『クシュラの奇跡 140冊の絵本との日々』 著:ドロシー・バトラー 訳:百々佑利子
2010年 02月 12日
「さあこれで、ルービー・ルーに、ほんをよんであげられるわ。だって、このこ、つかれていて、かなしいんだから、だっこして、ミルクをのませてやらなくてはね。」
この言葉に私は胸を打たれた!1975年8月18日、3歳と8ヶ月の日のクシュラ。この時のクシュラは、ソファーに深々と身を沈め、両腕で布のお人形を抱きしめており、そばにはいつものように本の山があった。
懸命な両親と優しい妹という家族の愛に恵まれていて良かった。けれど、クシュラは不自由であった。命も何年持つかとう状況だったようだ。クシュラに何かしらの希望の光が見つけられたのは多くの本たちだ。本の中で多くのお友だちを持て、描かれる絵本の色彩は美しくあたたかなぬくもりを少女に与えたのだろう。想像することしかできないけれど、お話によっては時に怖くなったり寂しい想いもしただろう。そんな小さな少女クシュラの心を知っているのはクシュラの心の住人たちなのだと想う。「異常である」と診断されてきた少女。けれど、それは発育のこと。健常者以上に言葉の豊富な感性の持ち主なのに...。身体の不自由な子供たちがすべてクシュラのように育って行くとは限らないけれど、この書が示唆していること、希望や可能性を遮断することはいかなる医学の権威を振りかざしてもできないのではないだろうか...僅かな光を信じて辛抱強く目を見つめて語り、子供の多様な表情をしっかり見守ること。それに豊かな絵本や童話の世界の登場人物や風景たちも手を差し延べることは可能なのだと想う。
私には心の住人たちが沢山居る。遡れば幼児期の絵本との出会いや、児童文学のお話たちが絡まり合いながら今の私が居るようなのだから。クシュラの苦渋は私には到底分りはしない。けれど、あの本を持つ笑顔は私に生きることの勇気と希望を与えてくれるのだ。ありがとう、クシュラ☆