吉屋信子 『白百合』 画:中原淳一 『花物語』より
2008年 04月 13日
返らぬ少女の日の
ゆめに咲きし花の
かずかずを
いとしき君達へ
おくる。
★このお言葉は『花物語』の序文に記されているもの。昭和14年というのだから同じ昭和でも随分と変容してきたと感じることができる。私はヨーロッパかぶれした子供時代から今に至るけれど、日本語がとても好き!三島由紀夫の文体、泉鏡花の世界、萩原朔太郎...と読み返せば常に新鮮な気持ちになる。それは、今ではほとんど使われない言葉、美しい日本語の響きに心が清められるかのよう。”少女小説”というと一等好きなお方は野溝七生子な私。あまりにも私の心の中に静かに存在するものゆえに、未だ綴ってはいないけれどいつの日にか♪
以前にも書いたのだけれど、私は百合のお花が好き。そして、色々と連なる想いが巡る相性の良いお花のようなのだ。吉屋信子の小説家としての曙、出発点だと仰っておられる『花物語』。私の持っているものは1985年に再販されたものなので、初回版(昭和14年)のものとは漢字や仮名遣いに変更がなされている箇所があるそうだ。上・中・下の三巻の中に数々の花物語が綴られている。少しずつ好きなお話の中から。
清きすがた
されどゆくすえ
思えばかなし
かしらなでつつ
われは祈ぎぬ
『神、花の姿、永久に変えぬ』
葉山先生という女学生たちの憧れのマドンナのような存在。慕う少女の気持ちが繊細でいじらしく心痛いほどに伝わる。辞職後、帰郷され、葉山先生は翌年にお亡くなりになった。でも、学舎の少女たちの胸にこのローレライの歌曲(ハイネの詩にリストが曲をつけたもの)は、白百合のお花が”純潔”と囁き咲くかぎりは、永久に共に生きるという美しくたおやかな物語。