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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『ブリジット・バルドーとロリータ症候群』あるいは『フレンチロリータの起源はBBにあり』♪

『ブリジット・バルドーとロリータ症候群』あるいは『フレンチロリータの起源はBBにあり』♪_b0106921_7565232.jpg
しつこいようだけれど、私はファム・アンファンな女性が好きなようだ。でも、対極に位置するかのような大人の女性にも憧れる...なので行ったり来たり。しかし、不思議な連鎖ですべては繋がり絡み合いニアミスも多い。”フレンチ・ロリータ”という特集号が組まれたりするのをこれまでに幾度か雑誌等で拝見しているし大喜びなのだけれど、この場合の年齢は20歳を超えていることが多い。既婚で母親でもあるお方も多い。私は10代後半からこのようなことをずっと何故か気にして生きている...実は気楽ではないのだ。気楽である時もあるけれど、直球が心臓に直撃したかのような、あるいは刺さったまま抜けない摩訶不思議な矢に気付き痛くなる。大袈裟なようだけれどこんな感じ。それでも、まだまだ何も分からないしどうなるのかも分からない。好きなのだから愉しいことではある。

1959年にシモーヌ・ド・ボーヴォワールがアメリカの『エスクァイア』誌に依頼を受け書いた論文が『ブリジット・バルドーとロリータ症候群(Brigitte Bardot and the Lolita Syndrome)』。その鋭敏な指摘に幾箇所にも頷き嬉々とする。ウラジミール・ナボコフの『ロリータ』が発表された1955年の翌年、ロジェ・ヴァディム監督が当時妻であったBBを主役に『素直な悪女』(BBの主役第一作目)を世に送る。非難轟々がかえってヒットにも繋がったようだ。そんな中、フランソワ・トリュフォーだけは高く評価していたという。当時のBBの魅力を的確に表現した好きな文章がある。山田宏一氏の翻訳されたものから以下に記させて頂こうと想う。

ブリジット・バルドーは、まさに、多義性をそなえたとらえどころのない妖精、つまり悪女的な要素のある純真なお転婆娘の最も完璧な見本なのである。そのひきしまった筋肉質のダンサーの体つきは、うしろから見ると、両性具有的(アンドロギヌス)な感じですらある。女らしさはその輝かしいバストに勝ち誇っている。城の塔の窓辺でほどいた髪を梳いているとその長い髪が塔の壁に光の束のように流れてペレアスの目をくらませるメリザンドさながらの長い房々とした官能的な髪が彼女の肩先まで乱れかかっているが、そのヘアスタイルたるや、まるで手入れなどしていない浮浪児の頭のようなだらしなさだ。くちびるの形はすねた男の子が口をとがらせているみたいだが、またそれはキスをしてみたいという気を起こさせるくちびるでもある。彼女は裸足で歩きまわり、おしゃれっぽい衣服や宝石やガードルや香水や化粧といった人工的なものをすべて鼻先であしらう。にもかかわらず、身のこなしが淫らで挑発的なので、彼女の踊る姿を見るだけのために聖人は悪魔に魂を売るにちがいない。彼女の顔にはたったひとつの表情しかないとよくいわれる。たしかに、そこには外の世界がまったく反映されず、また内面の動揺のようなものもあらわれない。しかし、そうした無関心の表情はいかにも彼女にふさわしい。BBには経験というものの痕跡すらない。たとえ彼女が『可愛い悪魔』のヒロインのように無軌道に生きたとしても、人生の与える教訓はあまりにも混沌としたものだったので、そこから何も学び取ることができなかったのだろう。彼女には記憶もない、過去もない。そして、その無知のおかげで、彼女は神話的な子供時代にのみ属する。あの崇高なる無邪気さを、完璧なる無垢を、保ちつづけているのである。
『ブリジット・バルドーとロリータ症候群』あるいは『フレンチロリータの起源はBBにあり』♪_b0106921_7574644.jpg

素敵なお言葉である!私は特に思春期の頃などは、この天真爛漫なBBやマリリン・モンローをグラマーなイメージのみで敬遠していた。ところが、映画を観るとすんなりと魅了されてしまうのだった。BBは多くの女性たち、才女マルグリット・デュラスやココ・シャネルたちからも非難をも浴びた。私はそれも納得できるのでとても複雑な気持ちが入り混じる。でも、 ボーヴォワールの指摘するようにあの踊る姿、裸足にバレエシューズ、あの淫らな髪とくちびる(キスしたいとは想わないけれど)は魅力的過ぎる。”フレンチ・ロリータ”という幻想がBBから始まったとしたら、銀幕のスターである最初のロリータはマリリン・モンローだと想えてならない。清生たる永遠の妖精であるオードリー・ヘプバーンも忘れてはならないけれど、BBやオードリーは許されるのにマリリン・モンローは軽視する人々(女の子たちに多いのかも)がいる。それはずっと彼女の背負った宿命のようなものなのかもしれない。不満もあるけれどラッセル・トレイナーの『ロリータ・コンプレックス』でのマリリン・モンローの検証には深い哀切と共に、ナボコフの”ロリータ”以前に実在していた少女ローを想う。なかなか纏まらないので、ひとつの記事では想いも上手く綴れない。なので、まだまだ続く...果てなどいらない放浪のようでもある☆
by claranomori | 2008-08-06 07:33 | 少女イコン・不滅の少女