『国家』 ゲーテの言葉★『カンパーニャのゲーテ』 絵:ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン
2012年 02月 26日
花が緑の枝から咲き出るように、多くの思想は一般的文化から初めて生まれ出る。
ばらの季節には至る処にばらが咲いているのを見る。
引用: ゲーテ 「格言と反省」 より
主人のために一身を犠牲にした忠僕の例はどんなに感動的だろう。シェイクスピアはそういう実例をどんなに美しく描いていることだろう。真心というのは、この場合、自分より偉いものと同等になろうとする気高い魂の努力なのだ。不断の忠誠と愛とによって、下僕も主人と等しくなるのだ。主人はふだん下僕を給金でやとっている奴隷だと心得て怪しまない。実際、忠誠とか愛とかいう美徳はただ下層のものにだけあるものだ。またそれは彼らには欠くべからざずものであり、飾りともなるものなのだ。金で身のふり方を簡単につけることのできるものは、とかく感謝の念も忘れがちだ。この意味で、身分の高い人は友だちを持つことはあるが、友だちにはなれないと、主張できるように思う。
引用: ゲーテ 「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」 より
★ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe:1749年8月28日~1832年3月22日)はドイツの詩人、作家、自然科学者、政治家、法律家であり、ドイツ文学のみならずロマン主義文学にも欠かせない文豪。中学生の折に初めて読んだゲーテの『若きウェルテルの悩み』は私の初めて涙した海外の小説でした。また再読し今の想いなどを覚え書きしておこうと想います。相変わらず「国家」に関する想いが強いので、久しぶりにゲーテの格言を色々読み、興味深い言葉を書き留めておこうと想います。上の絵は1787年のヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバインによる『ローマ近郊におけるゲーテの肖像』あるいは『カンパーニャのゲーテ』と題されたものです。この画家はゲーテを崇拝するドイツの新古典派に属するお方。ゲーテがシラーとの交友やイタリア旅行を経て、古典主義時代へと向かう頃の『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』の中の言葉と共に並べてみました。