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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『小鳥たち』 作:アナイス・ニン 訳:矢川澄子 まえがき訳:小池一子 公刊(1979年)

『小鳥たち』 作:アナイス・ニン 訳:矢川澄子 まえがき訳:小池一子 公刊(1979年)_b0106921_18584855.jpg★『小鳥たち』はアナイス・ニンの死後、1979年に公刊された作品で、日本では『リトル・バード』(訳:杉崎和子)として富士見書房から1982年に刊行。私が読んだものは新潮社から2003年に刊行されたもの。私はアナイス・ニンの作品というよりも、アナイス・ニンという女性の生涯に興味を抱いているように想います。矢川澄子さんがとても好きなことと、この御本の『小鳥たち』というタイトルに惹かれて購入したものでした。内容は13篇からなるエロチカ。それもどれも切ない。この『小鳥たち』のどの短篇が好きかと尋ねられたなら、どれもあまり好きではない、と答えるでしょう。けれど、アナイス・ニンによる「まえがき」と、矢川澄子の「訳者解説」は大好きなのだ、とも。

貧窮のあまり現金収入をもとめる一群の作家がいて、彼らがエロティックなことに全力を投入したとしたらどうなるだろうか。彼らの生活や世界についての感覚や彼ら自身の作品にどう関わっていくだろう。彼らの性的生活にどんな影響を及ぼすだろうか。

私は、そういった作家グループのなかで懺悔聴問尼(マザー・コンフェッサー)のような役割であった。ニューヨークでは、なにごとも困難を極め、残酷さもいっそう増す。まるで、ジョルジュ・サンドみたいに世話しなければならぬ大勢の人間と問題を抱えていた。

アナイス・ニン 『小鳥たち』 まえがき 訳:小池一子

このような回想から、アナイス・ニン自身も周りの友人たち、恋人たちも絶望的に貧しかったという時代であることが窺われる。

けれどもこうして集められた材料に彼女自身の体験からする深い洞察を重ね合せ、このような典雅で澄明なひびきをもつ短篇に仕立て上げたのは、ひとりアナイス・ニンにのみゆるされた特権であり、彼女の希有の詩人的素質を物語る証拠とみてもよいだろう。

矢川澄子 『小鳥たち』 訳者解説
『小鳥たち』 作:アナイス・ニン 訳:矢川澄子 まえがき訳:小池一子 公刊(1979年)_b0106921_1954215.jpg
アナイス・ニン(Anais Nin:1903年2月21日~1977年1月14日)はフランスのヌイイ=シュル=セーヌ生まれの作家。11歳の頃から60年余りの間、綴り続けたという日記。1923年にヒュー・パーカー・ギラーと20歳で結婚。1955年にはルパート・ポールとも結婚。重婚であった。キューバからパリ、そしてニューヨークと移住。アナイス・ニンが1977年に死去するまで、ポールはギラーとニンの結婚を知らずにいたという。

アナイス・ニンは、西欧的・カトリック的な純潔教育の申し子として、内向的かつ閉鎖的な少女時代を過ごしてきた。パリでのヘンリー・ミラーとの邂逅をまって、アナイス・ニンは心身ともにはじめて解放された女性となったという。その後、ニューヨークに戻るも、徹夜で書きお金を稼がなくてはならなかった。匿名で幾つものエロチカ小説を書いた。この『小鳥たち』も大金持ちの老人の楽しみのために書かれたもの。それもお腹ぺこぺこの状態での幻想小説。究極の貧窮など知りもしない私にいったいアナイス・ニンの何が分かるというのだろう。11歳から日記を書き続けた所以とは。「薬と悪」だと云う日記を綴ることで人間の心理を分析すること、研究することで、「詩は不要」と云われても書き続けることが出来たのかもしれない。『小鳥たち』の中の少女たち、女性たちはアナイス・ニンでもあるのだろう。やはり希有なる女性作家である。
by claranomori | 2012-01-14 18:17 | 往還する女と少女