ゾフィー・ショル(SOPHIE SCHOLL)は1921年5月9日にドイツのバーデン・ヴェルテンベルグ州のフォルヒテンベルクで生まれ、姉(長女)インゲ、兄(長男)ハンス、姉(次女)エリザベート、弟(次男)ヴェルナーと共にこのコッハー湖畔の小さな町で7歳まで過ごす。屈託のない笑顔で目鼻立ちのはっきりした少年のような雰囲気の少女。笑顔で木に登る姿の少女時代のお写真などもある。姉のインゲは”子どもたちの将来を、いったい誰に予測できましょう”と顔を曇らせ子供時代の夢のような世界を語ったという。自由で開放的な家庭に育った少女ゾフィーは、読書や絵を書くことが好きで、ヒトラーの独裁政治下、尊敬する兄ハンスの学ぶミュンヘン大学へ進んだ。兄と共にナチスに抗し、その代価は自らの命とは...!
1933年1月末、ナチスがドイツの政権を掌握した時、ゾフィーは11歳。そして、1943年2月22日、兄のハンス、友人のクリストフ・プロープストと共に断頭台で処刑された時、ゾフィーは21歳。3人はビラを武器にナチス・ドイツに抗したミュンヘン大学の抵抗グループ『白バラ(白いバラ)』のメンバーで、ゾフィーとハンスは、2月18日、大学構内でビラをまいているところを守衛に見つかって逮捕される(密告されたというのも読んだことがある)。そして、逮捕から僅か4日後、民族裁判で3人は反逆罪と判決され、その数時間後に刑は執行された。
ドイツの学生を中心としたグループ『白バラ』の活動、行動は彼らの良心からのもの。”ホロコースト”とは600万人ものユダヤ人の惨殺(殺戮)のみならず、こうしたドイツ人ながらも反逆行動に出た者、同性愛者、精神障害者...の惨殺をも含まれるように私は想う。研究家でもない素人ながら、私は彼らの勇気に奮えると同時に美しすぎて涙する。あの状況下でこのような気持ちのドイツ人は他にも存在したと想うけれど、あまりにも危険なことだった。『白バラ』のメンバー達は純粋な素人グループだった。故に怖れよりも彼らの信じる尊い思想を尊重していた。配布されていたものには”我々は決して沈黙しない。我々は国の良心だ。『白バラ』がある限り悪者は枕を高くして眠れないだろう”と記されていたという。
このヘルマン・フィンケ著『白いバラが紅く散るとき』の原題は『ゾフィー・ショルの短い生涯』で、1980年に西ドイツのオットー・マイヤー社から青少年向けのノンフィクション・シリーズの一冊として出版され、その後『ヒトラーに抗したゾフィー21歳』と改題され再販されている(その後、さらに一部改訳されての1986年版のものを私は読み、参照させて頂いています)。また、2005年のマルク・ローテムント監督による映画『白バラの祈り -ゾフィー・ショル 最期の日々-』も素晴らしい作品でした☆