和、少女愛のペドフィリア的・精神医学的病理概念からの開放などを主張する。
少女愛という言葉を使うのは新しく、歴史的にみると児童性愛としての括りになる。具体的な活動組織は、まずオランダにおいて1970年代に発祥、70年代後半に英米にもいくつか存在するようになったものの、積極的な主張や実践を行う団体はメディアや世論の反対圧力でほとんど解体している。欧米のゲイ運動のメンバーが主力になった少年愛運動(例:NAMBLA)の一時の盛り上がりに比較すると、小さな規模にとどまっている。
1977年に英国で「児童性愛情報交換センター」Paedophile Information Exchange が設立されたが1985年に解体。 1985年設立の「デンマーク児童性愛者協会」Danish Pedophile Association は、2004年に解体。1982年オランダにできたMARTIJNと言う団体は2006年現在も活動しているが、他は研究主体の団体があるだけである。これらはすべて男性中心の団体であったが、女性だけの少女愛団体も存在する。女性少女愛運動、国際女性少女愛協会(IFgLC)の項目を参照。
2006年5月には、オランダで新党「慈善・自由・多様党」が結成された。性交同意年齢、買春年齢、ポルノ出演年齢を12歳までに引き下げることを公約としている。
現在ではこれら特定の団体を意味するよりも、そういう志向を持った個人やグループの主張を漠然とさすことが多い。 ダブルハートのロゴ画像は、リンゼイ・アシュフォードという個人活動家が作成しネットで広めたもので、現代少女愛運動のシンボルとなっている。カラーバリエーションとして、「青-青」「ピンク-ピンク」「青-ピンク」が存在する。
-引用:ウィキペディア(Wikipedia)より-
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 その少女愛週間(4月25日~5月4日)の翌日である今日は5月5日「こどもの日」です。私はこのような欧米での少女愛運動、並びに少年愛運動の方々の活動やお気持ちに賛同する者です。けれど「少女」や「少年」という言葉に囚われすぎずに「少年少女」及び「子供たち」へ出来る限りの愛を持っていたいです。幼くして死に至ってしまった子供たちへも。私は女性なので、どうしても「少女」への哀切な想いを常に感じて生きているのですが、「少年」も然りなのです。スカートを穿いているから、ズボンを穿いているから、髪が長いから、短いから...と表徴的なものでの少年少女ではなく、性別が無性であった時期が誰にだってあった。自然とそうした通過儀礼を経て大人になったお方も居られれば、私のように、過度な神経症的少女時代を過ごした者も居る。自分のブログだし、結構な年齢に至っても、今もなお「少女」というものに心奪われる私は何だろう?という訳で、この『クララの森・少女愛惜』を始めました。ブログ以前からの事ですが、この先の道のりは長く永遠だと想います。「少女」や「少女愛」や「アリス」という言葉に反応してしまい心はときめくのですが、同時にその世界が無ければ生きてゆけない者の道は決して平坦ではなく、時流的にも険しいと想います。なんだか綴っていると涙が溢れてしまいます。上手く心が綴れないもどかしさもありますが、やはり好きでたまらないのです。「少女愛」というと誤解されてしまう事が多いのです。欧米のこうした運動をされて来た方々も随分解体されているようです。少年少女たちが悲惨な事件に巻き込まれること、虐待されている子供たち...悲しいです。子供たちは私たち大人と一緒に生きている、一人一人が人間。

 今日は「こどもの日」なので、勝手に「少女愛」(ガールラヴあるいはチャイルドラブ)を継続し、当ブログで強化週間としたいと想います。「少女愛運動」のシンボルマークを基本に、大好きな色の赤と薄いピンクで作ってみました。大きな事がしたいのでもなく、ただ「少年少女たち」を愛でていたいというシンプルな気持ちです。「私の少女愛運動」は期間期限など無いのですが。どうかご理解頂けますと幸いです。いつもご覧くださっている皆様、応援くださる皆様に感謝しております。ありがとうございます!私は今でも毎年「こどもの日」に粽か柏餅を食べます☆

●追記●
 2013年5月頃だったか、児童ポルノ規制法改正案が衆院に提出(自民、公明、日本維新の会の3党による共同提出)されました。線引きの難しい点はあると思いますが、私はこの児童ポルノ規制法には基本的に賛成です!少年少女たちが危険にさらされる事には断固反対の立場です。そういう気持ちを込めての「愛でる」であり「愛惜」のつもりです☆

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by claranomori | 2011-05-05 10:28 | 少女愛考・少年愛好
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『奇跡のアルバム★郷ひろみ『HIROMIC WORLD』(1975年)作詞:荒井由実 作曲:筒美京平』 ← を更新いたしました♪

※だんだん分って来る気がします。何故!私が女の子大好き!で、なおかつ少年愛好も続けているのか。心がそうさせるのですが、どちらかに偏ることが多いとお聞きします。そうなのです!私の原点にはあの「女の子のように可愛い郷ひろみ」が居たからです。もう後戻りはできないでしょう...すっかり童女時代にまでタイムスリップしてしまい、「私のバラ色の人生」のあの風景が蘇るのです。アイドルやスターって凄いです!こうであらねばならないのです。「音楽ブログ」の方に、郷ひろみ+荒井由実(ユーミン)+筒美京平による奇跡の名盤のことを綴りました。ユーミンの少女世界の少年版とも云える名作だと想います。ひろみの19歳から20歳にかけてのアルバムです。ああ、素晴らしい☆
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by claranomori | 2010-02-06 02:28 | 少女愛考・少年愛好
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★1971年のワリス・フセイン監督による英国映画『小さな恋のメロディ』のことを以前少し綴ったのですが、その当時はエキサイト様のYouTube掲載が禁止されておりました。今は許可されておりますので、やはり可愛いトレイシー・ハイド(メロディちゃん)、マーク・レスター(ダニエル君)、ジャック・ワイルド(オーンショー君)たちの映像をと想います。可愛いい~!♪



*また、この映画の音楽も全編素晴らしいものです。初めて観た時から大好きな主題歌『メロディ・フェア』(ビー・ジーズ)等をも追記いたしました♪

☆可愛すぎて、愛らしすぎて、瑞々しすぎて、純粋すぎて、美しすぎて!今日も朝から泣いてしまいました。
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by claranomori | 2010-01-21 07:24 | 少女愛考・少年愛好
★やはり生きてるって面白いなあって想う。つべこべと想ったことを気ままに色々綴っていると、自分では良く分からないでいたことが、ほんの少しだけれど分かるように感じられることもある。何を云いたいのか!「私は女の子が大好きである!」そして「童女でも老女でもよい!(少女性が感じられたならなおのこと)」。また、音楽や映画で云えば「女性ヴォーカルや女優が大好き!」これらの範囲はとても広い。また「少年愛好」も長年のこと。反して「男性ヴォーカルや男優」となるととても好きなタイプと苦手あるいは興味がない...と限られたものになる。全ては私が男性ではないので分からないからなのだと想う。そして、子供時代のあの性別の区別の曖昧な頃から「美しい男の子」に憧れた。それは、私が「女の子」と植えつけられてしまっていたのだし。

私は自分で性別の差異を考えてもいないのに、両親から「女の子だから」という理由でしてはいけない事や使ってはいけない言葉や態度、遊ぶ時間さえ短くて...厳しい日々を送ってきた。弟がいるのだけれど、姉が云うのも変だけれど少年時代の弟は美少年であった。でも、病弱で入退院を繰り返し学校の成績は悪かった。色んな劣等感があったようだ。そんな弟が愛しかった。そんな時間は短く過ぎ行く。いつの間にかすっかり私の身長を追い抜き、声も変わってしまった。遊び方も違うし、観たい番組も違う。バレンタイン・デイには幾つもチョコレートを貰って帰って来るので助かった。意外とポーカーフェイスを気取った様子などをさり気なく見つめていた。お返しのホワイト・デイにはどうするのだろうかと興味を持った。結局分からないまま。内気なので実は好きな女の子からは貰えずに淋しかったのかも。私も女の子からチョコレートを貰ったことが過去にある。所謂、思春期に入っていた頃。けれど、その眼差しにまったく気付かずにいた。上手く行かないものなのだ。私の好きな女の子は早熟で早くから男子と交際していた。けれど、その男の子に嫉妬はなかったようだ。なぜなら、私は音楽が大好きになっていたから。その日々は一日一日と日増しに。偶像(アイドルやスター)に夢を馳せていたのである。ヒーローとは男性か性別のないものと感じていた。また、揺るぎのない最大のヒーローは父である(今も変わらずボウイだって敵わない)。なので、身近の男子と交際なんて気味の悪いことだったのだ。でも仲の良い男子は居たので何故もっと普通に友情が保てないのだろうか!と長年想ってきた。今はようやく異性の友たちが居る。時間が必要だった、とても。

こんな具合なので、「変なの~!」とか「変わっている」と云われ続け、私の大好きな音楽や映画に対してもまったくの偏見で批判も受けた。分かってもらえないから話すを止めてしまった時期もある。それが私の思春期の真っ只中。気持ちの悪いものや汚いとか醜いと感じるものが強くあった。高校にもなれば周りのお友達は恋愛と共に学校生活があった。失恋して泣いている姿も幾度も見て一緒に泣いた。代理で告白を伝えに行くこともあった...良い想い出はない。男子たちのみるみる逞しく成長する姿が不思議だった。また同じ位に女子たちのみるみる変容してゆく姿には複雑な想いがあった。私は身長はまだ伸びて欲しいという勝手な望みを持ちながら、その他の成長を拒絶する想いは強烈だった。そんな私を「おかしい」と周りは云うのだけれど、自分でも分からないのだからどうしようもなかった。今もまだよく分からない。ただ、私は女性であると分かってはいるので「女の子」の気持ちは色んなパターンで想像できるし理解しようとする。けれど、「男の子」のことは分からない。なので、「美しい」と思える無性の刻の「少年」ならまだ近いものを感じるのかも。大人の女性も中性的な方が今も好みだし、やはり何か欠如しているのかもしれない。

私のもう少し上の世代の方々は白黒テレビという時代。私はカラー世代。お話しているとこれはとても凄いことみたい。同じ番組をカラーで観るのと白黒で観るのは。郷ひろみはカラー世代ならではの新しいアイドル登場であったのだと想う。陽の美少年(美青年)である郷ひろみ。思春期に入ると一気に中性的で耽美などこか妖しげな世界に憧れ始めた。太陽や健康的なものから逃げるように。タイミングは見事でデヴィッド・ボウイやルキノ・ヴィスコンティを知る。今の私は亡き両親の歳に近づいてゆく。弱いなりに結構大病に至らず生きていられることを幸せに想う。角膜の問題で太陽光線が苦手ではあるけれど、最近は太陽の尊さ(恵み)を少しずつ感じられるようになっている。月光や星を眺める方がずっと好きではあるけれど、不健康な不規則な生活をしているけれど、ようやく「健康である姿の美しさ」を感じられるようになっている。それは、15才のあの綺麗な女の子みたいな少年だった郷ひろみが54歳になり、今なお清閑な姿を維持していることを再認識したことによる。初めて好きになったアイドル(スター)である。それも大好きだった。子供の頃にまっすぐで毒気のないアイドルを好きになったことが今の私には貴重な想い出なのだ。日本語の歌、歌謡曲、関西人なので上方芸能に親しみ、それらの歌詞やメロディー、また泣き笑いのお芝居を観て育った。少女マンガを読み異国を夢見ながらも、日本語の詩は響き刻まれていたのだと想う。そんな訳ですっかり毎日、ひろみの古いレコードを聴いたり歌詞を読んだりしていると、これまた新鮮なとんでもない発見が次々とある。初めて行ったコンサートも郷ひろみだった。少し年上のお姉さんたちの方がファンが多かったのか、仲良くしてもらっていた。一度だけ最前列で拝見できたのだけれど、テレビで観るよりさらに細くて綺麗だった。大阪のフェスティバルホールは満員で、階段をドキドキして上ってゆくと煌びやかなドレスを着た美しい女性方が花束を抱えて語り合っていた。上まで上るとその方々は女装をした男性方だった。云われなければ女性だと想っていただろうというくらい印象強く残っている。私の音楽原点は郷ひろみであり、岩谷時子&筒美京平の楽曲たちなのかもしれない♪

大学生になってからマニアックな音楽友達もできた。”洋楽を聴き始めるまでは誰が好きだった?”と訊かれ、どんな反応をされるかとちょっと緊張しながら”郷ひろみ”って云った。すると、その先輩達は”そうだろうね”と意外と同意してくれたことを想い出す。当時、その先輩との共通の好きな音楽はジョン・フォックスやマーク・アーモンドたちだった★
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by claranomori | 2009-11-15 05:21 | 少女愛考・少年愛好
1989年頃に発行された古いサブカル雑誌の中の、『いごこちのいい「少女世界」』と題された文章を読んでいた。当時の同人誌に熱い想いを馳せる少女たちの全体像のようなことが書かれている。私は同人誌という世界には無知に等しい。けれど、そのような文化が今も根強く存在することになんの抵抗もない。私が好きな世界を妄想したりして脳内で描くのと似ているのかもしれないと想うから。この記事の中に、「これは私のことか!」とドキっとした記述の部分もあり、分かるような分からないような部分もあった。けれど、興味深く読んでいた。その一部を。

10代、20代の女のコといえば、スキーやテニスをし、ディスコで遊び、海外旅行に夢中。そんなものだと思っていた。男のコと大好きな恋愛をし、たとえそのことで悩んでいたとしても女のコ同士相談に乗り合い、文句を言い、グチをこぼしながらもけっこううまくやっていると。(中略)

思えば、新撰組の土方歳三と沖田総司に夢中になる少女たちは昔からいた。「少女時代の潔癖性」などということばでは括られてきたアレだ。あるときは歌舞伎の女形であり、あるときはランボーやワイルドなどの世紀末文学であり、あるときはデビッド・ボウイやJAPANなどの耽美的ロック・ミュージシャンであったりした。中性的なものへの憧れ。が、かつて彼女たちは思春期を過ぎて、大人の女になるにつれて、そうした潔癖性からも卒業していくはずだった。結婚をし、子供を産んで。

「同人誌活動のほうがおもしろい」。彼女たちは今メディアを手に入れた。そして溢れる情報のなかから、好みに合わせてマンガやスポーツ選手からさえも、主体的に記号を選び出す方法を。 (梨本敬法氏)


1/3程を記しました。私は沖田総司が好き。ランボーもワイルドも。そして、ボウイやJAPANなどの耽美派ミュージシャンにマンガ。スポーツ選手は女子か女性が主だけれど子供の頃からトキメク存在のお方がいた。中性的なものへの憧れは今もある。理解のある相方がいてくれるけれど、未婚で子供もいない。子供が大好きなのにである...これは長年の愛する世界が築かれる過程において何か因果なものが私の人生を方向付けてきたようにも想う。私は今のお仕事も「したいから」ではない。知らない内に此処に居たという感じなので不思議。流されたのでもなく、愛するものたちのある世界へ導かれたのかな...。元々、虚弱体質とやらだけれど歳のせいか、風邪をひきやすくなってしまって今も咳き込んでいる。けれど、思考ばかりしている。夢をみたり、現実に叩きのめされたり。でも、一度決めたことを投げ出す事をとても嫌っていた父の姿が浮かぶのだ。「また、メソメソしてるな!やると決めた以上頑張りなさい!」って。そして、少女時代からずっと心の住人である美しき方々やモノたちも私を宥めてくださる。だから、生きて来れたのだし、体が動く限りまだまだ出来ることはいっぱいある。弱音を吐くこと、投げ出すこと、やめてしまうことはいつだってできるのだから。

こんなことを考えては泣いていた。「泣いても泣いても、人生謳歌!」これはスローガンである。みんな、頑張っているのだから、それぞれの環境や年代や立場は違っても!私はもっと頑張るべきだとも。
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by claranomori | 2009-10-27 11:27 | 少女愛考・少年愛好
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★まだ幼き頃を懐古してトキメク気分を維持している私。とは云えど、焦りと葛藤もあるので、あまり体調はすぐれない。それでも、「人生謳歌」して生きてゆきたい。当店主は私より少し年は上ながら昭和のアイドル(殊に70年代の女性アイドル)の好みがピッタリ!みたい。相変わらず私が1000文字程話し、2.3文字返って来るという会話ながら。ひろみのことも好きだけれど、ジュリー、さらにショーケンには少年の頃からの強い想い出があるらしい。少女マンガはあまり読まないけれど、手塚治虫は大好きなので結構読んでいる。少女マンガの歴史に手塚治虫を欠くことはできないのだから!こんな具合で古いレコードや雑誌などをごちゃごちゃと引っ張り出していると、里中満智子さまの「少女へのポエム」のようなものを再発見できた。ちょうど、私は今小学生~中学生頃にタイムスリップ中なので、優しいそよ風と共にノスタルジックなセピア色の風景の中に少女たちをみる♪

女の子が大好き
女 というひびきが好き
心 優しさ 一途 おもいやり
そんな言葉がぴったりする
真剣な生き方にひかれる
強さ きびしさ 哀しさ ほほえみ
女にうまれたよろこびと涙

わたしは
そんな女性に
あこがれながら
自分もそうありたいと願い続け
えがき続けて きたけれど
いったい何人の登場人物を
不幸な目にあわせたか
みんな愛しい だから生半可な
生き方をしてほしくない

- 里中満智子 -

◆関連記事も綴ってみました → 「里中満智子マンガの中の郷ひろみ」
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by claranomori | 2009-10-22 21:12 | 少女愛考・少年愛好
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★フランスの作家ミシェル・トゥルニエの『海辺のフィアンセ』という短編集の中に、『ルイス・キャロルのエロチシズム』がある。その他にも好きなお話があるけれど。以前、オルセー美術館を訪れた折の夢のような時間を忘れはしない。何も調べずに行ったのだけれど、『英国展』を開催していて、ラファエル前派の作品も多く観賞できた。また2階の小部屋では「ルイス・キャロルの写真展」が。小さなその暗室には少女たちのお写真ばかり♪

ミシェル・トゥルニエは語る。

奇妙な独身者の情念がこのように溢れ出るためには、ヴィクトリア朝のイギリスのすさまじいばかりのお上品ぶりが必要だったのだ。私たちの、いわゆる自由放任な社会では、このような場合、確実にごうごうたる非難が沸き起こることだろう。しかし、そうだとしたら、間違っているのはこの社会の方だ。なぜならルイス・キャロルの少女たちにたいする愛は、言うまでもなく厳格にプラトニックなものであったし、そうでしかありようがなかったのだから。

エロチシズムだって?たしかに。それは最高のエロチシズムなのだ。一人の天才の人生のすべてを巻き込み、崇高な作品へと結晶する愛としてのエロチシズム、情念としてのエロチシズム、情愛としてのエロチシズム。


☆私はこのミシェル・トゥルニエの言葉を愉しい面持ちで読む。けれど、ある人はこの”エロチシズム”という言葉、または少女たちを写真に撮るルイス・キャロルを邪な色眼鏡で見るお方もいるだろう。100%と言っていい程、少女たちの存在がルイス・キャロルの純粋なる心、人生に必要不可欠なものだったのだと私は信じる。おこがましいけれど、そのお気持ちが分かるようであるから♪
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by claranomori | 2009-02-26 23:12 | 少女愛考・少年愛好
ラッセル・トレイナーによる『ロリータ・コンプレックス』(原書1966年・翻訳1968年)をとても久しぶりに再読した。やはり気分は重くなる...でも、嘗てよりも私の思い描く好きな少女像がさらに浮き上がる。歳を重ねたこと、でも、好きな少女像は今も変りはしないという頑なさ。でも、色々な関連するものを読んだり鑑賞することは好き。その中で記述され、描かれる少女たちが全て好きなわけでもない。それを痛感し、また悲哀をも。かなり古い御本ながらその中で検証例として記されている実在の少女たちと男性たち。そもそも、『ロリータ・コンプレックス』という言葉は、ウラジミール・ナボコフの小説『ロリータ』からの由来であることは相違ないだろう。この小説が世に出た(発禁処分も受けている)後、口火を切ったが如くに精神科医たちによる診断報告書に”ロリータ”や”ハンバート”、”ニンフェット”や”ロリータイズム”、そして”ロリータ・コンプレックス”という名称が使われるようになったのだと書かれている。そして、小説よりもさらに読むに耐えない程の実例がいくつも挙げられている。なので、好んで幾度も読もうとはしなかったのだけれど...。でも、読まなければ!と想ったのだ。そして、よく耳にする”ロリコン”という言葉がイコールで"変質者”であるが如くに想われたり、また利用して(言葉に語弊があるかもしれないけれど)ファッション化されている現象はさらに加速化し大きなものになっているように感じる。それは其々の趣味や考え方の違いからなので、何が正しいというお話ではない。

この御本の中で、私にとって極めて大きな共感を覚えるものは、所謂”ロリータ”は誘惑者であるということ。ロリータとはニンフェットである(ナボコフの定義は9歳から14歳、『ロリータ』の中では12歳、ハンバートが50歳)。体は子供ながら心の中で女であることに目覚めている少女たち。きっと世界中にこのようなロリータたちはこの御本が書かれた時代よりもさらに増えているだろう。また、ハンバートは少女性愛者、あるいはチャイルド・ラブという言葉で記されている。現代ではさらに幼児(童子)への虐待や犯罪も増え、規制も厳しくなっている。規制されるとさらに増え、また湾曲化された誤解をも招くこともあるだろう。私も危ない人に想われるだろう、ある人たちからすれば。でも、私は何と言われようが言動に責任を持っているし、ナボコフが蝶の収集家であったというように、私は脳内で鑑賞しているのかもしれない。”愛すべきもの”や”美しいもの”たちと共に。単なる”カワイイもの”が好きな大人ではないと想っている...まだまだ青二才ながら。

以下は、興味深いラッセル・トレイナーの考察の一部。

ロリータイズムの浸透を防ぐためには「警戒」と「知識」こそ分別のある人のモットーであるが、「知識」がなければ、「警戒」もできない。このため―すべての人びとによりよく理解してもらうために―それ自体ショッキングで、ときとすると恐ろしい病症記録をこのリポートのなかに記録し、現代の世界へ警告とするのである。

子供への大人の責任と共犯関係について、ウラジミール・ナボコフは『ロリータ』の「はしがき」でつぎのように述べている。

「・・・・・この深刻な個人の苦闘の底には、ある一般的な課題がひそんでいるからである。ひどく気まぐれな少女、気まま勝手な母親、欲望にもだえる狂人など、それらは、一つの珍奇な物語になまなましく描かれた登場人物であるばかりでなく、われわれのなかにひそむ悪の力を指摘しているのである。さらに『ロリータ』は、安全な社会のなかで、よりよき世代をはぐくむ仕事にたずさわっているひとたち―両親や社会事業家や教育者たちすべてに対して偉大な警告と洞察力とを与えるであろう。」(大久保康雄氏訳)


他にも興味深い箇所がいくつかあり、ドキリとさせられるのだけれど、さらに確信するように感じた。”少女”という中で避けて通れない"ロリータ”を自分なりに考えたりする(しなくても良いのだけれどしてしまう)。そして、私はやはり、儚き束の間の”少女から大人になる狭間の刻”が好きであり、ファッション化された少女像やロリータというイメージから離れた処に立ち返るようだ。故に、実年齢も見た目もすっかり大人の女性ながら少女の心をも持ち合わせ、複雑な社会の中で生きる”往還する女と少女”に魅せられる...誘惑者のロリータたちよりも。または、身も心も少女である無垢なる存在は神聖なものだと愛するのかもしれない、ルイス・キャロルのように♪

※少女愛惜、少女幻想...私は何故だかずっとそれらを考えて生きている。その幻想を追う作業のようなことは自らと向き合うことにもなるので拙い想いを綴らないわけにはゆかない。でも、まだまだほんの途中なのだ。子供のときに、社会がこんなに苛酷だとは考えもしなかった。今は社会人となりその現実の中を生きている。私の愛しい少女たち(少年たちも)はそんな私に生きる力をも与えてくださるのだ。美しき心の住人たちには大人もいる。それら全てのお陰で呑気なように想われるかもしれないけれど、人生謳歌しているつもり。泣き悲しむことはいくらでもある、心が毒されるものが蔓延している。でも、心穏やかに生きてゆきたい。なので、まだまだ誤解されることを書いたりするかもしれないけれど、私は私の求める少女たちを大切に、そして、できるだけそぉっと耳を澄まして見守るかのようにありたい☆
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      ♥「乞食ルックの6歳の頃のアリス・リデル」(1858年)
           ヴィクトリア朝時代の永遠の少女♪

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by claranomori | 2008-06-23 21:50 | 少女愛考・少年愛好
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★ヴァレリー・ラルボー(VALERY LARBAUD:1881年~1957年)の『幼なごころ(ENFANTINES)』(初刊は1918年)は、ほぼ8歳から14歳までの少年少女を主人公とする慎ましやかな優しい作品。この御本のことを知ったのは、お友達の偽少女(chibinova)君とネット会話をして愉しんでいた時のこと。フランスには大きな作家ポール・ヴァレリーもいれば、このような小さな作家ヴァレリー・ラルボーもいた。大小や国籍など関係ない!そのことは、このヴァレリー・ラルボーの魅力でもある。彼は英米文学、イタリアやスペイン文学の翻訳家でもあり、「裕福な愛好家」を生涯貫いたお方で、読んでいてとてもそのお心が伝わり気持ちがよい。ご本人は”専門家”と称されることを嫌い、”愛好家(アマチュア)”と自負されていたようだ。”愛好家”とは角度を違えば”オタク”とか”偏執狂”と色眼鏡で見られたり、湾曲したイメージや憤りさえ覚えるお方もおられるだろう...。ところが、私は多分にこの”愛好家”という言葉が好きだし、ずっと知らないうちにそのような塩梅で生きてきたよう(出来れば老婆になっても死ぬまでそうありたい!)に思うことがある。ラルボーのように経済的に豊かではないけれど、楽しいのだ。お仕事である音楽や映画、好きな書物や古い絵画、名も知れぬ可憐な少年少女たちのお声の響き...♪(早い夕刻、平日が多い(今は)。少女か少年か判らないなんとも可愛らしいお声が響く。”バイバイ~!バイバイ~!またあした~”と、精一杯のお声を仲良しのお友達に発している。相手のお友達のお声は私には聞こえない(だんだんとお互いのお家に向かう距離を感じる)。そして、そのお声のお方の姿を知ろうとはしない。窓から覗いて確かめたい気持ちもあるけれど、そっとこの愉しみを味わっているという喜びをいったい、どのくらいのお方が理解してくださるだろうか...。そのお声はいつまで続くだろう...と想うと儚い。あの限られた刻だけのお声。少年とも少女とも区別のつかないあの響きが大好き!)私の綴り、想いなので発言に責任を持って書いているつもり。なので、勘違いされたくはない!相方にこのお声のお話を幾度かしたのだけれど、”うん(またか、それどころちゃうねん!)”という愛想の無い反応で語る人がいないのでこうして綴っている。変かなぁ...まあ、気にしない気にしない。

この『幼なごころ』 には10篇の「子供の情景」のようなお話が収録されている。まだ1度通して読んだだけなのだけれど、2度読んだ箇所がある。きっと、最初に私の心が動いた、あるいは心に刺さった、あるいは心に届いたものなのかな...「ドリー」というお話。ドロシー・ジャクソンという12歳の少女が病気で死んでしまう。そして、同じく12歳のエルシーという少女の心の描写をラルボーは巧みな学識を隠しきれずに、でもとても軽やかに綴っている(この文体の特色はどのお話にも通じるようだ)。

どれも好きだったのだけれど「夏休みの宿題」という一篇より。

「自由と楽しさに満ちていたので、ぼくは本能的に至上の楽しみを、すなわち利害を超えた純粋な精神活動からなる楽しみを探し求めていた。」

とあるのだけれど、正しくヴァレリー・ラルボーというお方の生涯そのもののように想う。補遺の中に「彼が「幼なごころ」を書くとき、英雄的な仕事のなかにまで彼のあとを追い彼を支えてくれるのは、家庭への思いではなく、いちばん背の高い女の子と小さな女の子へと向かう彼自身の心のふるえるような歩みであり、彼女たちにいろいろと教えてもらい、案内してもらい、目に見えないさまざまな危険から守ってもらいたいという欲求にほかならない。彼は自分のなかに謙遜と無垢という古い宝をふたたび見出し、小声で歌い、その歌がわずかの人びとにしか聞こえないようにと願う。」とある。

美少女や醜い少女、それは見かけだけのこと。心の無垢さ、残酷さ(純粋さ故の残酷もあるけれど)は容姿とは比例しない。私は子供の頃からお姫様が主人公の童話も好めば、ヘレン・ケラーのような可愛そうな境遇の少女、赤毛のアンのような孤児の少女に胸を動かされてきた。その気持ちは今も変わらず”好きな少女たち”として継続している奇跡に感謝したい☆

そして、寺山修司のアフォリズムの中のあるお言葉が時折聞こえてくる。

「美しすぎる童話を愛読したものは、大人になってから、その童話に復讐される。」(さかさま世界史)より。

既に復讐されているようである。なので、しかし、私は自分の心の喜びに向かっていたい。時に出逢わなければならない心の闇の部分にまで影響することもあるけれど。それも愉し♪社会の悪意の潜む中を歌声高らかに生きてゆきたいと願う未熟者の処世術なのかもしれない...。
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by claranomori | 2007-09-27 11:38 | 少女愛考・少年愛好
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      ♠「絶対的理想の脚!13歳のエヴリン・H」1916年♪

ペーター・アルテンベルク:PETER ALTENBERGは、19世紀末のオーストリア・ウィーンの作家、路上生活者、即興詩人、街の傍観者、編集能力のある執筆家、少女愛好家...などの肩書きが並ぶユニークなお方。生涯、独身を通し、さらに生涯生命をかけて追い求めたロリータ趣味(19世紀末の英国に生きたルイス・キャロルの存在も忘れてはならないけれど)。自立した女性は一人の女に過ぎないけれど、少女の裡にはすべての可能な女が匿されている。無限の可能性としての女...それが少女。アルテンブルクの美の理想でもあったようだ。世紀末の華やかさと寂しさ、夢みたものと夢みられたものの影が夢幻劇の中のように、彼の住んだ安ホテルの一室の壁の絵や写真たちとその空間は伝える。傍観し投影された自然や風俗は、彼の主観の強い酩酊性と魔術性と融合し、その本来の輝きを自ら発現した。精神的ナルシストだと自ら宣言していたけれど、なかなか面白くこの強い個性と主観は興味深く、私は惹きつけられる。上の少女の脚のお写真は、映画『エコール』のジャケットにも通ずるものなので嬉しい♪

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      ♠グラーベン・ホテルのアルテンブルクのお部屋♪
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by claranomori | 2007-08-17 21:18 | 少女愛考・少年愛好