東日本大震災から多くのことを考えさせられ日々想う~親鸞聖人~アラン・シャルティエの中世へ心は馳せる
2011年 04月 24日
今なお行方不明の方は多く、助かった方々でさえ疲労やストレスが嵩む中、それでも被災者たちによるボランティア活動もなされている。こうしたコミュニティーの力って凄い。地震国日本、火山国日本は常に自然と共に生きて来た。けれど、今回で露わになった原発、放射能の恐怖を長年訴えてこられた人々が民放に出演されることはなくなり、一般市民である私たちは反対も賛成もなく明るくより良い未来という用意された道を歩いていたのかもしれない。大きな疑問、?がいっぱいでよく分からないけれど問題提起されたことを教訓として、考えてゆくことが大切だと想う。
多くの人はテレビは民放を観る。なのに原発反対派の活動をされて来た人々の出番はなくなってゆく。危険人物だと何か大きな力がかかるのだろう。広瀬隆氏が嘗て「朝まで生テレビ」に出演された映像をあげてくださっている方がおられる。観たかったので嬉しい。まだ途中で少しずつ作業してくださっているようです。政府や原子力研究所のお偉い方、各電力会社の人たち推進派の人々ってどうして・・・?接待の中にジャーナリストもいるというし、民放はスポンサーに逆らえない。こんなメディア操作された日本は隠し持つ情報をなかなか公表せず、後から少しずつ。世界はうんざりしているのではないだろうか。外国の方の放射能に関する意識は日本人とかなり違うようで、私にだって「フクシマダイイチ大丈夫ですか?あなたの健康は?」というようなメールが届く。既に広がっているけれど、東日本の大震災ではなく、日本の大困難で、ゆえに戦後最大の国難の機に今ある。ある意味、私個人としては色々考える機会を与えてくださったこと、この時代に生きていて良かったとも想う。多くの方の犠牲を無駄にしてはならないと。
チェルノブイリの子供たちは、今も奇妙な病気が多発していて施設で暮らす少年少女たちが多い。ある学者は「それは放射能による直接の原因は確認されておらず、体質によるものである」とか。大阪で生活する私なんかでも体調狂うのだ。この子供たちの両親たちが被曝されいて、その遺伝に怯えることからの病気だとしても、根源には放射能による問題ではと想う。目に見えないもので、人それぞれの体質によって皆異なる。チェルノブイリの事故の収束作業に30万人もの作業員が担ったという。こうしたことが今、福島で被曝の恐怖を前に作業されている人々が居られる。その方達は東電の協力会社の作業員と。「協力会社」とは元請、下請、孫請...の人たち。その線量の基準をさらに上げるなどと書かれていた。人間が作ったもの、その事故も結局は人間の手で。その現場に居られる方々のことなどもっと知りたいのに、タブーなのか報道はほとんどされない。変である。
嘗て原田芳雄、倍賞美津子、平田満他の出演の『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』という映画の中で、「原発ジプシー」という言葉、そうした人々が描かれていた。その時に知った言葉を想起する。広瀬隆氏の支持者であったという忌野清志郎は覆面バンドのタイマーズで反原発ソングを作り歌っていたことも。その時清志郎さんは契約を切られたのだろう、違うレーベルからアルバムを出しライヴ活動。こんな勇気のある人たちは必ず何かの圧力がかかる。フィクションだけれどノン・フィクションのようなアメリカの映画『チャイナ・シンドローム』ではジャック・レモン扮する原子力発電所の頭脳部で働く社員の告発は死に至った。この映画の後、スリーマイル島の事故が起こる。今回の震災後、この映画を観返して慄いた。何故、命がけで作業する人たちの会社名や名前が出ないのだろう。出なくてもよいとしても、彼等にも家族がある。福島に住む人たちだって。
福島から他県に移った子供たち。何件かのニュースを読んだけれど、小学生の子供たち。公園で兄弟が新しい環境で遊んでいた。方言ゆえだろう、地元の子供が「どこから来たの?」と尋ねた。その兄弟は「福島」と。すると子供たちは「きゃあ~」とか「放射能がうつる」と言い、その兄弟は泣いて家に帰り、両親たちはまた移動したという。子供たちは子供たちで考える力がある。それでも様々。この記事を読んだ時も泣いてしまった。小さな兄弟だって悲しいのに、新しい土地で新しい学校生活を楽しみにしていただろうに。これは子供たちだけではなくて、大人たちの中でも問題になっている。さらに、海外からは日本製の食品および商品を敬遠する傾向が強くなっている。明るい日本でなくても良いな...私は眩しい光が苦手なので仄暗い程度が性に合うので問題ない。谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」という言葉がある。日本の家屋にはそうした風情が本来多くあった。なのでコンクリートで覆ったような建物を見ても美しいと思えない私は、さらに「陰翳礼讃」を快く望む。
万の神の国。太古から神様や仏様に手を合わせる、祈るという気持ちが日本にはある。そうした長い歴史の中で育まれてきた日本人の礼節のようなもの。この尊い姿を海外の人々は称賛するけれど、何も意識してのことではなく「日本人」であるがゆえの姿である。計画停電で首都圏は大混乱。でも、一人一人が「ちょっと節電気をつけよう」と思うだけでかなり状況は変わったのも、そんな国民性ゆえだと想う。科学を過信することにアンチであった私。アンチで何も知らないのは最低なので興味はないけれど、それらの書物も読むようになった。でも、心は豊かになれないので中世から19世紀末辺りの文学作品を愛する傾向はさらに強まるのだけれど。先日読み終えたのは親鸞聖人の『歎異抄』。10数年ぶりに読み返した。親鸞聖人は20年程、常陸国で布教活動をされ、京に戻るのだけれど、親鸞聖人の生きた時代は鎌倉、戦国時代。選択教科は世界史で日本史は疎い。けれど、中世という1000年もの長い時代は激動の時代であり戦国の時代。その中で多くの優れた芸術も生まれている。そうした符号にも興味が尽きない。取り留めのない綴りとなってしまいましたが、今の気分で15世紀のフランスの詩人アラン・シャルティエの詩を☆
いつわりの喜び示し、
心にしいて歌いしが
楽しきが故ならず、恐れのためぞ。
悲しみの名残り
常にその声音にまじる、
再び悲しみに帰りき、
さながら歌に帰る 林のくろうた鳥のごと。
アラン・シャルティエ
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