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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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我がミューズ☆シャーロット・ランプリングCHARLOTTE RAMPLING 『愛の嵐』 美少女ルチアを巡るあれこれ♪

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映画が子供の頃から好きだけれど、この『愛の嵐』をテレビで観た時の衝撃が今もずっと映画が好きでいられる私に繋がっていると想う。音楽もボウイしか聴かない訳ではないけれど、自然と音楽と映画、ファッションなどが連なり、今の私の好きな世界があるのだと想うと不思議でもあり愉しい♪この映画を隠れる様にして一人でこっそり観ていた小学6年生の私。随分昔の事なのに今でもフラッシュバックすることが多い。1987年にリバイバル上映で大きなスクリーンでも観る事ができた。私の初恋の女優さまであるシャーロット・ランプリング!母はドミニク・サンダさまの方が好きだった。そして、私もそうなるのだけれど...。嘗ては風変わりな作風や映像美ばかりを優先して観ていたけれど、今では観る映画の幅もとても広がってもう死ぬまでこの楽しみは続くとしか思えない程。でも、幼い子供時代にいきなりこの映画に遭遇したのもご縁というのだろうか...友人からは”変ってる”だの”いやらしい”だのと言われたものだ(お喋りの中でのことなのだけれど、ある時期まで自分の大好きなもののことを自ら他言することを止めてしまった)。両親は寛容だったので外ではおとなしくお家ではずっと喋ってるような時期があった...。私は”子供時代は良かったね~”というお話にはピンと来ない。気持ちは分かる気がするけれど、あの時代の風景を懐かしく想ったりしても、”子供時代が良かった”とは言い切れない...そこら辺のことは自分でも上手く説明できないので、こうして私なりの”少女幻想”を思いつくままに綴ったりしているのかも。”少女幻想”だもの、ちょっとした瞬間に崩れ散るものだろうし、角度を変えると地獄図にも成り得る。
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この映画の内容は深い。まだ子供だった私は何を感じたのだろう...とずっと想ってきた。でも、”観てはいけないものを観てる”感覚は強烈だった。ナチスだし、性倒錯した世界が描かれ死へ向かうしかない運命の二人。やっぱり変なのかなぁ...”いやらしい”という表現は私は感じなかった。それよりも”美しい!”と思えたのだから。何と言われようが、ヨーロッパの頽廃映画の代表作に違いないのだから良し。あるお友達とこの映画のお話をしていて、”どこが好き?”と訊かれたので、それはもう!最初に観た時から今もあのダーク・ボガード扮するマックスがユダヤの少女ルチアのことを”僕のかわいい子”と語る、その言葉!なので、それを告げると、”ほ~ら、お父さんじゃない。”と言われハッとしたものだ。彼女はいつも確信を突く...言葉にされ、ようやく自分で思考する鈍感な私なのだ。ファザコンだということを突かれたのも彼女だった。なので、父の死は今も母の死の受け止め方とは違う。母のことも大好きだけれど違うのだ...言葉にできないけれど、寡黙で厳格な父の姿に憧れと誇りを持って生きてきたし、今もその気持ちは変らない。何故に『愛の嵐』からこうなるのか...ダーク・ボガード!!に幼い私は父的な美を見たように想う。似ている訳ではないけれどハンサムではあった。そして、この時点でこのお二人の他の作品も観たい!と映画チェックが始まり家にある古い映画雑誌を毎日眺めていた。そして、母との共通の趣味が持て影響を受けた。私がボウイを教えてあげたのだけれど、母も美形には弱いので一緒に『戦場のメリー・クリスマス』を観に行った。戦時中、私の両親は学生だったけれどあの恐怖を知っている。特に母は怖かったと語っていた。父は仲の良かった兄を亡くしている。そんな両親と私の育った時代は大きく違うけれど、こうした映画を通じて共鳴し合うことができた。想いは其々だけれど。
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長くなる!もっと具体化すると面白い。この『愛の嵐』の監督はイタリアの女性監督リリアーナ・カヴァーニ。ルキノ・ヴィスコンティの助監督をされていた。また、製作者であるロバート・ゴードン・エドワーズは、『ベニスに死す』や『ルートヴィヒ 神々の黄昏』も手掛けたお方。また、音楽はダニエル・パリスなので『ルー・サロメ 善悪の彼岸』が直ぐに浮かぶお方。そして、劇中の名場面のひとつでもある、ユダヤ人のルチアが裸体にサスペンダー姿で『望みは何と訊かれたら』(後にマレーネ・ディートリッヒのレコードの中で見つけた時の歓喜!)を歌う。ディートリッヒというと『地獄に堕ちた勇者ども』や『ジャスト・ア・ジゴロ』...と共通するものが多い。既に私は10代の頃にこれらの作品やアーティストたちに出会い今も”我がミューズ”の方々ばかりが此処にいる!この衝撃を超えるものはこの後あるだろうか...と想う程にゴージャス☆遭遇の過程を大まかに辿ると、アラン・ドロン~マレーネ・ディートリッヒ~シャーロット・ランプリング~ダーク・ボガード~デヴィッド・ボウイ~ヘルムート・バーガー~ルキノ・ヴィスコンティ~ドミニク・サンダ~ビヨルン・アンドレセン~ロミー・シュナイダー...と今の私に欠かせない大好きな方々ばかり!年月が必要だったけれど、今はこうした流れが不思議だけれど自然なので愉快な気持ち。また、大好きなオスカー・ワイルドの存在も欠かせないので、この『愛の嵐』と『サロメ』の結びつきも嬉しい。

このユダヤ人の美少女ルチアか、メリーベル(萩尾望都さまの『ポーの一族』)が最も幼少期から今まで私の中で生き続けている”少女幻想”の重要人物かもしれない...何か美しいパズル遊びをしているようで愉しい☆

愛の嵐/IL PORTIERE DI NOTTE
 1973年・イタリア/アメリカ合作映画
監督:リリアーナ・カヴァーニ 製作:ロバート・ゴードン・エドワーズ 
脚本:リリアーナ・カヴァーニ、イタロ・モスカーティ
撮影:アルフィオ・コンチーニ 音楽:ダニエル・パリス
出演:ダーク・ボガード、シャーロット・ランプリング、フィリップ・ルロワ、ガブリエル・フェルゼッティ、イザ・ミランダ、マリノ・マッセ

(追記)
※このルチアを描く芽となったと語るリリアーナ・カヴァー監督のお言葉を再発見できましたので追記しておこうと想います。

★『愛の嵐』のルチアを巡る想いなどを思いつくままに少し綴ってみたけれど、まだまだ想いは遥か...この衝撃の出会いが今も映画が大好き!でどうしようもない私となっているように想う。

久しぶりに、リバイバル上映時(1987年)の時に購入したパンフレットを眺めてみた。この映画の脚本は監督のリリアーナ・カヴァーニ、イタロ・モスカーティとなっていて、原作がある訳ではないけれど、実在する女性のお話などから監督が書き上げたものだと記してあった。この頁の内容はすっかり忘れてしまっていたので、再発見したようで今なお新鮮に受け止めることができて嬉しい。

「ダハウの収容所に18から21歳までいたあるユダヤ女性は、今もなお毎年のバカンスをダハウで過ごすのだと言っていました。でも、彼女はそれがなぜだか、自分にも分からないのです。また、かつてアウシュヴィッツにいた別のブルジョワ女性は、もう夫や子供のところに戻ることができず、ひとりで生きるために家を出ました。すでに収容所で極度の残酷さを知った彼女にはもう正常な家庭生活を送るにはあまりにも人間が歪んでしまっていることを自分で感じていたのです。そして彼女はこう言っていました、”犠牲者がみな純真で潔白だなんて考えないで”と彼女は私に言いました。これらドストエフスキー的な女性たちが私に不安を与え、それが『愛の嵐』の女性を描く芽となったのです。」 by リリアーナ・カヴァーニ監督


by claranomori | 2007-12-26 23:26 | 往還する女と少女