最近少しだけ分かるような・・・☆原点回帰のなかで♪
2009年 11月 15日
私は自分で性別の差異を考えてもいないのに、両親から「女の子だから」という理由でしてはいけない事や使ってはいけない言葉や態度、遊ぶ時間さえ短くて...厳しい日々を送ってきた。弟がいるのだけれど、姉が云うのも変だけれど少年時代の弟は美少年であった。でも、病弱で入退院を繰り返し学校の成績は悪かった。色んな劣等感があったようだ。そんな弟が愛しかった。そんな時間は短く過ぎ行く。いつの間にかすっかり私の身長を追い抜き、声も変わってしまった。遊び方も違うし、観たい番組も違う。バレンタイン・デイには幾つもチョコレートを貰って帰って来るので助かった。意外とポーカーフェイスを気取った様子などをさり気なく見つめていた。お返しのホワイト・デイにはどうするのだろうかと興味を持った。結局分からないまま。内気なので実は好きな女の子からは貰えずに淋しかったのかも。私も女の子からチョコレートを貰ったことが過去にある。所謂、思春期に入っていた頃。けれど、その眼差しにまったく気付かずにいた。上手く行かないものなのだ。私の好きな女の子は早熟で早くから男子と交際していた。けれど、その男の子に嫉妬はなかったようだ。なぜなら、私は音楽が大好きになっていたから。その日々は一日一日と日増しに。偶像(アイドルやスター)に夢を馳せていたのである。ヒーローとは男性か性別のないものと感じていた。また、揺るぎのない最大のヒーローは父である(今も変わらずボウイだって敵わない)。なので、身近の男子と交際なんて気味の悪いことだったのだ。でも仲の良い男子は居たので何故もっと普通に友情が保てないのだろうか!と長年想ってきた。今はようやく異性の友たちが居る。時間が必要だった、とても。
こんな具合なので、「変なの~!」とか「変わっている」と云われ続け、私の大好きな音楽や映画に対してもまったくの偏見で批判も受けた。分かってもらえないから話すを止めてしまった時期もある。それが私の思春期の真っ只中。気持ちの悪いものや汚いとか醜いと感じるものが強くあった。高校にもなれば周りのお友達は恋愛と共に学校生活があった。失恋して泣いている姿も幾度も見て一緒に泣いた。代理で告白を伝えに行くこともあった...良い想い出はない。男子たちのみるみる逞しく成長する姿が不思議だった。また同じ位に女子たちのみるみる変容してゆく姿には複雑な想いがあった。私は身長はまだ伸びて欲しいという勝手な望みを持ちながら、その他の成長を拒絶する想いは強烈だった。そんな私を「おかしい」と周りは云うのだけれど、自分でも分からないのだからどうしようもなかった。今もまだよく分からない。ただ、私は女性であると分かってはいるので「女の子」の気持ちは色んなパターンで想像できるし理解しようとする。けれど、「男の子」のことは分からない。なので、「美しい」と思える無性の刻の「少年」ならまだ近いものを感じるのかも。大人の女性も中性的な方が今も好みだし、やはり何か欠如しているのかもしれない。
私のもう少し上の世代の方々は白黒テレビという時代。私はカラー世代。お話しているとこれはとても凄いことみたい。同じ番組をカラーで観るのと白黒で観るのは。郷ひろみはカラー世代ならではの新しいアイドル登場であったのだと想う。陽の美少年(美青年)である郷ひろみ。思春期に入ると一気に中性的で耽美などこか妖しげな世界に憧れ始めた。太陽や健康的なものから逃げるように。タイミングは見事でデヴィッド・ボウイやルキノ・ヴィスコンティを知る。今の私は亡き両親の歳に近づいてゆく。弱いなりに結構大病に至らず生きていられることを幸せに想う。角膜の問題で太陽光線が苦手ではあるけれど、最近は太陽の尊さ(恵み)を少しずつ感じられるようになっている。月光や星を眺める方がずっと好きではあるけれど、不健康な不規則な生活をしているけれど、ようやく「健康である姿の美しさ」を感じられるようになっている。それは、15才のあの綺麗な女の子みたいな少年だった郷ひろみが54歳になり、今なお清閑な姿を維持していることを再認識したことによる。初めて好きになったアイドル(スター)である。それも大好きだった。子供の頃にまっすぐで毒気のないアイドルを好きになったことが今の私には貴重な想い出なのだ。日本語の歌、歌謡曲、関西人なので上方芸能に親しみ、それらの歌詞やメロディー、また泣き笑いのお芝居を観て育った。少女マンガを読み異国を夢見ながらも、日本語の詩は響き刻まれていたのだと想う。そんな訳ですっかり毎日、ひろみの古いレコードを聴いたり歌詞を読んだりしていると、これまた新鮮なとんでもない発見が次々とある。初めて行ったコンサートも郷ひろみだった。少し年上のお姉さんたちの方がファンが多かったのか、仲良くしてもらっていた。一度だけ最前列で拝見できたのだけれど、テレビで観るよりさらに細くて綺麗だった。大阪のフェスティバルホールは満員で、階段をドキドキして上ってゆくと煌びやかなドレスを着た美しい女性方が花束を抱えて語り合っていた。上まで上るとその方々は女装をした男性方だった。云われなければ女性だと想っていただろうというくらい印象強く残っている。私の音楽原点は郷ひろみであり、岩谷時子&筒美京平の楽曲たちなのかもしれない♪
大学生になってからマニアックな音楽友達もできた。”洋楽を聴き始めるまでは誰が好きだった?”と訊かれ、どんな反応をされるかとちょっと緊張しながら”郷ひろみ”って云った。すると、その先輩達は”そうだろうね”と意外と同意してくれたことを想い出す。当時、その先輩との共通の好きな音楽はジョン・フォックスやマーク・アーモンドたちだった★