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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『雪のひとひら』 著:ポール・ギャリコ 訳:矢川澄子 画:原マスミ

『雪のひとひら』 著:ポール・ギャリコ  訳:矢川澄子 画:原マスミ_b0106921_94572.jpg
★ポール・ギャリコはやはり好きで、以前『さすらいのジェニー』のことを綴りましたが、今回は『雪のひとひら』(初版は1975年)を。ある冬の寒い日、雪のひとひらは生まれ、はるばると地上に舞い降りてきました。丘を下り、川を流れ、風のまにまにあちこちと旅を続ける。ある日、愛する伴侶となる雨のしずくに出会い、子供たちが生まれる。けれど最愛の夫の雨のしずくを亡くします。悲しみの中、彼女は少女の頃を想い出しながら自問するのです。優しい子供たちが母のまわりに集まり慰めようとする。雪のひとひらは、悲しみのうちにも微笑みながら、我が子を見やり思わず目をこする。彼らはもはや子供ではなく立派に成人していてくれたのです。母にそっくりな雪のしずくと雪のさやか、また雨のひとひらと雨のしずく二世は父に似ているのでした。けれど、時は行き、川は流れ続けます。彼らとのお別れの日がくることも悟る。雪のひとひらは「水」という特性ながら一人の女性なのです。流動する命であり、珠玉でもある水の一滴。その姿は純粋で聡明なよるべない魂の偽りのない姿かもしれない。愛する者たちをことごとく失ったあとに、ほんとうの寂しさが訪れる。孤独というものをつくづくと。

何ゆえに? すべては何を目あてになされたことなのか? そして、何より、はたしてこれは何者のしわざなのか? いかなる理由あって、この身は生まれ、地上に送られ、よろこびかつ悲しみ、ある時は幸いを、ある時は憂いを味わったりしたのか。最後にこうして涯しないわだつみの水面から太陽のもとへと引きあげられて、無に帰すべきものを? まことに、神秘のほどはいままでにもまして測りしられず、空しさも大きく思われるのでした。そうです、こうして死すべくして生まれ、無に還るべくして長らえるにすぎないとすれば、感覚とは、正義とは、また美とは、はたして何ほどの意味をもつのか?

ポール・ギャリコの描く悲哀はいつもやさしい。全編の柔らかな美しさに幾度も涙しました。この装画と挿絵は原マスミでファンタジックに作品を彩ります(新潮文庫)。訳者である矢川澄子は、「この小説『雪のひとひら』の主題はやはり愛のこと、もしくは美と愛との一致するところにあり、その答えは最後の甘美なささやきではありますまいか」と。これは、雪のひとひらが最期のこのときにあたり、幼き日々が蘇り、いままでいつぞ答えられなかった数々の疑問が舞い戻ってくる場面のことで、あたたかな涙と共に心が清められるかのようです。

「ごくろうさまだった、小さな雪のひとひら。さあ、ようこそお帰り」

そんな雪のひとひらの耳に最後に残ったものは、天と空いちめんに玲瓏と響き渡る、懐かしくも優しい言葉だった。老女の喜びと悲しみの一生を終える最後にこの言葉が残る。水の一滴、それは人間にも欠かせないものであり、大地や自然の恩恵を受けて生きている。どんなに小さなものでも、どんなに目立たないものでも、みんな其々の存在理由があり意味のあることなのだと想います。私はまだ人生の途中ですが老境に至るまでに、また最期の折にいったいどのような疑問が舞い戻るのだろう。きっと、雪のひとひらのように、幼き日の想い出が蘇りながらもその答えはないだろう。最後に聞こえる言葉がやさしい響きであれば幸せな人生だったと想えるのだろうか。それならばその為にも苦しみを望む。望まなくともいつもやって来るけれど、それらの苦しみがなければ幸せもないと想って今を生きてゆく。
by claranomori | 2012-02-20 17:02 | 往還する女と少女