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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『書物』 詩:西條八十(西条八十) と 『歌というものは』 ★ 「世界少年少女詩集 世界童謡集」 より

『書物』 詩:西條八十(西条八十) と 『歌というものは』 ★ 「世界少年少女詩集 世界童謡集」 より_b0106921_23351336.jpg
歌というものは、人間が幼いときから年寄りになるまでいつもその人の人生につきまとう、まるで影法師のようなものです。わたしたちは生まれると間もなく母親の口から、あのやさしい子守り歌を聞いて育ちます。それから、幼稚園や小学校へ行けば、あのかわいい童謡、すこし大きくなれば校歌や会歌、それからレコードなどから覚える民謡や流行歌やシャンソン、ジャズ、山には木こりの歌、海には漁師の歌、軍隊には軍歌、もっと広くは、国民ぜんぶが歌う国歌もあります。こんな風に、歌は人間が生まれて成長していく間、絶えずそのくちびるに咲く花のようなもので、人間はそれらの歌をうたっている間に、知らず知らずその歌の意味や響きから大きな影響を受けます。だから歌は空気や水と同様、わたしたちの生活にとって、もっとも大切なもののひとつといえましょう。

この書物は日本をはじめ世界各国の子どもたちが、どんな歌をうたっているかということを考え、その代表的なものの中から、なるべく健全で芸術的なかおりの高いものを選び集めたものです。ふしのついているものはそのまま歌い、ついていないものは、読んでよく意味をあじわってください、きっとみなさんのためになると信じています。

参照引用:西条八十 「世界少年少女詩集 世界童謡集」 まえがき より

★西條八十によるこの「歌というものは」という「世界少年少女詩集 世界童謡集」 のまえがきに託されたお気持ちを想うことが今ならできます。「歌」とは「詩」でもあり、やはり言葉と響きなのだと想います。なので、私は詩や歌が好きです。小説なども詩の響きのあるものが好きです。

会話の中でも、人それぞれの話し方、口調があって愉しいです。関西人ゆえに、標準語でお話しているつもりでもどこかイントネーションが違うこと、その面白さを東京に住んでいた折に指摘されたことも想い出します。関西と云えども、大阪と兵庫では少し違う、京都も違う...そんな地域の言葉の妙はやはり尊い文化だと想います。友人には関西圏以外の方も多く、ちょっとした折に見え隠れする生まれ育った地域の言葉や訛りのようなものに出合うと嬉しくなります。子供の頃から在日の友人も居ます。日本語しか話せない方も居れば、母国語と両方話せる方も。私は髪が赤いことが子供の頃はコンプレックスでした。そのことでからかわれる事もありましたが、みんな何かしらコンプレックスを持っていると感じるようになり、時代の流れも幸いし気にならないようになりました。今から想うと、酷いあだ名で呼ばれていた女子や男子がいました。それでも、泣いたり笑ったり、時に喧嘩にもなったのでしょうが、また一緒に遊んでいた、そんな風景が蘇ります。懐かしく、少し悲しい想い出もありますが。

会話とは相手の意見を聞き、私はどう想うかと問われることもあれば、まるでそっくり似ていて歓喜することもある、相互の言葉を読み取る大切な習慣だと想えます。ネットの時代となり、電話も携帯、お手紙よりもメールとなって行きましたが、それでもその短い言葉のやり取りで勇気や喜びを得られることも多いです。この私のブログに訪れてくださるお方から頂くコメントやメールなどに、どんなに励まされて来たことでしょう!世の中には偏狭な方も居るもので、意見が違うとある一言だけを批判するという光景もニュース等でもよく見かけます。その前後の言葉や言葉の奥にある心も読めるともっと有意義に想えます。いつの間にか、禁止用語となった日本語も多いです。言葉によって傷つくこともあります。けれど、表現の仕方が違うだけで、根底は似ていることを云っていることも多々あるのではないかと想います。一方的に言い放つお方には到底敵いませんが、それでも後から自分の言葉で気持ちを伝えること、それを教えてくださったのは社会という荒風、荒波の中でです。泣き虫の私はきっと、人より多く泣いて過ごしているでしょう。でも、涙から学ぶこと、救われることも多いです。「歌」の中でも、エレジーやララバイ、バラードやバラッドという感傷的な美しい哀調のメロディーに触れ、涙した回数もまた多いです。偏狭にならず寛容に、これからも美しい「歌」や「詩」に触れて生きてゆきたいです。

やはり人間は言葉ありきです。読み書き以前から語る言葉を持っていた。ケルト人は文字を持たなかったけれど、多くのバラッドや伝承物語が今も受け継がれています。ショーペンハウエルの読書にたいする考えは、決して読書の否定ではない、と想えるようになるには読後暫くの時間が必要でした。書かれたものを読む作業の中で、自分はどう想うかとも考えられなければ読書は危険を伴うということだと勝手に解釈しています。西條八十の『書物』という大好きな詩がありますので今日はその詩を胸に♪

書物

月の夜は
大きな書物、
ひらきゆく
ましろきページ。

人、車、
橋のやなぎは
美しくならべる活字。

木がくれの
夜の小鳥は、
ちりぼいて
黒きふり仮名。

しらじらと
ひとりし繰れば、
なつかしく、うれしく、
悲し。

月の夜は
やさしき詩集、
ゆめのみをかたれる詩集。

詩:西條八十
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by claranomori | 2012-01-26 00:00 | 愛の花束・日本の抒情・文学