あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

やはり美少年も外せない

色々と繋がっていて、脳内美少女館は混乱する。さて?「少女」と一言に言ってしまっても・・・。童女と思春期の少女、さらには20歳を過ぎても、はたまたもっと年を増しても「ガーリー」という形容ならもっと幅広く「少女的」な世界を持つお方や作品も広がる。こういうブログで誤解され易いのはロリィタ(ロリータ)・コンプレックスが病的(時にかなり湾曲されて)に取られてしまいがちなこと。確かに悲惨な事件が日本でも相次ぐので、本当に自分の言葉に責任を持って書かなくてはならない!と思っている。何故かは本当に分からないけれど、私の中の大切なものの一つなのだから。しかし、これまた厄介な事に、私の場合、「ハンサムな女性」にもとても惹かれてしまう。メソメソしない、男性にだって立ち向かっていく。それも美女でなければならないけれど。「美女」と言っても「美少女」と言っても好みは人それぞれ。そして、そういう私は「美少年」も外す訳にはいかないと行き着いてしまった。「少女愛惜」に「少年」のカテゴリーを持ってきてしまったけれど、ご理解下さるお方はいらっしゃると思う。

「自然」の中に美を見るのは、自然のイデアをつかもうとすることだ。もともと自然的存在である女性中に美人乃至美女を選び出そうとすることは、「美少年的なもの」をそこに探り当てようとするのである。「美少年的なもの」とは、見失われた我自らの幼年期がイデア化されたもの他ならない。子供とはいまは取戻すよしもない自身のモデルであるが、これに「美」がくっ付くと、その理想化だということになる。友人は「第ニの自己」で、美少年は「第三の自己」だと言えるであろう。一般女性が、すらりとした容姿にあやかりたいと心胆を砕いているのも、実は万人の裡に存する「少年嗜好」を語るものである。父子の愛、きょうだいの愛、友愛、共に同性愛であるが、只永い間のしきたりのために抑圧されて、意識に上がらない迄の話である。「少女嗜好」だって、やはり水増した少年嗜好だと解釈される。

★稲垣足穂 「アフロディテ=ウラニア - 感想私録 -」 より。


かれこれ20年来の友人が私にタルホの名も出しながら「やおい少女」について語った。私を10代の頃から知る彼には色々と見抜かれているので「はい、そうですね...。」と納得するばかり。(でも、そういう面もあるということ。)美少女や可愛い少女、中性的な美女にも反応は早いけれど、どうしても美少年、美青年、美中年までも反応してしまう。全て、うっとりと傍観するのみなのだけれど。タルホ氏はさらに「美はこうして、女性たちに横取りされたのであり、もとを言えば男性の所属である。正確には「少年」に属する。」とも語っておられる。嘗ての私は少し反感を持ってこれらのお言葉を読んでいたものだけれど、今の私は結構納得してしまうのだった...。少女マンガが原点だとハッキリ私の場合は言える。そこから映画の中の美少年たちへと向かって行き、今も継続されている。勿論、デヴィッド・ボウイさまの存在はとても大きい!クリミナル・ワールド♪

b0106921_6243236.jpg

[PR]
by claranomori | 2006-07-15 01:25 | 少女愛考・少年愛好