アメデオ・モディリアーニと妻ジャンヌ・エビュテルヌ
2008年 06月 21日
アメデオ・モディリアーニ(モジリアニ)は1906年に祖国イタリアを離れパリに赴く、その時21歳。モンマルトルの「洗濯船」近くのアトリエを借りて住んでいた。その頃、ピカソやマックス・ジャコブと出会ったそうだ。この頃の巴里に想いを馳せることが好き。でも、エコール・ド・パリ(パリ派)と呼ばれていた画家(芸術家)たちの多くは異国からやって来た人々。そして、ユダヤ人であるお方が多かった。貧しく結核を患っていた病身で、お酒と薬物に溺れていたモジリアニの絵。奇妙に首が長く目に惹きつけられる女性の肖像画たち。私はモジリアニの絵よりもその人生に興味を覚えた。それは、ジェラール・フィリップとアヌーク・エーメのフランスを代表する美男美女コンビで映画化された、ジャック・ベッケル監督の『モンパルナスの灯』(1958年)を観た時から。最初はこのお二人が好きであったので観たのだけれど、貧しくとも信念を貫くお姿は尊く、お金の為に魂までは売らないという頑な性格(純粋さと不器用さを併せ持つ)に美しさを感じた。男女を問わずそういうお方が好き!そして、見惚れる程にお美しいジャンヌ役のアヌーク・エーメもまだお若い頃、そのお姿とモジリアニの妻となるジャンヌ・エビュテルヌが長年私の中で一緒になって留まっている。なので、モジリアニの熱狂的なファンのお方の知識は私には無く、『モンパルナスの灯』が想起され、その中で描かれている様子が中心となってしまう。
それが、2004年の『モディリアーニ 真実の愛』を観て、少しだけ広がった気もしているところ。この映画では、アンディ・ガルシアがモディリアーニを演じ、妻ジャンヌはエルザ・ジルベルスタインが演じていた。実際のお写真を拝見すると、こちらのお二人の方が雰囲気的に近いようにも感じた。こちらは伝記を基にしたフィクションとしての愛の物語として、また、ライバルであったピカソやスーチン、ユトリロやリベラ、そしてキスリングたちも登場していた。また、映画の感想は追記いたします。
1916年12月にモジリアニ(32歳)とジャンヌ(18歳)は出会う。ジャンヌは良家の娘で二人の恋は許されぬものだった。けれど、ジャンヌはモジリアニを追ってやってくる!友人である画商のズボロフスキーの提案で、療養も兼ねて南仏のニースへ。そこで娘ジャンヌ・モディリアーニも生まれた。しかし、そんな穏やかな陽光と幸せは長くは続かず1920年1月26日、モジは警察病院にて死去...その二日後、ジャンヌはアパルトマンから身を投げモジの後を追ってしまった。家を捨ててもモジを選び愛し続けたその純真さ、哀切と感動で胸がいっぱいになる☆