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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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ヴァレリー・ラルボー(VALERY LARBAUD)の『幼なごころ』 を読み想うこと

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★ヴァレリー・ラルボー(VALERY LARBAUD:1881年~1957年)の『幼なごころ(ENFANTINES)』(初刊は1918年)は、ほぼ8歳から14歳までの少年少女を主人公とする慎ましやかな優しい作品。この御本のことを知ったのは、お友達の偽少女(chibinova)君とネット会話をして愉しんでいた時のこと。フランスには大きな作家ポール・ヴァレリーもいれば、このような小さな作家ヴァレリー・ラルボーもいた。大小や国籍など関係ない!そのことは、このヴァレリー・ラルボーの魅力でもある。彼は英米文学、イタリアやスペイン文学の翻訳家でもあり、「裕福な愛好家」を生涯貫いたお方で、読んでいてとてもそのお心が伝わり気持ちがよい。ご本人は”専門家”と称されることを嫌い、”愛好家(アマチュア)”と自負されていたようだ。”愛好家”とは角度を違えば”オタク”とか”偏執狂”と色眼鏡で見られたり、湾曲したイメージや憤りさえ覚えるお方もおられるだろう...。ところが、私は多分にこの”愛好家”という言葉が好きだし、ずっと知らないうちにそのような塩梅で生きてきたよう(出来れば老婆になっても死ぬまでそうありたい!)に思うことがある。ラルボーのように経済的に豊かではないけれど、楽しいのだ。お仕事である音楽や映画、好きな書物や古い絵画、名も知れぬ可憐な少年少女たちのお声の響き...♪(早い夕刻、平日が多い(今は)。少女か少年か判らないなんとも可愛らしいお声が響く。”バイバイ~!バイバイ~!またあした~”と、精一杯のお声を仲良しのお友達に発している。相手のお友達のお声は私には聞こえない(だんだんとお互いのお家に向かう距離を感じる)。そして、そのお声のお方の姿を知ろうとはしない。窓から覗いて確かめたい気持ちもあるけれど、そっとこの愉しみを味わっているという喜びをいったい、どのくらいのお方が理解してくださるだろうか...。そのお声はいつまで続くだろう...と想うと儚い。あの限られた刻だけのお声。少年とも少女とも区別のつかないあの響きが大好き!)私の綴り、想いなので発言に責任を持って書いているつもり。なので、勘違いされたくはない!相方にこのお声のお話を幾度かしたのだけれど、”うん(またか、それどころちゃうねん!)”という愛想の無い反応で語る人がいないのでこうして綴っている。変かなぁ...まあ、気にしない気にしない。

この『幼なごころ』 には10篇の「子供の情景」のようなお話が収録されている。まだ1度通して読んだだけなのだけれど、2度読んだ箇所がある。きっと、最初に私の心が動いた、あるいは心に刺さった、あるいは心に届いたものなのかな...「ドリー」というお話。ドロシー・ジャクソンという12歳の少女が病気で死んでしまう。そして、同じく12歳のエルシーという少女の心の描写をラルボーは巧みな学識を隠しきれずに、でもとても軽やかに綴っている(この文体の特色はどのお話にも通じるようだ)。

どれも好きだったのだけれど「夏休みの宿題」という一篇より。

「自由と楽しさに満ちていたので、ぼくは本能的に至上の楽しみを、すなわち利害を超えた純粋な精神活動からなる楽しみを探し求めていた。」

とあるのだけれど、正しくヴァレリー・ラルボーというお方の生涯そのもののように想う。補遺の中に「彼が「幼なごころ」を書くとき、英雄的な仕事のなかにまで彼のあとを追い彼を支えてくれるのは、家庭への思いではなく、いちばん背の高い女の子と小さな女の子へと向かう彼自身の心のふるえるような歩みであり、彼女たちにいろいろと教えてもらい、案内してもらい、目に見えないさまざまな危険から守ってもらいたいという欲求にほかならない。彼は自分のなかに謙遜と無垢という古い宝をふたたび見出し、小声で歌い、その歌がわずかの人びとにしか聞こえないようにと願う。」とある。

美少女や醜い少女、それは見かけだけのこと。心の無垢さ、残酷さ(純粋さ故の残酷もあるけれど)は容姿とは比例しない。私は子供の頃からお姫様が主人公の童話も好めば、ヘレン・ケラーのような可愛そうな境遇の少女、赤毛のアンのような孤児の少女に胸を動かされてきた。その気持ちは今も変わらず”好きな少女たち”として継続している奇跡に感謝したい☆

そして、寺山修司のアフォリズムの中のあるお言葉が時折聞こえてくる。

「美しすぎる童話を愛読したものは、大人になってから、その童話に復讐される。」(さかさま世界史)より。

既に復讐されているようである。なので、しかし、私は自分の心の喜びに向かっていたい。時に出逢わなければならない心の闇の部分にまで影響することもあるけれど。それも愉し♪社会の悪意の潜む中を歌声高らかに生きてゆきたいと願う未熟者の処世術なのかもしれない...。
by claranomori | 2007-09-27 11:38 | 少女愛考・少年愛好