『いごこちのいい「少女世界」』という記事を読み色々と考えていました・・・♪
2009年 10月 27日
10代、20代の女のコといえば、スキーやテニスをし、ディスコで遊び、海外旅行に夢中。そんなものだと思っていた。男のコと大好きな恋愛をし、たとえそのことで悩んでいたとしても女のコ同士相談に乗り合い、文句を言い、グチをこぼしながらもけっこううまくやっていると。(中略)
思えば、新撰組の土方歳三と沖田総司に夢中になる少女たちは昔からいた。「少女時代の潔癖性」などということばでは括られてきたアレだ。あるときは歌舞伎の女形であり、あるときはランボーやワイルドなどの世紀末文学であり、あるときはデビッド・ボウイやJAPANなどの耽美的ロック・ミュージシャンであったりした。中性的なものへの憧れ。が、かつて彼女たちは思春期を過ぎて、大人の女になるにつれて、そうした潔癖性からも卒業していくはずだった。結婚をし、子供を産んで。
「同人誌活動のほうがおもしろい」。彼女たちは今メディアを手に入れた。そして溢れる情報のなかから、好みに合わせてマンガやスポーツ選手からさえも、主体的に記号を選び出す方法を。 (梨本敬法氏)
1/3程を記しました。私は沖田総司が好き。ランボーもワイルドも。そして、ボウイやJAPANなどの耽美派ミュージシャンにマンガ。スポーツ選手は女子か女性が主だけれど子供の頃からトキメク存在のお方がいた。中性的なものへの憧れは今もある。理解のある相方がいてくれるけれど、未婚で子供もいない。子供が大好きなのにである...これは長年の愛する世界が築かれる過程において何か因果なものが私の人生を方向付けてきたようにも想う。私は今のお仕事も「したいから」ではない。知らない内に此処に居たという感じなので不思議。流されたのでもなく、愛するものたちのある世界へ導かれたのかな...。元々、虚弱体質とやらだけれど歳のせいか、風邪をひきやすくなってしまって今も咳き込んでいる。けれど、思考ばかりしている。夢をみたり、現実に叩きのめされたり。でも、一度決めたことを投げ出す事をとても嫌っていた父の姿が浮かぶのだ。「また、メソメソしてるな!やると決めた以上頑張りなさい!」って。そして、少女時代からずっと心の住人である美しき方々やモノたちも私を宥めてくださる。だから、生きて来れたのだし、体が動く限りまだまだ出来ることはいっぱいある。弱音を吐くこと、投げ出すこと、やめてしまうことはいつだってできるのだから。
こんなことを考えては泣いていた。「泣いても泣いても、人生謳歌!」これはスローガンである。みんな、頑張っているのだから、それぞれの環境や年代や立場は違っても!私はもっと頑張るべきだとも。