コルチャック先生(ヤヌシュ・コルチャック)と子供たち
2008年 06月 05日
コルチャックは1911年から1912年にかけてワルシャワのクロフマルナ通り92番地に「ドム・シェロット(孤児たちの家)」を創った。ホームの母であったのは最期まで子どもたち、コルチャックと一緒だったステファ夫人(ステファニア・ヴィルチンスカ)。この「ドム・シェロット」にやって来る子供たちは原則的に7歳から14歳までの100人。次第に人数は増え、年齢にも多少のずれが生じてゆく。貧民街の浮浪児、親が投獄されている者、親が病気の者、戦争孤児、政治犯の子たち。コルチャックは、子供たちと一緒に集団生活をして初めて、彼ら子どもとはいったい何かを発見したという。
彼らは、本当にいくつもの顔を持っている!
たくさんの仮面を上手に着けかえて、名優さながらの演技
仮面は相手の観客しだい、巧みに自在に着けかえていく。観客が、
母親、父親、祖父母、こわい先生、やさしい先生、遊び仲間、金持ち、貧しい人なら それに見合った人物になって登場、
純真かと思うと、ずる賢く
謙虚であって、傲慢
やさしそうで、意地悪
行儀がよくて、いたずらっ子
見事に変身する子どもたち
大人の目を逃れ、大人を騙す
猫かぶりの天才
『いかに子どもを愛するか』 より
1920年10月にポーランド・ソビエト戦争が終わり、新国境が定まりポーランドは東ヨーロッパの大国となる。コルチャックや職員、子供たち孤児は素晴らしい贈りもの「小さなバラ(ルジツカ)」を得る。1921年、ホームの活動も軌道にのってきた頃、亡き娘ルジャ(バラ)を偲ぶ記念としてある父親が贈ったもの。夏季休暇村として過ごしていた。20年後、第二次世界大戦が始まりホームがゲットー内に入る直前、コルチャックは子どもたちとこの「小さなバラ」へ最後の遠足をしている。
彼ら、大人の尊い、立派ないのち
ほんとうの人生
そして
僕ら、子どもの見せかけだけの、いのち
大人の楽しみのための人生
小さくて、かよわい子どもは、大人にとっての
気晴らしにすぎない
そして
こんな浅はかな考えがどこから生まれたのか
子どもは未来の人間にすぎないなどと―
いつか存在に値しようなどと―
いま、現在まで存在しないかのような
これは何を意味するのか
子どもたちは生きていないのか
子どもたちは何も感じていないのか
子どもたちは悩まないのか
大人たちのように
『もう一度、子どもになれたら』 より
1989年11月20日に国際連合総会で「子どもの権利に関する条約」が採択された。コルチャックが亡くなって47年経っていたけれど、”子どもの権利の大憲章”が必要だと強く願っていた、そのお心は国連「子どもの権利条約」に結実した。その尊い訴えが人々の心に響き、届き、受け継がれていったから。これは小説のお話ではない!コルチャックを救おうと人々が彼を収容所から出れるように努める。それらを最期まで拒み続け子どもたちと壮絶な人生を終えた教育者コルチャック(1878~1942)。肩書きなど何とも想わないお方だろうけれど、詩人であったとも想う。とても言葉では語ることのできぬ感銘を私は得ている。どうしても避けては通れないもの...”戦争”という中で生きる人々、肌の色や人種、貧富の差、世間の邪な偏見...それらは大人だけではなく、子どもたち、”生”を受けた時からの苦難でもあるということに疑問を持たずにはいられない。博愛主義や人権などという難しい言葉(に拘ること)はどうでもいい☆