『幸福というものは』 シドニー=ガブリエル・コレット ★ 『第二の女』 より
2012年 02月 12日
シドニー=ガブリエル・コレット
引用: 『第二の女』 より
★これはシドニー=ガブリエル・コレットの『第二の女』の中の言葉です。この「幸福というものは」というタイトルのものではないのですが、とても素晴らしい言葉で好きです。殊に、「幸福というものは、静けさの中にあるよりも、ある不安の中に、また、時としては、困難さの中にあるような気がします」という言葉にはとても共感したもので、今も新鮮に感じるものです。コレットという作家の聡明さは理論の外に在る。愛情の縺れの中でも、冷静で憂愁を帯びながらも、一人の女性としての生き方を提案しているように想えます。決して押し付けがましいものではなく。シドニー=ガブリエル・コレットというフランス文学に於ける女性作家という視点のみならず、文壇のどこにも属さず、政治や宗教からも離れた処、それは孤独と云う場所を自ら訪れ、愛する動物や自然と共に衰えることなく老年まで筆をとった、その姿、生涯からシドニー=ガブリエル・コレットというお方の哲学に共感するのです。
人はその時々で想いも変わる。思想や哲学というものは、その人なりの生き方であると想うので、やはり熟年、老年期を迎えたくらいで、ようやくその人の哲学がくっきり浮かび上がるのかもしれない。概ね、いつの時代も心の核なるものにブレのないお方が私は好きなのですが、それにはやはり人生を追わなければ輪郭すら曖昧だと感じています。生きること、幸福とは、と考えた折に、どうしても孤独や不安というものの中に自ら在らねば思考することも、感じることさえ出来ないように想います。シドニー=ガブリエル・コレットは日本の短歌や俳句を讃美されていたそうです。日本の文学がフランス文学よりも古くから自然と共に生まれてきたのだとも。嬉しいです。何故だか、コレットの少女時代から老女に至るまでの生きざまに、これからも興味は尽きないので機に触れては接してゆきたいと想っています。自己の想いを確認し、そして再度否定してみる。そうした考え方が結構好きでもあるので、日々厄介な想いが駆け巡るのです。けれど、こうした中で私は生き、ささやかな幸福を得ているようです。ああ、人生は生涯学びという名の道場なのでしょう。