あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『ひめゆりの塔』の少女たち★映画で知った「ひめゆり学徒隊」の儚く散って行った命を想う

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★私は映画が好きなお陰で多くのことを教えて頂いたり考えさせられたり、きっと限りなくいつまでもそんな日々だろう。第二次世界大戦での日本の敗北、焼け野原になり物資もなく困窮に陥った時代。たった60余年前のこと。その当時を生きてこられた方々、家族に犠牲者を持つ方々、恩師や友、恋人を失った方々も今を生きておられる。「昭和」と云ってもこうした戦争の時代もあれば、バブルな時代もある。私は暢気にバブルをバブルと当時感じることさえ出きず、のうのうと生きてきた戦争を知らない子供。「沖縄戦」という史実を知らずにいた。何故、米軍が沖縄に駐屯することになったのか、その後の返還に至る流れをようやく把握(おおまかにだけれど)出来るようになった。それはやはり映画からのこと。同名の原作を映画化した今井正監督による1982年の『ひめゆりの塔』の衝撃が大きい。まだ10代の女子生徒たちが従軍しなくてはならないなんて!

乙女たちよ 知っていたのか 青春の砂時計に残された 
はかない いのちを・・・・・

劇中、明るく愛らしい笑顔の少女たち、みんなで合唱する儚き輝く刻が今も浮かぶ。まだお若い頃の古手川祐子さんが特に印象強く残っている。また、宮城先生役の栗原小巻さんのお美しさと凛々しさ。師を敬い慕う美しき少女たちと身を持って接する尊き姿の先生たち。美しい!けれど、史実が悲劇なので映画化だからと云ってハッピーエンドで終えることなどできない。内容は脚色されているだろうけれど、私は「ひめゆり」と聞くと反応してしまう。先生と生徒、227名がこの戦争で亡くなられている。これから、教師への道、また恋する季節の思春期の少女たち。夢と希望はそれぞれにあったはずなのに。「青春」という短い刻を戦争という狂騒の中に身を投じることになった運命。生き残られたお方もこの悲劇は心の傷跡として消えることはないだろう。そして、徴兵され兵役を担う運命になった方々も。この青年兵士たちの様子は、1968年の舛田利雄監督による映画『あゝひめゆりの塔』で考えさせられたように想う。吉永小百合さんと浜田光夫さんの青春コンビだった。吉永小百合さんの妹的な存在だったのではないだろうか、和泉雅子さんもまだお若く可愛いかった。

熱心な「サユリスト」であった母の姿が吉永小百合さんの出演されている映画を観るとどうしても浮かぶ。私はもっと後の世代だけれど、子供の頃から栗原小巻さんが好きだったので、もう少し早く生まれていたなら「コマキスト」と呼ばれていただろうか。宮城先生は最後は目が見えなくなってしまう。爆撃の連続の毎日で気がふれてしまう少女たち。負傷して壕から脱出できず死に至ってしまったり、解放後も米軍に引き渡されることを拒み手榴弾で自らの命を絶ってしまった少女たち。「ひめゆりの少女たち」のことを知って良かった。もっと学びたいとも想う☆

●“ひめゆり”の由来●
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校には、それぞれ校友会誌があり、一高女は「乙姫」、師範は「白百合」と名づけられていました。両校が併置された際、校友会誌もひとつになり、両方の名前を合わせて「姫百合」と名づけられました。ひらがなで「ひめゆり」と使うようになったのは戦後です。「ひめゆり平和祈念資料館」より。
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by claranomori | 2009-11-29 02:50 | 銀幕の少女たち・少女映画