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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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大好きな映画監督 VOL.5 ★ ベルナルド・ベルトルッチ:BERNARDO BERTOLUCCI

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ベルナルド・ベルトルッチ:BERNARDO BERTOLUCCI
生年月日:1940年3月16日 魚座 イタリア・パルマ生まれ

★ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)は1940年3月16日生まれの、北イタリア、エミーリア地方のパルマ出身の映画監督。父親は有名な詩人かつ文芸評論家のアッティリオ・ベルトルッチである。早熟な詩人で23歳の折に『11月の火』という詩集を出版している。母親のジネッタ・ジョヴァナルディはオーストリア出身で、アイルランド人の母親ととパルマ出身のイタリア人の父親との娘である。ベルナルドには六つ下の弟、ジュゼッペがいる。ベルトルッチはパルマの丘に近い大きな家で少年時代を過ごし、1952年に家族と共にローマに移った。けれど、ベルトルッチ少年にとって故郷パルマは忘れ難く、帰郷の機会をうかがっていた。故にパルマとその近辺のエミーリア地方はパリと共に、ベルナルド・ベルトルッチ作品の重要な背景でもある。

まだ10代のベルナルド・ベルトルッチは1956年から1957年には、パルマで短編映画を撮影していた。『豚の死』である。そして、『ローブウェイ』という作品も撮っている。その後、ローマ大学を中退し、ピエル・パオロ・パゾリーニの助監督を担当し、1962年の監督長編処女作『殺し』以降、国際的映画監督として歩み始める。パリのシネマテークに通いづめ、イタリアの同時代の映画よりもフランスのヌーヴェル・ヴァーグ作品に夢中になっていた。殊にジャン=リュック・ゴダールの影響は大きい。詩、歴史的映画と時間、故郷、父親を求めるベルトルッチ自身と作品の中の分身たちとの対立と同化も特徴である。

端正な構図と物語の展開。その時間と空間は重奏的な詩のようでもある。ファシズムと社会主義の軋轢が主題であっても、ベルトルッチ映画は常に狂気と美の監督で、その美は甘美かつ残酷である。そのような美意識が私の心に響くのだろうと想います。また私の個人的な強い思い入れは『暗殺の森』であり『1900年』なのですが、それは惑うことなくドミニク・サンダへの愛ゆえに。

私は詩人の息子である。詩人の父は長年にわたって様々な雑誌に映画批評を書いていた。私は極めて早くから詩を書き始めたように、極めて早くから映画館にも通った。私たちはパルマに近い田舎に住んでいて、父は度々私を町に連れて行ってくれた。そして私は沢山の映画を見て、パルマの映画館の案内嬢は一人残らず顔見知りだった。私の父は映画を見ること、映画を理解すること、そして映画を愛することを教えてくれた。私の映画に対する愛は、私の祖父の田舎に対する愛が父の田舎に対する愛となって現れているように父の映画に対する愛に多くを負うている。

- ベルナルド・ベルトルッチ -

●代表作●  
ドリーマーズ (2003) 監督 
10ミニッツ・オールダー イデアの森 (2002) 監督/脚本 
愛の勝利 (2001) 脚本/製作 
アルマーニ (2000) 出演 
シャンドライの恋 (1998) 監督/脚本 
魅せられて (1996) 監督 
リトル・ブッダ (1993) 監督/原案 
シェルタリング・スカイ (1990) 監督/脚本  
ラストエンペラー (1987) 監督/脚本 
ある愚か者の悲劇 (1981) 監督/脚本 
ルナ (1979) 監督/脚本 
1900年 (1976) 監督/脚本 
ラストタンゴ・イン・パリ (1972) 監督/脚本 
暗殺の森 (1970)監督/脚本
愛と怒り (1969) 監督 
暗殺のオペラ (1969) 監督/脚本 
ウエスタン (1968) 原案 
革命前夜 (1964) 監督/脚本 
殺し (1962) 監督/脚本

大好きな映画監督 VOL.5 ★ ベルナルド・ベルトルッチ:BERNARDO BERTOLUCCI_b0106921_13322959.jpg

by claranomori | 2012-10-01 12:25 | 大好きな映画監督