あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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妖精画家(イダ・レントール・アウスウェイト:IDA RENTOUL OUTHWAITE)

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イダ・レントール・アウスウェイト(Ida Rentoul Outhwaite:1988~1960)は当時は英国領だった頃のオーストラリアのメルボルン生まれ。イギリスでは、既にケイト・グリーナウェイやアーサー・ラッカム、オーブリー・ビアズレー達、挿絵画家達の黄金時代という頃。友人から頂いたビアズレーの絵に夢中になり、2歳頃から周りを驚かせるような絵を描いていたというイダの絵を、友人がイギリスの出版社に送ったりもしていたという。

イダは4人姉弟の二番目で、姉のアーニィは古典語や詩に秀でたお方で文章を書いていた。その姉の詩に挿絵を描き、次第に姉妹は雑誌やポストカードなどで広く知られる存在となってゆく。イダはパントマイム劇団のお衣装をデザインしたり、初めてオーストラリアで刊行された「ピーターパン」の挿絵を書いたお方でもある。

1909年には若き実業家と結婚。その夫グレンブリィ・アウスウェイトは才能ある妻のためにアトリエを建て、イダは4人の子供たちの子育てと両立しながらも絵を描き続けていた。カラー印刷の技術が急進的に発達した時期でもあり、それまでのモノクロのペン画から色彩を取り入れるようになってゆく。第一次世界大戦下に姉の文章と共に出版した「こびとと妖精」(1916年)で、51枚の挿絵を描き妖精画として、それまでイギリスに頼っていたアートブック界で、初めてオーストラリアにもその到達を得たもの。このご本は、夫の発案により英皇室に献本し、印税は戦時下の赤十字に寄付されたという。戦後は、夫の勧めで英国で個展を開き成功を収め、その名はこうして今日まで継承されるに至る。

私の勝手なイメージながら、生まれ持った絵の才能を姉や夫と共に、年老いてもずっと少女の夢の世界を描き続けたようなお方に想う。全ての作品を知っているわけではないけれど、年代を追って眺めていると、どうしてもそのように感じ嬉しく思い、そんなお心が絵に表れているようで敬服する。
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by claranomori | 2007-09-12 10:00 | 神話・お伽噺・妖精譚