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あまりにも私的な少女幻想、あるいは束の間の光の雫。少女少年・映画・音楽・文学・絵画・神話・妖精たちとの美しきロマンの旅路♪


by chouchou
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『バルタザールどこへ行く』 聖なるロバと少女マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー) ロベール・ブレッソン

『バルタザールどこへ行く』 聖なるロバと少女マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー) ロベール・ブレッソン_b0106921_10335100.jpg
1966年のロベール・ブレッソン監督の『バルタザールどこへ行く』。DVD化された折に購入して観たのが最初。何年か振りに観返し、またしてもこの作品の(監督の)厳しさに暫く心はざわめき続けた。再見する予定でいたけれど、重いものがのしかかるのを初見の折に痛感したので...。偶然にもテレビで放送していたものに遭遇したのだった。”今、観るべき時”ということなのだろうか。ブレッソン作品は好きである。難解だと言われる孤高の映画人。以前、『少女ムシェット』のことを少し綴ったけれど、私はこの『バルタザールどこへ行く』の方がより好きな作品かもしれない。難解と言えば難解なのだろう。しかし、私は難解だとは感じない。理解できるという意味ではなくて、社会、この人間と社会の有り様を寡黙に冷厳な眼差しで描いている。そんな世界だと知るまでに観ていれば私にはちんぷんかんぷんだったのかも知れない。この映画の主役は聖なるロバであるバルタザール。優しく悲しい目をして人から人へ。物や人を運び、棒切れやムチで叩かれる。凶悪な人々、残忍な人々、愚劣な人々、流され行く人々、利用される人々、騙される人々、辱めを受ける少女、自尊心を貫く人々、お金だけが人生だという人々、愚連隊の若者たち...をのろまで馬鹿だと言われもする聖なるロバはじっと見つめている。けれど、働き尽くめでなんの報いもない。悪事に利用され、最後は足を負傷し力尽き死に至る。その最後の場面は神々しい!群れをなす優しい羊たちが負傷したバルタザールを囲んでいる。本来あるべき(理想郷だろうか)世界の光景ならばこの映画は作られなかっただろう、人間の業をこれでもか!と映像は見せつける。
『バルタザールどこへ行く』 聖なるロバと少女マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー) ロベール・ブレッソン_b0106921_10344922.jpg
いつものように、今の心を書き綴っている。ここは『少女愛惜』なので、もうひとりの主人公である少女マリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)のことも。映画の冒頭シーンは清らかだ。少年少女時代の幼き時の少女マリーと少年ジャック。彼等は永遠の愛を誓い合う。牧場主の息子であるジャックと教師の娘マリー。美しく成長したマリーとジャックは再会するけれど、その土地を巡る親の裁判沙汰やマリーは誰よりもバルタザールを愛していたのに、いつの間にか不良グループのリーダーのジェラールに魅了されていた。彼と会うためにもうバルタザールのことも、両親の言葉も耳に入らない(そういう年頃だろう)。よくあるお話。今もマリーを愛するジャックの気持ちを嬉しく思うマリーはジェラールに決着をつけに行くけれど、小屋に裸で閉じ込められてしまう。そして、家を出てゆく。意気消沈した父は病み死に至る。残された母にはバルタザールのみとなる。しかし、執拗にもジェラールは悪事にバルタザールを利用する。それまでにもアルノルドという中年男性やお金を墓場まで持ってゆくという男性(ピエール・クロソウスキー)などの下でも働いていたバルタザール。ああ虚しい!けれど、これが現実なのか、そうだと知っていても悲しい。ある啓示だというのだろうか。聖なるロバであるバルタザールはイエスのようだ。人間の業故に苦難の道のりをあの足音で幾道も歩いて歩いて。マリーは思春期の少女らしい存在ながら、無表情で無気力。現代的な気もする。しかし、私はこのマリーに感情移入はできないし、好きではないけれど、アンヌ・ヴィアゼムスキー(撮影当時17~18歳頃の初出演映画)は素晴らしい!また、こうような少女はいるのだ。善良で優しい少年にのみ恋をするものでもない。人間の底知れる魅力は人それぞれで出逢いや運命もある。どう考えても愚劣なジェラールにマリーは心惹かれ、”死ぬまでついてゆくわ”とも語る。あまり感情を出さない少女で不幸を望んでいるかのようにも感じる。”こんな汚いところで死にたいわ”という台詞もショックだった。翻弄されゆく少女とも言えるのだろう。バルタザールにお花の飾りをつけてあげる優しい少女なのに。美しく成長する中で失われてゆく(忘れてしまう)ものがある。堕落...これもまた人間的だと思う。もう少し思いはあるけれど、上手く言葉にならずもどかしい。ブレッソン作品は好き嫌いの分かれる作風だろう。観ていて想起する監督は大好きなイングマール・ベルイマン。けれど、全く違う。ベルイマンならこのように描かないだろうし、ブレッソンだからこそ描けるとも言える。しかし、思うのは”目線”!?”少女マリー”にしても”少女ムシェット”にしても...何かが私の心を不快にさせる。それは少女に対する”目線”というのかもよく分からない。けれど、好きな映画であるし、バルタザールが何よりも神聖で悲しく美しい。すべてを静かに見つめているあの目が忘れられない☆
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バルタザールどこへ行く/AU HASSARD BALTHAZAR
     1966年・フランス/スウェーデン合作映画
監督・脚本:ロベール・ブレッソン 撮影:ギスラン・クロケ 音楽:ジャン・ウィエネル 出演:聖なるロバ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、フィリップ・アスラン、ナタリー・ショワイヤー、ヴァルテル・グレーン、ピエール・クロソフスキー

※画家であり作家でもあるピエール・クロソウスキーが出演している。クロソウスキーの弟はかのバルチュス。また、本名はバルタザール・クロソウスキー。ダリオ・アルジェント監督は、かなりバルチュスに影響を受けたと語っていた。それは納得。何が言いたいのかと言いますとそれは言わない方がよいように思ったり。まあ、色々と頭の中は相変わらずごった返しているけれど、果てしない旅は続きます♪
by claranomori | 2009-04-23 10:58 | 銀幕の少女たち・少女映画