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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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麗人共演★デヴィッド・ボウイ&アニー・レノックス(フレディ・マーキュリーの追悼コンサートにて)1992年

麗人共演★デヴィッド・ボウイ&アニー・レノックス(フレディ・マーキュリーの追悼コンサートにて)1992年_b0106921_113110.jpg
★麗しのアニー・レノックスを続けます。1981年のクィーンとデヴィッド・ボウイの共作シングル『アンダー・プレッシャー(Under Pressure)』 。この曲は過激な内容だとされ、英国でも放送禁止になっていると当時雑誌のニュース欄で読んだ。けれど全英1位となった。MTVだったか何かの番組でそのビデオ・クリップを観たのだけれど、ボウイが出てこないのでガクンとなった。そして、ボウイのアルバムには収録されずにクィーンのアルバムに入っていると知りそのアルバムを買った。そして、シングル盤にもなっていたのでそれも買った。フレディ存命中のクィーンが他のアーティストと共作・共演したのはボウイだけ!やっぱりボウイって凄いのである!

クィーンを知ったのはテレビの来日情報でだった(初期から本国より日本では人気だったそうだ)。まだ子供時代でコンサートに行ったことなどない頃。何度目かの来日だったのだろうけれどはっきり分からない。ただ、英国の貴公子然たる容姿の頃でフレディも長髪だった。その絵が何故か焼き付いていたようで、後に行きつけのレコード屋さんの片隅の輸入盤を一枚。最初は『華麗なるレース』だったように想う。その後、立て続けに『ジャズ』や『オペラ座の夜』を買ったのでごちゃごちゃと遠い記憶。ジョン・レノンの曲を聴いた時、ボウイを初めて聴いた時のような感動はその時は得られなくて、でもフレディのヴォーカルは焼きついた。そうして、次第にクィーンはアメリカでも大人気となり、モンスター・バンドとなり世界に君臨していたと想う。でも、1991年11月24日にフレディはエイズにより死去されてしまった。どのくらいの人達がその死を悲しみ今も忘れずにいることだろう...。

★リハでもお洒落なアニーとボウイです♪

翌年1992年の4月20日、ロンドンのウェンブリー・スタジアムにて追悼コンサートが行われた。7万人とも8万人とも言われるファンが集まり、出演者も豪華!ボウイは3曲。その中の一曲は『アンダー・プレッシャー』だった。フレディのパートはアニー・レノックス。私はアニー・レノックスが好きなので、アニーが”女版ボウイになりたい”と語っていた嘗ての言葉も忘れない。なので、この共演は嬉しいものだった。このコンサートにはミック・ロンソンもイアン・ハンターもロバート・プラントも...出演されたので書きたいことは色々あるけれど。先ずはボウイ&アニー、そしてクィーンのリハーサル映像を。ボウイは煙草を手にいつでもお洒落。後ろにはイアン・ハンターも映っていた。またそのリハを見つめる中に出演者でもあるジョージ・マイケルがいて大先輩のリハを真顔で見つめながら一緒に口ずさんでいる。横のお方は彼氏さまかな...と少し気になるミーハーな私。
麗人共演★デヴィッド・ボウイ&アニー・レノックス(フレディ・マーキュリーの追悼コンサートにて)1992年_b0106921_1131875.jpg
そして、本番。アニー・レノックスのメイクと黒い美しいドレス姿に感激!ボウイは嘗てクィーンのライヴで共演した時と似たスーツ姿。そして、胸にはリボンが付いている。このリボンはリハの時からおふたりとも。アニーのリハのファッションも素敵だけれど。そして、歌いながら感情が入ってゆく様はボウイに抱きつきお顔もくっついてゆく。ボウイは流石にアドリブなので驚いただろうけれど、クールにその大舞台を続ける...プロフェッショナルなエンターテイメントをこの美麗なお二人の場面で堪能。そして、アニーのその時の感情を勝手に想像し感動したりしていた...♪


ゴージャス!アニーのブラックドレスとメイクでボウイとの夢のデュエット実現♪

by claranomori | 2010-12-08 11:02 | 耽美派少女の愛した音楽