『ジャンヌ・モローの思春期 (L'ADOLESCENTE)』は、ジャンヌ・モローの監督作品の第2作目となるもので1979年映画。日本公開はかなり遅れて1986年。私は何を観た時かは思い出せないのだけれど、今はもう無い小さな劇場でこの映画の予告編を観て知った。ジャンヌ・モローは出演されていないけれど、ナレーションでお声が聞ける。主役の12歳の少女マリー(レティシア・ショボー)の思春期を自らの体験をもベースに脚本が書かれていったようだ。ジャンヌ・モローのインタビューによると、フランソワーズ・トリュフォーから脚本の修正など多くの助言を頂けたものだという。”少女映画”、”思春期”をテーマにした映画は沢山あるけれど、やはり私は女性なのでその通過儀礼を体験している。なので、女性監督の描くものはとても親しみやすいように想う。ジャンヌ・モローは大好きだし、さらにそのジャンヌ・モローが敬愛している大女優シモーヌ・シニョレの存在はこの作品の中でもとても大きい。マリーの祖母の役を演じている。こうした、少女映画の主役を周りの存在感あふれる素晴らしい俳優方と共に綴られるもの、叙情溢れるものは美しい映像美だけではなく、俳優の醸し出す人間味や巧みな表現力などが加味されると、さらに深いものになるのだと想う。
12歳のマリーはユダヤ人の青年医師(フランシス・ユステール)に恋をする。足の痛みを口実に診察してもらい大胆にも告白してしまう。でも、その医師とマリーの母エヴァが森の中で抱き合う姿を目撃してしまうのだった(エヴァには夫がいるので不倫である)。この思春期の少女は早くも儚い初恋に傷ついてしまう。そんな全ての状況を知っている祖母(シモーヌ・シニョレ)は、マリーの疑問に答える言葉は「真実が人間を自由にするのよ」に尽きるのだった。この言葉はとても重く深い、そして難解に想う。フランスの夏の風景、美しい緑の自然の中、祖母の家でのひと夏のお話ながら、それで終わらない。時代はファシズムの足音の近づく折。シモーヌ・シニョレの内的演技の素晴らしさは私如きが言うまでも無く卓越したもの。こんな女優さまは他にはおられないだろう!1985年にお亡くなりになっているので、日本公開されたのは死後。劇中でも、先遠くはない自分の死を奥底に、孫娘に”死”について語る。遂に、第二次世界大戦が始まると共にこの映画は終える...田園風景の中をバスが走り、「戦争が始まった。戦争は果てしない悲しみと、多くの死をもたらした」「何もかもが変った。生きる楽しさは終わりを告げた」とジャンヌ・モローのナレーションが静かに深く余韻を残しながら響く。そして、シニョレが玄関のドアをそぉっと閉めて終わる...見事である!!主役はシモーヌ・シニョレでもあるように私は大好きなので想う。ジャンヌ・モローが敬愛しているお方、マルグリット・デュラスもシニョレの死に哀悼の名言を残されているほど☆
「思春期」とは、人間の一生の中で、とりたてて、はたからの事件がなくてもその人自身の中である変化を起こす時期ではないかと思います。それを私は想像で描きたいと思いました。この映画は、1939年、大戦が勃発する直前の思春期を描いたものです。今と違って、外から社会的な影響を大きく受けている時代です。
思春期というものが訪れる前には、私たち人間は人生についてそれほど色々なことをはっきり意識して生きていません。しかし初めて思春期になると、様々な変化が起きてきて、特に女性の場合は恋をします。その時にすべてのものがだんだん変って見えてきます。映画の最後は1939年、フランスがドイツに宣戦布告したというニュースがラジオから聞こえてくるところで終わります。ですから、だんだん時代の波が押し寄せてくる変化に対しても、若い青春の心が、やはり少女の時代とそれから乙女になった時代と、恋をしている時代によって影響の印象が違ってくるということを私は描きたかったのです。
(ジャンヌ・モローのインタビューより)