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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『赤毛のアン』の翻訳者:村岡花子の書斎の壁の林芙美子の詩★明治の女性作家たちを想う

『赤毛のアン』の翻訳者:村岡花子の書斎の壁の林芙美子の詩★明治の女性作家たちを想う_b0106921_493163.jpg

★村岡花子(明治26年:1893年6月21日~昭和43年:1968年10月25日)というと『赤毛のアン』の翻訳者として有名なお方で、エレナ・ポーター、ルイーザ・メイ・オルコットの著作の翻訳も手がけた児童文学者でもある。村岡花子は、明治時代のミッション・スクールの寄宿舎へ、10歳の折に父に手を引かれ、麻布、鳥居坂の桜並木を歩いていた。七分咲きの桜のレース越しに見える空は青く澄み、枝の間にはガス燈が文明開化の名残をとどめる。時は明治36年(1903年)の春のこと。平民の花子には雲の上の人々であった華族や富豪の娘たちが多く学ぶ東洋英和女学校という、カナダ人宣教師によって設立されたミッション・スクールであった。花子は奨学生(給費生)として、クリスチャンである条件以外に、在学中は麻布十番にある孤児院の日曜学校での奉仕活動が義務付けられていた。そして、学費の免除の代わりに、学科の成績が悪ければ即、退校という境遇。カナダ人宣教師の教育はとても厳しいものであったという。

そんな少女時代を送った花子は、後にルーシー・モード・モンゴメリの「赤毛のアン」シリーズ全10巻を訳了し、新潮文庫の全訳と、講談社の抄訳、それぞれのシリーズが出版、という大偉業に達する。『赤毛のアン』『アンの青春』『アンの愛情』『アンの友達』『アンの幸福』『アンの夢の家』『炉辺荘のアン』『アンをめぐる人々』、そして、物語の主人公をアンから、アンの6人の子供たちの世代に移した『虹の谷のアン』『アンの娘リラ』を世に送った。

同じ時代を生きた人々との交流を想う。友人たちの思い出が書斎にはいっぱい。その中に、年下の林芙美子(明治36年:1903年12月31日~昭和26年:1951年6月28日)から贈られた直筆の詩が額装して壁に飾られているそうです。原稿用紙に、万年筆で丸い癖のある文字で。

風も吹くなり
雲も光るなり
生きてゐる幸福(しあわせ)は
浪間の鷗のごとく
縹渺とただよい

生きてゐる幸福(こうふく)は
あなたも知ってゐる
私も知ってゐる
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雪も光るなり

詩:林芙美子
『アンのゆりかご』
より

人気作家となった林芙美子は、いつも何かに追われ心のゆとりとは無縁であった。あらぬ噂を立てただの、常に泥臭い評判が付き纏い、成金趣味と周囲は冷笑していた。けれど、村岡花子の記憶の中では、友だちから誤解されて辛いと涙ながらに訴えていた芙美子、雑談では煙草をふかし「家庭なんて」とうそぶきながら大事にしていた家族、「母が村岡さんのファンなのよ」と云って母親を紹介してくれた芙美子・・・の可愛い姿だけ。恐らく噂の半分は本当で、もう少し心のバランスがとれていれば、あんなに早く命を落とさずにすんだのではないかと惜しまれるが、芙美子の過剰なまでの欲望が人々の心に訴える優れた作品を書かせていたのだろう。またこの詩に内面の真実があるのだろうとも。私もそんな風に想えます。時代と闘いながら生き抜いた明治の女性作家たち☆
by claranomori | 2012-06-09 03:08 | 愛の花束・日本の抒情・文学