澁澤龍彦 石原慎太郎 『行為と死』 書評 ★ 三島由紀夫 「石原さんにぼろぼろの旗をわたしたい。」
2012年 04月 04日
ところで、奇妙なことに、大江氏が「アルジェリア」と叫べば、石原氏は「スエズ」と答える。後進国のナショナリズムが、どうしてそんなに気になるのだろう。わたしでさえ、「明治は遠くなりにけり」という感慨が浮かぶ。もっとも、『行為と死』には、ファナティックな民族主義に対する露骨な嫌悪が示されているが、それでも随所に、「日本人ここにあり」といった気概が隠見するのは否めないだろう。
書評:澁澤龍彦 著:石原慎太郎 『行為と死』
★この書評で石原慎太郎の『行為と死』と大江健三郎の『日常生活の冒険』を続けて読み、若い世代のホープと目されていた頃のこの二作家の対比はおもしろかったと、澁澤龍彦は語っている。「家父長制思想」というのは、澁澤氏にある小説家M氏からの私信によるもので、「家父長制思想」と「母権制思想」との対立について言及してあり、その図式にあてはめてのこと。澁澤氏が『行為と死』の冒頭の「スエズ」の場面を読みながら浮かべたという山中峯太郎の文体。短い内的独白を挟みながら、端切れの良い速度で、適度にハードボイルドな描写を続けてゆくところは、アンドレ・マルローというよりも、あの日本的な冒険小説の大家、山中峯太郎そっくりと言うべきである、とも。
この澁澤龍彦氏の書評を読み、私の中の漠たるものが解け始めるかのようでした。私は日本に限らず世界的に19世紀という時代がとても好きである。石原都知事が会見で「わたしは古い人間だから」と仰る折に、私は一昔前の世代という安易な受け取り方をしていたのですが、さらに古い19世紀的人間だという意味を想うと、数々の作品や発言にさらに、あるいは違った深い意味合いを持てるように感じ、ますます石原慎太郎というお方の文学と政治、長きに渡りぶれずに己の中に国家を抱き続ける姿から、なんとも云えぬ爽快な、嘗てのお若き日よりもまして若々しき突抜けたものを感じるようです。また、あの『太陽の季節』の折から既に、石原慎太郎文学は「死」と「理想」を「我あるがゆえに我あり」という自己肯定を持って、あの戦後社会に挑戦した登場であった。敗戦後、主流は「自虐の時代」である中、石原慎太郎は価値意識を掲げていたのだということも。
by 三島由紀夫
この三島由紀夫の言葉、石原慎太郎を「エトランジェ」と語っていたことを想い出します。石原慎太郎が文壇に登場しておよそ一年後の昭和31年の三島氏と石原氏の対談での言葉より。「最後のご奉公」と石原都知事が仰った折、その他、書物の中でも度々、三島由紀夫を感じてしまう。生きていて欲しかった、一緒に、この日本のために、と石原慎太郎の心のなかでずっと三島由紀夫が生きている。そのように想えるお方は三島が仰った昭和31年から今の平成24年の年月の中、どう見渡しても石原慎太郎しかいなかったし今もいない。そういった点でも三島の先見の明、鋭敏な洞察力を再認識いたします。人それぞれ完璧な人などいない。私は好きな人を好きだと想い、どうしてそう想うのかと考えるのが好きです。嫌いな人の言動を事細かく引っ張り出しバッシングするようなことは好きではない。また政治家は外交と防衛に対してはっきりと日本としての立場で発言できるお方が私は相応しいと想うので、そんな意味でも文学と政治が離れない石原慎太郎というお方の存在は興味深いものであり、やはり好きなのです。
『行為と死』 著:石原慎太郎 新潮社
●1956年スエズを襲った英仏軍とアラブ軍の対戦のさなか、日本商社員の皆川は、侵略軍の輸送船撃沈に向った。それは、エジプト娘ファリダとの愛の完成であったが、同時に美奈子の呪縛からの脱出でもあった・・・愛と性の存在の深部を鋭く剔抉する異色長編。(1964年作品)