『ベニスに死す』監督:ルキノ・ヴィスコンティ★ダーク・ボガードの名演技!ビョルン・アンドレセンの美!
2004年 07月 15日
さて、この作品を何度観ているだろう?好きな作品は思い出した様に幾度と観る気質故、とてもその間隔にムラが有る。遂先月久しぶりに観る事になり、その感動は今までのものを継続していながらも何かが違う...「死んでしまうくらいに美しい!」と真面目に思ったのだ。私は自分でもハッキリとは分からないけれどロマン派に影響されてきた様だし、どうしてもそこから逃れられないものをいつも感じている。それは時に心の葛藤の要因ともなる様だけれど。そんなロマン派最後の人とも称されていた音楽家:グスタフ・マーラー。この『ベニスに死す』の原作であるトーマス・マンはアッシェンバッハを小説家として描いていたけれど、ヴィスコンティは音楽家として設定した。そして、その役は『地獄に堕ちた勇者ども』の名演に続いてダーク・ボガードに!
正しくこの文中通りの美少年:タジオ(ビョルン・アンドレセン)に療養先のリドのホテルで出会う初老の音楽家:グスタフ・アッシェンバッハ(ダーク・ボガード)。季節風の暑さと街中に実はコレラが蔓延していたという中、アッシェンバッハの身体は蝕まれていき死に近づいていくのだけれど、そんな中彼が求めていた美と精神の一致、英知の到達を現前したかの様なタジオ少年との出会いは異常で純粋な抑えきれない思いへと募る。今の私が特に感動したのはそんな初老の老いや病いとの闘いの中でも「美だけが神聖なのだ。」と呟き砂浜で静かに死んでいくまでの内面演技の見事さ。胸が締め付けられた。友人のアルフレッドは芸術は曖昧なものだと語り、アッシェンバッハと美を巡る精神論で口論するシーン。それ以外はただただ物静かに台詞も抑えた難解な演技力が必要とされる役柄を演じきっている。それは歩き方ひとつ、タジオと視線を交わす瞬間、見つめる表情...ボガードの役者人生の中でも永遠に語り継がれる名作となって私の心に再び刻印されてしまった。「この原作を映画化する事が生涯の夢だった。」とヴィスコンティは語ったけれど、完璧な配役、完璧な音楽・美術・衣装で目が眩む様な文芸大作を作ってしまったのだ!
ポーランドからのタジオ一家。その母親役のシルヴァーナ・マンガーノの気品溢れる優雅さは何と讃えようか!嘗ての『にがい米』のグラマー女優から一変した貴婦人へ。『家族の肖像』の中の母、ピエール・パゾリーニ監督の『テオレマ』で見せる雰囲気とも違う。ピエロ・トージの衣装デザインも完璧!そのイタリア貴族のドレスたちは全編に気品と優雅さを面々に飾っている。それらのドレスを纏ったマンガーノの美しいこと!時代設定は1911年。全てに於いて完璧!細部をひとつひとつチェックしてみるとため息の嵐なのだ。
ビョルンはほとんど台詞は無く、若さと美の象徴の様に映像の中でこれまた永遠化を可能にした。振り向き腰に手を当てるポーズ。アッシェンバッハとすれ違う時に見せるほのかな微笑。そして、「他人にそんな笑顔を見せるな、愛してる。」と自分の中で呟くボガードのあの様に感動の矢が突き刺さる。老人を不純なもの、もう純粋ではないとその衰弱して行く身でありながらも内に秘めた美への執着と苦悩の表現を全身で物静かに演じているのだ。英国の誇り!英国の至宝!ダーク・ボガードよ、永遠なれ★
この「美の極致」を映像化したヴィスコンティ。私はその数々の作品たちとの出会いの中から美の残酷さを学んだ様に思う...40代、50代、60代...の私はどう思うかは分からないけれど。ラストシーン近く、アッシェンバッハは若さを取り戻したい思いで、床屋で顔にはおしろいを、唇には紅を、白髪は黒く染色する。でも、その施しは浜辺の太陽と暑さの中崩れて行く...。私は涙を堪える事が出来ない。ギリシャ神話の中の「タナトス」という言葉が連想される瞬間でもある。それは「死」を意味するのだから、アッシェンバッハのあの浜辺での静かな死は「人間と芸術はひとつになり、君の音楽を墓へ」と語ったアルフレッドの言葉があながち間違ってはいないとも。表裏一体である「エロス」とも切り離せないけれど、タナトスの兄弟である「ヒュプノス」とはあの真っ白なスーツの胸に飾られた真っ赤な薔薇なのだろうか?等とも思えた。美と死が一体となる恍惚の瞬間に涙が溢れてならないのだ。
1971年・イタリア/フランス合作
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 原作:トーマス・マン
撮影:パスクァリーノ・デ・サンティス 音楽:グスタフ・マーラー
出演:ダーク・ボガード、ビヨルン・アンドレセン、シルヴァーナ・マンガーノ、 ロモロ・ヴァリ、マーク・バーンズ、ノラ・リッチ、マリサ・ベレンソン、キャロル・アンドレ、フランコ・ファブリッツィ
関連:『ベニスに死す』★映画(ルキノ・ヴィスコンティ)と原作(トーマス・マン)を混同記憶しています♪