『地下鉄のザジ』 作:レイモン・クノー 挿絵:ジャック・カルルマン ★ 対話:マルグリット・デュラス
2012年 01月 17日
アナイス・ニンのことに触れながらレイモン・クノーが浮かびました。まったく作風は異なり、私はレイモン・クノーの方が作品は好きですが、お金を稼がなければ生活できない貧窮の中、次から次へと書いたアナイス・ニン。レイモン・クノーはじっくり時間をかけて書き上げる。この『地下鉄のザジ』の完成には6年を費やしている。それ以前の名著『文体練習』(1947年)も5年かけて完成。レイモン・クノーもある意味総合芸術家のようなお方であるけれど、「言葉」への拘り、執着は当時のシュルレアリスムやヌーヴォー・ロマンの作家たちの中でも異才を放っていたお方に想う。言葉あそびをユニークな調子で重ねてゆく。数学者でもあるレイモン・クノーならではの前衛的文学遊戯のようでもある。英国のルイス・キャロルにも数学的な言葉あそびの感覚があるけれど、「言葉」というものに徹底して向かい合う姿勢は凄まじく、小説という骨格を根底から覆すかのような功績は大きい。
「詩は言葉で作るものだ」とステファヌ・マラルメは云った。それは重要なことだと想ってやまない。そこで、詩人でもあるレイモン・クノーが『地下鉄のザジ』を発表直後の、マルグリット・デュラスとの対談より。
クノー:小説は、いってみればソネットのようなものです。もっとはるかに複雑なものであるとすらいえましょう。
デュラス:当今の作家は早く書き過ぎるとお思いになりますか?
クノー:そう。嘆かわしいことです。彼らのために嘆かわしいことです。これは不幸にも暇がありすぎる作家たちの病いです。暇を有益に使うことは、ご承知のように、たいへんむずかしいことです。だから、皆んなは働き、書きまくります。自分の時間をすべて自由に使えて、しっかり腰のすわった、本物の作品をつくり出せる作家はごく稀にしかいません。なんだか自分のことを弁解しているみたいですが。だって、私は一つの小説(『地下鉄のザジ』)を書くのに六年もかかったのですから。
書くことは苦渋であるとも語っているレイモン・クノーは、それでも言葉に拘り時間をかけて作りあげてゆく。この風変わりな作家の小説観が窺え、それもこれまた大好きなマルグリット・デュラスとの対話によるものであることに、私の心は微笑んだようです。