『最初の奇跡』 詩:インナ・カブイシ 『子供の世界』 (1996年) ★ 「現代ロシアの詩人たち」 より
2012年 03月 05日
最初の奇跡
小さい子供のころ
結婚式はダーチャで行われたものだ。
ダーチャはすばらしかった。
丸太造り、
彫刻をほどこした雨戸、
小さな出入口がふたつ。
ある晩
片方の部屋でみんながすわって
やっぱり大きくてぴかぴかした
サモワールでお茶を飲んでいた時、
もう片方の部屋にジプシーたちが忍びこんで
うちの銀食器をあらいざらい持っていってしまっても
もの音が聞こえなかったくらい
大きな家だった。
庭も広かったから
門を出なくても、そのまま森になっていて
キノコ狩りをした。
私たちは5月から10月にかけてダーチャで過ごした。永遠だった。
私は5歳だった。
10月が終わる。
小糠雨が降っていた。
庭はうす暗かった。
私は出入口にすわって、リンゴをかじっていた。
琥珀色に熟していて、歯が痛くなるくらい冷たかった。
家中リンゴがころがっていた。
家はすみからすみまでブーニンに耕されている、
彼の本のようだった ―
「アントーノフカのリンゴ」がある
黄色いページの大きな本のように。
でも永遠の国の
10月の終わりのこと、
私はまだその香りを名前で呼ぶことはできなかった。
彼は35歳だった。
この世での生を半ばまで過ごし
彼はいつのまにかうす暗い庭に立っていた。
つまり遠くの門を通って
小径を家へ向かってきたのだ。
彼の後ろにはあと二人歩いてきた。
でも私が見ていたのは彼一人だけだった。
彼は背が高く、おとぎ話のように美しかった。
青い瞳、亜麻色のあごひげ、小麦の穂の色の巻毛 ―
王子様。
私はすぐに好きになった ― なにもかも、
かじったリンゴといっしょに。
彼は井戸を掘りにきたのだった。
私は感じた、これは悪くない、
これは永遠ではない、
当然だった
最後の10月の日だったのだ ―
永遠は終わった。
しかし私はこんなことに我慢したくなかった。
彼らは日がな一日穴を掘った。
そして私は夜通し ―
穴を埋めた。
5歳のペネロペ、
私は三人の夫、三人の花婿を
監視した。
でも本当の花婿は一人だけだった。
あとの二人は彼の後ろにくっついているだけでいい。
そして徒に私は恐れた、
彼はどこへも行かなかった―
結局その10月はとどまった。
そして私もとどまった
こうして私たちはそこに立っている、
リンゴを手に持ったペネロペと王子。
おじいさんとおばあさん、
シャベルを持った労働者、
銀食器を持ったジプシーたち ―
みんな森の中の大きなテーブルについて
叫ぶ。「ゴーリカ!」 ― そして飲む。
ワインを飲む ― 井戸から直接。
詩:インナ・カブイシ
「現代ロシアの詩人たち」 鈴木正美 より
★インナ・カブイシ(Inna Kabysh)は1963年1月28日生まれのウクライナ出身の詩人。そのインナ・カブイシの1996年の作品『子供の世界』の「最初の奇跡」という不思議な自由詩のような言葉たち。少しおとぎ話風、少し悲しい歌のような、哲学的な複雑な構成の詩篇。「子供時代 ― それは時間ではなく、場なのだ」と、インナ・カブイシは作品の中の子供の世界をかつての郷愁ではなく、今この世界として提示しているのだという。詩が楽の調べであるように、やはりインナ・カブイシの詩にも音楽が聞こえる。5歳の少女が35歳の「王子様」と出会う10月の終りのお話。リンゴの香りに満ちた別荘での暮らしは、おそらくインナ・カブイシ自身を投影しているのだろうとのこと。別荘での結婚式は現実とも夢ともつかず、少女の持つリンゴの香りとの美しき重奏。鈴木正美氏はインナ・カブイシの詩の特徴は「天国」であり「子供」である。そして、リンゴは天国や幸福のシンボルとして用いられているのだと語っている。昨日、久しぶりに再会した友人とロシア(ソ連時代)のお話になり、幼き日に読んだロシア民謡や文学の素晴らしさを懐かしく想ったものです。けれど、このような1960年代以降の現代ロシアの詩人や文学はあまり馴染んでいないのですが、このインナ・カブイシという女性詩人の詩篇は、私の好きな往還する女と少女の世界だと感じ、とても興味を抱きました。もっと他の詩篇も読んでみたいです。
※上のお写真はインナ・カブイシの詩も収録の洋書の表紙をイメージ的に♪
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