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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『母の庭をさがして』 作:アリス・ウォーカー 訳:荒このみ★読後の感想と日々の想い

『母の庭をさがして』 作:アリス・ウォーカー 訳:荒このみ★読後の感想と日々の想い_b0106921_1036278.jpg★この『母の庭をさがして』は今年の夏に読んだ御本の一冊で、ずっと何か考え続けていることをさらに突かれてしまったもの。今年の3月11日を忘れる事はないだろう!色々想いが巡る中、微妙に絡まる人間という尊い存在、そして国籍、肌の色、性別などの壁のことは長い歴史を遡る中で脈々と流れ続けている問題。私は日本人であるけれど、子供の頃から近所やクラスメイトに在日のお友達も居た。普通に楽しく遊んでいたし、今も友人知人に居られる。反在日、反米感情といった特定の国や人種に対する嫌悪感は私には希薄だと断言できる。けれど、今年の夏、必然的な偶然の廻り合わせか、広島の原爆に関する作品に接することになった。悲しくて悲しくて...。戦争という狂気の中で起こった悲劇であり、原爆投下された国は日本だけであることを幾度目かの再認識。私は欧州かぶれした子供時代から今に至るけれど、やはり、どうしたって日本が好きです。自分のブログなので想いを語る。もうそろそろ良いだろうと想うので。

この原爆のことは小学校の社会見学で広島を訪れた折の優しいおばあさんの姿を蘇えらせる。私の最も古い広島の想い出。あのおばあさんは今も御健在だろうか?病院で寝たきりなのに小さな私たちにあの優しい微笑みは何処から来るものだろうか?また、今回の震災で家を流され家族を失ってもじっと耐えて再び歩いてゆく人々の姿。多くの小説や映画で感動の涙を体験している私の心に日に日にグイグイと浸み込んでくるような...大自然の恵みと脅威を想う。そして、やや距離を置いてしまっていたことにようやく近づけそうな気がしています。

想いは簡単には纏まらないけれど、このアリス・ウォーカーのエッセイ集は心に刺さり続けている何かを刺激するものであったらしく、何だろう...とずっと考え(今も)続けていて想うのは、"母と娘"という奇妙な関係ではないかと。私個人の事で云えば、"父親"とは"父"以外のなにものでもない。尊厳なる愛。大好きな父を常に想うけれど、母を想う身近な存在とも違うように感じている。このアリス・ウォーカーは黒人でその母親の世代は黒人差別が当然という時代を生きたお方。その娘がアリス・ウォーカーで1944年生まれなので、次世代の激動のアメリカを生きて来たお方。そして娘レベッカへ...と継承されゆく。どんなに虐げらた状況下でも彼等の自尊心は失われはしない。そういう事だと想う。理屈で解き明かされない血の絆、同胞の絆のようなものが文化となるのだと。なので、素晴らしい多種多様な文化が世界中に存在するのだと。幼き日の祝日には玄関先に国旗が掲げられていた。弟は記憶に無いらしいので、私のとても幼少時までのことだろう。ご近所もそうだったけれど、次第にそんな風景は消えて行った。

在日の老夫婦が静かに生活されていた。ご近所付き合いも我が家以外はほとんどしないようであった。そのお孫さん姉妹の妹さんが私と同い年だったので、日曜日など祖父母の家に遊びに来た折にはよく遊んだ。日が暮れはじめ、明日は学校なのでちょっぴり憂鬱になる。その少女と同じ学校ではなかったので名残惜しかった、とても。何処にあるのかも知らないままのその少女の通っていた朝鮮学校。こういうお話をしたら嫌な気分になられるお方が居られることも知っている。何故なら、幾度もそうした事で泣いている少女たちの傍に居たから。傍に居ても私にはよく分からないことだった。それでも、私は遊びたいお友達と遊んでいた、それだけ。差別ってずっとある。日本人同士にだって。人種差別というと黒人やユダヤ人というイメージながら、日本人やアジアの人々は黄色人種で欧米(白人)社会からすればやはり奇異な存在で卑下されていたのだし。黒人の中でもやはり差別があるのだと、この『母の庭をさがして』の中で垣間見られる。少しでも白人の血が混ざった黒人は優位になり、アフリカ系の黒人とも違う。遥か昔にも、"魔女"という刻印の下、死に至った人々も居る。云わば世界の歴史はまるで差別の歴史のよう。それが良いとか悪いとかではなくて。

『母の庭をさがして』の初出は1974年。娘のように文学や言葉で語り、表現することはなくとも、アリス・ウォーカーの母もまた詩人であったのだと想う。庭仕事をしている活き活きとした姿が浮かぶ。きっとカラフルで美しいお庭だっただろう。そのお庭に託して母は歌っていたのだ。私の母もそんな感じ。勝手に手出し出来ない母の領域のようだった。精々、お水やりが私の日課という。懐かしさに噎せ返る幸福かつ光に満ちた風景が蘇る。けれど、同時に重いものを残してくれるので、まだまだ私には荷の重いことらしい。答えなど無くても良くて、考えることを教えてくれる。父や母の姿は言葉より大きなものであったのだと空を仰ぐ☆

アリス・ウォーカーが長い間、机の前のメッキの標識として貼っていた詩を掲載させて頂きます。私の好きな作家の名が並んでいるのも嬉しくて。

アリスへ
ヴァージニア・ウルフには狂気
ジョージ・エリオットは村八分
他人の夫を奪ったから
それで、自分の名前を
使う勇気がなかった
ジェイン・オースティンにはプライヴァシーがなく
恋愛もなかった
ブロンテ姉妹はどこにも行かず
若死した
そしていつも父親を頼りにしていた
ゾラ・ハーストンは(何ということ!)お金がなく
健康にも恵まれなかった

あなたにはレベッカがいる―彼女はずっとずっとたくさんの喜びを与えてくれる
それに悩みの種にもならない
かれらの
悲惨にくらべたら

●追記●
アリス・ウォーカー(Alice Walker:1944年2月9日生まれ)はアメリカの作家。公民権運動にも参加。1983年の『カラーパープル』でピューリッツァー賞を受賞。小説部門では黒人女性の初受賞となる。門戸を開いたパイオニア的存在でもある。けれどその軋轢に苛まれてゆく激動の時代を生きて来た女性作家。この著書『カラーパープル』はスティーヴン・スピルバーグ監督が1985年に映画化した原作で、ウーピー・ゴールドバーグが見事な主人公を演じていました。1990年の『ロング・ウォーク・ホーム』も実話に基づいた社会派映画で、これもまた抑えた名演技を想い出します。
by Claranomori | 2011-10-11 09:03 | 想い・鑑賞・読書メモ