『白蛾』 作:豊島与志雄 ★ 近代説話 (昭和21年:1946年)
2013年 05月 04日
『白蛾』は一種の焼け跡小説であり、豊島与志雄ならではの幻想文学でもあると思います。焼け跡の菜園に東京の農村化をみる。村育ちの少年時を中年期の今、焼け跡暮らしに幻視する。比較的空襲の被害の少なかった谷根千(谷中・根津・千駄木)の谷中墓地にまだ五重塔があった(後に放火により焼失)。この五重塔の下で主人公の岸本と美津枝は逢引きをし一夜を過ごす。美津枝は岸本が通勤の折に見かけ惹かれていた女性である。一週間後に再会の約束をするが彼女は現れない。
美津枝の境遇はこのように語られている。この当時の日本での間借り生活は普通のことで、二家族三家族が雑居生活の家はざらであったのです。待っても現れないので、その彼女の間借りの家を男性は訪ねる。そこの善良そうな老人は語る。
老人は人差し指で額を叩きました。
「少し変でしてね、時々おかしいことがありましたよ。静岡へ行く少し前など、毎日、ひどくおめかしをして出かけましたが、或る晩は、夜更けに戻ってきて、なんだかしくしく泣いているようでした。それが、ふだんは正気なもんで、はたからは何のことやらけじめがつきませんでね。元からあんなじゃなかったんでしょうが、いろいろ不幸が続いたもんですから・・・・・気の毒でしてね。」
この女性は戦災で頭がおかしくなった白痴美のお方で、今の境遇から連れ出してくれる人を毎日五重塔の下で待っていたのです。白蛾は女性の神秘的な比喩としての描写でしょうか。嘗てお世話になったお千代という女性と美津枝が重なり合う幻視的な心模様。戦中戦後の激動の中で生きた人々の姿を想うことが好きな私は、この美津枝さんが好きです。また自責の念に捉われ、さらに美津枝さんをいとおしく思う岸本さんの心も。
●戦後GHQ占領期日本●
(昭和21年:1946年2月) 覚え書き
第一次農地改革を実施
軍人恩給停止(53年に復活)
マッカーサーがGHQ民放局に憲法草案の作成を指示
(三原則は象徴天皇、戦争放棄、封建制度の廃止)
天皇陛下の全国巡幸が開始される
タバコ「コロナ(10本入り10円)」が発売
東京宝塚劇場を「アーニーパイル劇場」と改称
玄洋社など45団体に対し、軍国主義・超国家主義として解散命令
東京の山手線でGHQ専用車両の運行開始
公職追放令公布
アメリカ映画「春の序曲」「キュリー夫人」が、戦後はじめて封切られる。
(入場料10円 *邦画は3円)
※日本の歴史に於いて、初めて、唯一の、この7年弱(昭和20年:1945年8月~昭和27年:1952年4月)と云う連合軍(GHQ)による占領下という時代。この時期は検閲も厳しい中、作家たちは貧しい紙に筆を走らせた。その中から得られるものは尊いと思います。「戦後体制」は未だに続いている。脱却するにはやはり当時の事を知りたいのです。戦後68年、決して遠い時代のことではない。その時代を体験している方々もまだまだご健在です。日本の近代史、現代史を学ぶこと無くして、今の鬱積した国内の問題、これからの日本、諸外国との関係などを考察することはできない、そのように感じます。なので、自分の器内で読んだり観たり聞いたりして、考えてゆきたいと思います。