あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『少女の唄』 NICO:ニコあるいはクリスタ・パフゲン

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★ニコ:NICO。クリスタ・パフゲン、クリスタ・ニコ。生まれた時からなのか(宿命というものなのか)。グレゴリー・ペックに似ていたというハンサムな父(ドイツ人ながら反ナチスなお方だった為に殺されてしまう)を、僅か1歳半で失ってしまった。ニコのヴァガボンドな精神の漂流は死に至るまで続いたように想う。ニコの新作は80年代の終わりと共にもう届かない。もうすぐ20年...。残された作品を繰り返し聴くこと、出演された映画(フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』の劇中、マルチェロ・マストロヤンニとの会話の場面で既に”ニコ”と呼ばれている)を観ることは可能。私の好きなひと。私がもっと若い頃、ニコの実年齢よりも老いたような、時に老婆のようなその様相に何か許せない(傲慢な言葉!)ものを感じ、ニコを好きになるのをやめようとしたことがある。何度も。好きなひとを自らの意思で好きでないと想うようなことはニコにしか懐いたことはない。そして、その愚かな試みは、さらに”好き”だという確信のようなものに変わってゆき今に至る。何が言いたいのか?!生まれ持った美をこれ程嫌がったお方はおられないのでは...と想う。美しい高貴なお方が悲劇の最期を遂げることは多いけれど。生まれ持った美しいブロンドの髪を真っ黒に染め始めた。60年代。みんなはその髪の変化、ニコの見かけの変化に、”ニコ、それはないよ。”と非難されたそうだけれど、ニコはそういう言葉を喜んだという。ヴォーグなどのモデル時代。ニコはモデルというお仕事が嫌いで仕方がなかった折に音楽に出逢う。あのハーモニウムはニコのこころのように優しく、時に哀しく響く。あの太くゆったりとした低い唯一無二のお声と共に☆

知ることも見ることもやめて 
誰かの意見を身にまとい
自分のもののように振舞って 
綺麗なのにひとりぼっち 
綺麗なのにひとりぼっち

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おもちゃが壊れてしまうまで 
彼女はおもちゃを大切に扱う 
そして 寂しかった
髪が綺麗な金色だったから 
唇が赤いワインのようだったから


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ニコは数ヶ国語を話せたけれど、母国語すら完璧ではなかったという。デラシネとしてのニコに相応しい。ニコのあの発音が好き!ドイツ人であることを嫌っていたけれど、最後はドイツ語の曲が多い。祖国を離れてもドイツ人であることをやめることはできない。ニコの歌の中には時折、少女が表れる。それも孤独で死と戯れているかのような雰囲気の。幼い頃の体験、記憶にどうしても戻ってゆく。私の好きな女性アーティストの多くはこのような人達。”綺麗なのにひとりぼっち”なニコ。来日時に、”これまでの人生を後悔してはいない。ただ、女性に生まれてきたこと以外は。”と語っていた。チヤホヤされるその美しさをいつしか憎みだしたのだろう。レズビアンを装ったこともある。あの長く美しい髪を男の子のようにバッサリと切り、全身を黒いセーターとパンツスタイルにしていた50年代。そのお姿も美しい!どう変わっても高貴さを隠すことはできない。嘗てのマネージャーであったアラン・ワイズは、”病的(マニアック)なことは気高い証拠だからね”と語る。ニコというとアンディ・ウォーホルやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、過剰なドラッグ浸りの生活、暗黒の女王として語られることが多い。それも然りながら、ニコの詩の中に心を閉ざした少女の姿が見え隠れすることを大切に想う私。此処は「少女愛惜」、私の心の漂流場所のようにも想う。ロリータ映画や少女映画も大好き!でも表象だけの世界では物足りない。私が好きな”少女たち”は時に死と隣り合わせであったり、死により完結されるようなお方も多い。何故だか、何となくそのお気持ちが分かる気がするので怖いけれど、それも私。そして、大好きでたまらない世界は、絢爛豪華な美の光と陰でもあり、可憐さの裏側に隠された孤独な少女の姿だったりする(少年も同様に)。ニコ関連は、また追記したいと想います。

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by claranomori | 2007-10-18 06:30 | 往還する女と少女