★サラ・ムーン(SARAH MOON)の写真は私のお気に入りである。サラ・ムーンが女性カメラマンであることはとても大きいように感じている。映画でも音楽でも同じように想うのだけれど、私はいつの間にか「男性視線」というのか「男性目線」というのか...そのような作品よりも好きなものの多くが「女性視線(視点)」による少女たちであり女性たちであると気付き始めた。いったいいつ頃からかは正確には分らないけれど、10代後半から20代半ばまでの私は今から想うとやはりかなり危なかった。この言葉は想いの一部しか表わしてはくれないけれど。屈折と歯痒さ、時はバブルの時代、まだ両親も健在で私はいつまでも巣立つことのできない状態だった。巣立とうという気持ちも持ってはいなかった。何故?怖くてしかたがなかったから。家族や友人たちには今も恵まれ続けている。彼等のお陰でどうにか生きてこれたとしか思えない。一日は瞬く間に過ぎ行く。その儚き瞬間に本当は私も消えてしまいたいと想っていた。大学生の頃に知り合った年上の女性と相性が良く、好きな女優や音楽のお話を沢山させて頂いた。私が社会人になり、相変わらずまだ大人の世界に馴染めずにいること、まだ過ぎ去りし少女時代を引き摺っていることを指摘された。友としての言葉ながら辛辣に響いた。私の思考が"病的である"と。歳相応に成長しなくてはならないのだというニュアンスに想えた。頭では分っているつもりでいたけれど、どうしようもないものが私から離れることはその後も無い。
今の私。どうだろう...少しは病的な思考から解き放たれたようでもあり、いまだに拘り続けているようでもある。自分では自覚がないので、病的な思考を頭で理解しても心はかなり頑固なまま揺るぎない。どうしたものか...そんな自分の想いを綴るために始めたようなものが、この『クララの森・少女愛惜』でもある。いつまで綴るのかも分らないけれど、もうすっかり私の中に組み込まれてしまったようなものなので無いと不自然な気がする。「少女愛好」あるいは「少女愛考」が大好きなのだ!言葉で云うと「少女愛惜」の方がしっくりくる。
「私が写真を通して一番表現したいと思うのは、いつも、時間とあまりにも短くてはかないもの、そう、つかの間の関係なのです」
サラ・ムーンはこのように語っていた。消えてゆく瞬間や時間、滅びゆく美が私は大好き!モノクロームに着色されたロマンティックな夢の時間のようなサラ・ムーンの世界はあまりにも私の心に安らぎを与えてくださる☆