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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『マッチ売りの少女』 作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 画:アンヌ・アンダーソン

『マッチ売りの少女』 作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 画:アンヌ・アンダーソン_b0106921_12393278.jpg
★今日は12月25日。メリー・クリスマス!今月はあまり更新出来ずにいたけれど、クリスマスというので浮かぶ好きな童話を。アンデルセンの『マッチ売りの少女』はとても有名なので、どなたも一度は読んだり聞いたりされているのだと想う。私が子供の頃に読んだものは子供向けに書かれた内容だったので、後に読んだ悲惨な想いはもっと薄いものだった。でも、「かわいそう...」と想った。今でも、勿論「かわいそう」に想うけれど、もっと深刻な内容に心が赴く。

大晦日の日にマッチを売り歩く少女。貧乏なので綺麗なお洋服は持っていない。足は裸足。まず、この場面が脳裏に焼き付いている。おそらくまだ10歳に満たないくらいの小さな少女が大晦日の夜にマッチを売って歩いているのだ。裸足なのは死んでしまったお母さんの残した靴を履いていたけれど、歩く中で片方ずつ脱げてしまった。小さな少女には大きすぎたのだろう。この靴一足が唯一の少女の靴だった。エプロンをして美しく長いブロンドの髪の少女がマッチを売り歩く。けれど、誰も買ってはくれない。ひとつも売れない。だんだん寒くお腹も空いてくるけれど、家にこのまま帰るとお父さんに殴られてしまうから帰れない。

私がこの少女を好きなのは、心の清らかさと健気さだと想う。みすぼらしい服装だけれど、どこか清潔感を抱くのだ。きっと、少女がただ一人愛した(愛してくれた)今は亡きおばあさんの敬虔な教えが影響しているように想う。クリスマスの夜という内容のものもあるけれど、大晦日。日本と違ってヨーロッパではクリスマスから新年までを継続してお祝いするような風習があるので、この辺りは子供の頃は分からない事だった。

素足で歩く少女を想う。長い髪を束ねエプロンにマッチを入れて。誰も買ってくれない。この現実の厳しさは大晦日の夜の寒さを増徴する。そして、家に帰ると殴るという父親に憤る。母親が居ないので、この少女は家事全部を担っているだろう。帰ってもどうせ寒いのは同じだと少女は想う...何故!?屋根はあれども隙間風の吹く暖房もない寒い家。

足がどんなに冷たかっただろう!手は悴み、頬も赤みを超し青ざめていただろう!寒さのあまり持っているマッチを少女は4本壁で擦る、「シュッ」と。まるでストーブのように輝く光。でもすぐに消えてしまう。2本目、3本目と「シュッ」。ひとつは豪華な食卓の風景をガラス越しに見る。鵞鳥がナイフとフォークを刺して歩いてくる。また、クリスマスツリーが見える。綺麗な光と飾り付けをされたツリー。少女の心は一瞬楽しい光となり両手を広げ空を仰ぐ。けれど灯は消えてしまう。その時、クリスマスツリーの光は高い星になり、その中のひとつが長い尾を引いた流れ星となって落ちてくる。

星が落ちるときに、ひとりの人の魂が、神さまのみもとに昇ってゆくんだよ

この唯一人少女に愛の手を差し延べたおばあさんの言葉を想い出す。そして、4本目のマッチを急いで擦る。すると、おばあさんが優しく輝いて立っている。灯が消えるので束のマッチを全部擦る。おばあさんの姿を留めていたいがゆえに。マッチは赤々と燃え上がり明るくなり、おばあさんは少女を抱き、二人は、光と喜びに包まれて天に昇ってゆき、神のもとに召された。

けれど、大晦日の夜に、少女はマッチの束を持ったまま凍え死んでしまう悲しい結末。新年の太陽が昇り少女の亡骸を照らす。頬は紅色で口元には微笑を浮かべていた。この姿を見た人々は「この子は暖まろうとしたのだね」と云う。けれど、少女が光に包まれて愛するおばあさんと一緒に天国に昇って行ったことを、誰も知る人はいなかった。

このお話は、幼い少女の凍死という結末。けれど、少女は死によって新たな光に導かれ微笑むことが出来た。アンデルセン自身の困窮の経験や想いが重なるけれど、少女は救われたのだろう。なので、かわいそうだけれど、悲しい涙は溢れない。

1848年に書かれた『マッチ売りの少女』。1848年というと、フランスでは二月革命、ドイツとオーストリアで三月革命の年。1820年後半にイギリス人によって発明されたマッチ。時の混乱の中、社会が変革してゆく中、貧しい人々の生活が見える。そんな寒い家しかなく、自分の靴もない少女はどんな暮らしだったのだろう。このアンデルセン童話がただ子供向けに書かれたものでないのは云うまでもないけれど、優れた「童話」であり「メルヘン」であり「ファンタジー」である。子供は子供の心で、大人になれば大人の心でもう一度読み想うことが出来る。そして、各々が心に描き、考える。童話を子供の読み物と侮ってはいけないと想う。また、子供向けに書かれた読み物を大人が読むことで教えられることも多い。また、読んだ少年少女の感想や表情を得られるとなお喜びとなる♪
by claranomori | 2009-12-25 11:34 | 童話・絵本・挿絵画家