『ノートル=ダム・ド・パリ』または『ノートルダムの傴僂男』原作ヴィクトル・ユゴー 監督ジャン・ドラノワ
2009年 06月 17日
原作と映画の大筋は同じだけれど、私はジャン・ドラノワとジャック・プレヴェールによるコンビ作品を贔屓しているのでアメリカ映画やアニメ映画も観たけれど(未見作も多い)、やはりこの1956年版のフランス映画が特に好き。生まれつき骨格の奇なる醜い男性カジモド(アンソニー・クイン)は親に捨てられノートルダム寺院の鐘つき男として成長していた。美しく艶やかに躍り歌うジプシーの娘エスメラルダ(ジーナ・ロロブリジーダ)は民衆を魅了するだけではなく、聖職者フロロ(アラン・キュニー)の心を捉えてしまった。このフロロのかなり屈折した感情表現も素晴らしい!王室親衛隊長のフェビュス(ジャン・ダネ)は美男だが婚約者のいる身ながらエスメラルダとの逢引きをする不実な男性でもある。けれど、エスメラルダはこのフェビュスに恋をしている。嫉妬に狂うフロロはカジモドを利用してエスメラルダを誘拐させたりもする。名場面のひとつ!群集の前で両腕を後ろに繋がれ拷問を受けるカジモド。彼は耳も不自由で醜い容姿ながら心は美しく優しい。嘲笑の中、カジモドは”水をくれ”と懇願するが誰一人聞く耳すら持たない。そこにエスメラルダが現れ彼にお水を飲ませてあげる。カジモドは初めて優しさを体感したのではないだろうか。そして、この優しく美しい娘に心惹かれてしまう。しかし、主にこの4人の感情と絡み合いは上手くはゆかない。エスメラルダとフェビュスの逢引きを阻止しようと付けまとうフロロはフェビュスを刺して逃げる。彼の死は免れたけれど、その罪はエスメラルダに着せられる。エスメラルダをカジモドは助け出し寺院にかこまう。エスメラルダはようやく彼の美しい心に気づくのだけれど、心は美男のフェビュスにある。結局は悲しいエスメラルダの死(絞首刑)を知ったカジモドは彼女に寄り添うように自らの命を断つ。幾年か経て、その二人の遺骨は共に灰となる...。
均整のとれた美を古典主義とするのなら、美男の騎士フェビュスだろう。王権の象徴でもある。対して醜い怪奇なカジモドこそ、歪なゴシック建築の神秘の美。グロテスク美学である。カジモドはその象徴的存在であり、生命力あふれる民衆の力でもある。また、聖職者フロロは教会権力の象徴なのだろう。美しい娘エスメラルダを巡るこの図式はフランスの権力闘争の縮図とも云える。エスメラルダを取り戻そうとする民衆たちはノートルダム寺院を襲う。それは七月革命というパリの社会を重ねている。ユゴーは当時のフランス社会を歴史小説の中に潜入させている。そうした事柄が今だと少しは分かるようになり、さらに歴史と文学、そして映画の融合する中で私はなにかを感じ学ぶことができる。愉しい娯楽として鑑賞しながらなのでこれほど素敵な資料はない。今回の再見でまた愉快な発見があった。前半の僅かの場面だったと思う(もう一度確認しようと思っているけれど)、枢機卿役でボリス・ヴィアンが出演していた。また、シャンソン歌手のダミアが町の歌手のような役どころで歌を歌ってもいた。これだからやめられない☆
ノートルダムのせむし男/NOTRE-DAME DE PARIS
1956年・フランス映画
監督:ジャン・ドラノワ 脚本:ジャック・プレヴェール、ジャン・オーランシュ 原作:ヴィクトル・ユゴー 音楽:ジョルジュ・オーリック 出演:アンソニー・クイン、ジーナ・ロロブリジーダ、アラン・キュニー、ジャン・ダネ、ダミア、マリアンヌ・オズワルド、ボリス・ヴィアン、ヴァランティーヌ・テシエ