ニーチェに回帰してゆく中「美」を求める心に再び★「われわれはひっきりなしに堕落してゆくのではないか」
2012年 04月 12日
ニーチェ 『悦ばしき知識』 より
★ニーチェは「神の死」を告げることにより、近代的人間の矛盾する根底をニヒリズムとする。「われわれはどこへ向って動いているのか、すべての太陽から離れてゆくのか、われわれはひっきりなしに堕落してゆくのではないか」と、自然科学の内包するニヒリズム。「神の死」は、この神の名によって支えられてきた超越的存在、生の究極的意味、目的と価値の世界がひっくり返る。「一切価値の転倒」であり、ヨーロッパ・ニヒリズムの当来である。
人間は自然のなかの故郷を喪失した。パスカルのように、その神をみることのできない、大いなる空間の無限の沈黙のなかに恐るべき不安をおぼえる。ニーチェはこのヨーロッパのニヒリズムからの克服する道として、「超人」や「永劫回帰」の哲学に求めてゆく。それは、「究極の知、究極の善、究極の権力のまえで永久に立ち止まり汝の思想の馬具をはずすことを拒否する」という思想。超人ツァラトウストラとは「末人」から「高人」を経て「超人」へと自己を克服してゆくニーチェその人の姿でもあり、この克服の過程に、存在の絶対的肯定へと転換する永劫回帰や運命愛が説かれる。
運命愛とは、「力は瞬間毎に自己の最終的帰結を引き出す」であり、「ある事のために命を捨てる」であり、「ひとはいつも犠牲をはらう」という意であると考える折に私の頭に浮かぶのは、今の(もっと以前からの)日本の混沌と堕落、それは私自身の反省をも含め、自責と共にやはり崇高なる「美」を求める心、あの思春期に毎日ニーチェの言葉の中で溺れそうになりながら「生」とは何だろう、という大きな疑問が解けないまま大人になってしまった私が、ようやく向き合うことのできるものを実感しているかのような微かな歓びがあります。人ぞれぞれの「美」があるという上で、「美しきもの」を求め仰ぐ心であるのだと、嘗ての蒼い私、少女時代の疑問に再び、否、今ようやく向き合っているように感じています。