『ロスト・チルドレン』 孤児の美少女ミエットと怪力男ワン★監督:ジャン=ピエール・ジュネ (1995年)
2011年 06月 26日
最近は古い日本の映画を多く観ていて、まだ復興もままならぬ東日本大震災の傷痕を想う日々。まったくの個人的な気持ちなのだけれど、以前から心捉われるものの一つであった「戦争」というもの、敗戦後の日本を想う。戦争を知らない子供であり、バブル期に思春期を過ごした私がである。私の亡き両親は戦後、少年少女時代を過ごした世代。聞かせてくれた僅かなその当時のお話、その頃を舞台にした映画や文学...。今もまだその時代を体験した人々が多く生きておられる。想像することしか私には出来ないけれど、それは壮絶な凄まじいものだっただろう。けれど、焼け野原の日本は躍進して経済大国に。その過程にはやはり技術や科学の発展、進歩ということを抜きには語れない気がする。その功罪を乏しい頭と心で考えているという日々です。不思議な記憶がこの『ロスト・チルドレン』を呼び戻したかのようで、二度目の鑑賞。当時は気付かなかったことがあまりにも多く、また感動した場面は変わりなく同じシーンで涙した。この映画に惹きつけられるのは「孤独」だろうか・・・。
ミエットとワンの冒険の中で、ワンが姉妹に暗示をかけられミエットを殴る場面がある。ミエットは賢明な少女であるので知っている。けれど、その天使のような妹と想っているミエットをワンが殴らなければならない。その場面のミエットの涙。この場面がたまらなく大好き!そのミエットの眼差しが。結局、ミエットとワンたちの活躍でダンレーや孤児院の子供たち、博士に作られた者たちはその施設から脱出することができた。博士は実験室と共に滅びる。映画は彼らが暗い海を船を漕いでゆきながら終えるけれど、私に残された余韻は決してハッピーエンドでもない。あの子供たちは孤児である。いったい何処に行くのだろう、また何処からやって来たのだろうか。奇怪な世界、歪な世界があるからこそ、ファンタジーも生まれる。ファンタジーは悪夢をも内包することを受け止めないと夢の世界には行けない。夢をみる者には苛酷な試練なのだ。そう云えば、オープニングから途中も鏡の歪んだような映像がある。それはルイス・キャロルの世界を想起させるのは意図してのことだろう。近未来の戦後という設定ながら、実に今の社会とも符合する。なので、私は今またこの映画を観返し学んだように想えるのでした。
グロテスクさの中の美学のような映像満載で、ジャン=ピエール・ジュネとマルク・キャロのコンビ作品はやはり特異な世界。他にも蚤使いのマルチェロ(ジャン=クロード・ドレフュス)、2歳のダンレーはお腹を空かせては食べている愛らしき存在(何が起こっているのかも分からない無垢さ)、音楽担当のアンジェロ・バダラメンティ、エンディング曲はマリアンヌ・フェイスフル、衣装はジャン=ポール・ゴルチェと素晴らしいスタッフ&キャストによるファンタジー映画の傑作に想います。テリー・ギリアム監督も大絶賛されたお墨付きでもあります☆
1995年・フランス映画
監督:ジャン=ピエール・ジュネ 美術監督:マルク・キャロ
製作:クローディー・オサール 監督・脚本:ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ、ジル・アドリアン
撮影:ダリウス・コンジ 衣裳:ジャン=ポール・ゴルチェ
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:ロン・パールマン、ジュディット・ヴィッテ、ドミニク・ピノン、ダニエル・エミルフォルク、ジョゼフ・ルシアン、ジャン=クロード・ドレフュス、ジャン=ルイ・トランティニャン(声の出演)