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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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ポーランドの「子ども専用収容所」の少女たち ある少女の短い手紙

ポーランドの「子ども専用収容所」の少女たち ある少女の短い手紙_b0106921_1238045.jpg
このお写真は、点呼を受ける髪を切られた少女たちと女性看守の写ったもの。このユダヤの子供たちはユダヤ人であるとの理由のみで死の宣告を受け大量虐殺が行われた。一万二千人の子供たちが収容されていたけれど、解放後、生還できたのはほんの数人であったという(ポーランドでのこと)。これは『戦争と子ども(1936-1945ポーランド ナチスにさらされた子どもたちの受難)』というご本を参考にさせて頂いている。

私はロマン派詩人やロマン主義という世界がとても心の安堵する処のように想っている。けれど、どうしてだか幼い命を不当な理由で犠牲にしなくてはならなかった、戦争による悲劇の子供たちに関するものに出会うと読まずにはおられないし、見ないわけにはゆかない。覚えている古い記憶を辿ると、小学校の授業時間(7歳か8歳頃)に先生が広島の原爆のお話を読んでくださった。そのお話は教科書ではなく先生が聞かせてくださったもので、その中の少女は当時の私と同じくらいの歳の少女だった。その衝撃は今も忘れない。本当の戦争の姿を知らない。今では記録映像など、昨今の戦争は瞬時にニュースでその映像が映し出されるけれど、当時の私はまだ原爆ドームを訪れる前のこと。どのように想ったのだろう...「かわいそう」であり「こわい」であったのだろうけれど、大きなショックであったことは違いない。そして、母が買ってくださったアンネ・フランクの児童用のご本に出会う。それは決定的だったように想う。私が「少女」という言葉から連想される幾人もの愛でる少女たち。その中にアンネ・フランクは必ず居る。もう長い間私の心のお友だちみたい。今なお、多くのことを教えて頂いている。

ポーランドの収容所での子供たちは5,6歳から20歳未満の少年少女たち。年齢とともに分けられ、幼すぎて労働できない子供たちは皆殺されている。また、収容所に送られた子供たちの平均寿命は9ヶ月という惨さ。これらの資料は現実の悲劇を記録している。子供たちは一日10時間から12時間の労働を課され、規律は非情なまでの厳しさ。栄養失調にならない子供は皆無であったという。けれど、一切の医療保護も受けられずにいた。

ウルシュラ・カチマークレからボズナニのお父さんへ

愛するお父さん、お母さん!
今わたしはウッチの収容所にいます。愛するお父さん、お母さん、できれば小包を送ってください。郵便でなんでも送っていいのですから、ここはまだましなほうです。手紙は月に一度、小包は二週間ごとに送っていいのです。だから、わたしに短くてもいいですから手紙をください。愛するお父さん、お母さん、石鹸と洗剤をすこし送ってください。コートと食べ物も送ってください。これでこの短い手紙は終ります。お元気で。


この手紙はナチスによる入念な検閲がされたうえ、収容所管理局を通して送られた中の一通。この少女が解放時に生きていたのかは分からない。

この少女の手紙をキーボードで打ち記す中、この短い手紙を打ち記すことに随分時間がかかりました。いつも、大抵は一つの記事に20~30分程なのですが、時々このようなことになります。可愛い少女のお写真を眺めることも好きですが、笑顔を忘れた少年少女たちをも見つめなくてはならないのです。小さな痩せ細った姿から感じるものがあるからです。こうして、時々私は叩きのめされる!苛酷な現実に。上の短い手紙の中に「愛するお父さん、お母さん」という箇所が3回。そして、最後は「お元気で。」と...多くの優れた詩人たちの詩篇を読むことが好き。顔も知らぬ幼いポーランドの少女の手紙は、それらの詩人たちの美しい詩と優劣など無く、私の心に響くもの。これらの少女達を無視して「少女愛好」は有り得ない、私には。そして、これらの事柄に接する折は私なりのある心構えも必要。無ければかなりの打撃を受ける。それでも、吹き飛ばされど学びは大きい。この少女は「ここはまだましなほうです」との言葉を記している。極限状態の中で生きる希望をまだ失ってはいない、そんな純白な心はやはり気高く美しい!
by claranomori | 2009-10-10 11:36 | 写真の中の少女・夢の時間