![]() 私にとっての永遠の「聖少女シャルロット」の12歳の歌声のこと。この『クララの森・少女愛惜』は心の支柱なのですが、『永遠のアイドルとガールズポップ★ロック&シャンソン愛好者の偏愛音楽館』でも、どうしても少女愛好は隠せません(否、欠かせません)ようですので、どうか皆様お守りください!どうぞ宜しくお願いいたします! ![]() ※だんだん分って来る気がします。何故!私が女の子大好き!で、なおかつ少年愛好も続けているのか。心がそうさせるのですが、どちらかに偏ることが多いとお聞きします。そうなのです!私の原点にはあの「女の子のように可愛い郷ひろみ」が居たからです。もう後戻りはできないでしょう...すっかり童女時代にまでタイムスリップしてしまい、「私のバラ色の人生」のあの風景が蘇るのです。アイドルやスターって凄いです!こうであらねばならないのです。「音楽ブログ」の方に、郷ひろみ+荒井由実(ユーミン)+筒美京平による奇跡の名盤のことを綴りました。ユーミンの少女世界の少年版とも云える名作だと想います。ひろみの19歳から20歳にかけてのアルバムです。ああ、素晴らしい☆ ![]() ![]() ~A New Decade~ 2010.1.29(Fri) @SOCIOあめりか村 18:00~23:00 1000円(1ドリンク付き) DJs: mine zoe yamaten(Velvet Moon) chouchou(Velvet Moon) SLIP(SOCIO) at 心斎橋SOCIOあめりか村 大阪市中央区西心斎橋2-11-5 高谷ビル2階 06-6213-2060 基本メンバーはzoe、mine、yamaten、chouchouの4人ですが、SOCIOのマスターもご一緒です。DJ歴はこの中で最も長いお方なのです。そして、愛すべき仲間たち☆ Sub-CultureのHP ← です♪ 80年代のNewWaveを中心としたイベントです。当時「ポジティヴ・パンク」とか「ネオ・サイケ」と呼ばれていた「ゴシック・ロック」、エレポップやネオ・アコースティック...など、各DJの趣味で色々かけています。毎回かかるサブカル定番曲もあれば、滅多にかからないようなコアな曲たちも。この『sub-culture』というイベントは実に珍しい特殊なものだと想いますし、そのように仰って頂いています。元々、NewWaveを愛好する人々はあまりコミュニケーションを好まなかったり苦手だったり(実はシャイ故に)。けれど、違いますよ~!暗い音楽が流れる中、とっても和やかな雰囲気です。”類は友を呼ぶ”と云いますがそんな人たちが自然と集います。初めてお会いした方でも意気投合できるのは嬉しいです。それは、きっとその時代を音楽と共に過ごして来たこと、あるいは世代は違ってもその時代の音楽が好きな年下の方、それぞれに音楽と共に過ごして来たことが共通しているのでしょう。普段は会社にお勤めの方々も、私のような者も。 いつもご参加くださる皆様、初めて参加の方々もどうぞお気軽にお越し下さいね。ドレスコードもございません。サブカル・チームのメンバーはどなたも温厚です(これも面白い特徴)。私は中でも最も下手なDJですが、大好きな”愛しのへんてこりん”音楽をかけています。やはり、女性ヴォーカルのNewWaveが多いです。今回もアヴァン・ポップを中心にと想っています。ああ!楽しみです★ 今年も『sub-culture』と『Velvet Moon』共々、宜しくお願いいたします♪ ![]() ![]() ●今日は夜からお友達のライヴ&パーティーでDJを少ししてきます。「耽美」と「神秘」みたいなテーマみたい。選曲を今からして、「音楽ブログ」は25日からは「サブカル」モードに変えます。なので、ニュー・ウェイヴを続けようと思います。どうぞ、宜しくお願いいたします。 ![]() *また、この映画の音楽も全編素晴らしいものです。初めて観た時から大好きな主題歌『メロディ・フェア』(ビー・ジーズ)等を『永遠のアイドルとガールズポップ★ロック&シャンソン愛好者の偏愛音楽館』(今年より「私の偏愛音楽ブログ」となりました) ← にて更新いたしました♪ ☆可愛すぎて、愛らしすぎて、瑞々しすぎて、純粋すぎて、美しすぎて!今日も朝から泣いてしまいました。 ![]() 今日の記事は私の少女時代のこと。小林繁さんがジャイアンツからタイガースに移籍された。その時の私はまだ子供で「空白の一日」と今も語り継がれる前代未聞の事件のことはうる覚え。ただ、あの時の私は江川さんの印象が良くなかった。今はこれからも背負って生きてゆかれるのだと思うと気の毒な思いである。選手に責任はないと思えるから。でも、あの時に「野球が好きだから、阪神にお世話になります」という潔い姿勢はスポーツマン精神の表れだと思う。その時に拒否する権限もあったそうだ。 私の父は若き日から巨人(読売ジャイアンツ)のファンで、とりわけ長嶋茂雄さんは父のヒーローのようだった。父が大好きな私は父の好きな巨人の応援を何も知らないうちにしていた。小学生の時の担任の先生も巨人ファンで、ある日「巨人ファンの人は手を上げて下さい」とにこやかに仰った。私は手を上げた。兵庫なのでクラスの多くは阪神ファンの人たちだった。ところが、小林さんが阪神に移籍となったその日から、私はいとも簡単に阪神ファンになってしまった。長嶋さんはその頃監督で巨人が優勝された年も小林さんは大活躍だったのだ。背番号19番。細い体つきでサイドスローの投手。投げた後は帽子が吹っ飛ぶあの姿をしっかり覚えている。私はミーハーゆえに野球の専門的なことなど何も知らない。けれど、あんなに野球を必死で観戦していた時期はあの頃しかない。その時期は正しく私の少女時代である。弟は入退院を繰り返しながらもリトルリーグという地域の少年野球クラブに入っていた。私より先に自らの意思で阪神ファンとなっていた。母は私以上に野球のルールもよく分かっていないようだったけれど、阪神を応援していた。なので、家族内での五分五分で巨人対阪神という試合はとっても楽しいものだった。家族そろってブラウン管に向かっていたあの頃が懐かしい。 父は私の変わり目の早さに呆れていた。でも、父は巨人の次に応援するチームは阪神だったのだ。なのでアンチではなかった。そして、高校野球も必ず観ていた。「どこを応援してるの?」と訊くと、「どこでもない。負けてる方を応援している」と。そんな父が大好きだった!寂しい想い出は、日曜日の休日になると、よく父と弟は家の前でキャッチボールをしていた。私は傍でなんとなく弟が羨ましく見ていた。すると、優しい父は弟のグローブを借りて私が父の投げるボールを受けるという機会を与えてくれた。二人はテンポ良く続けていたので、私はあのボールが上手にキャッチ出来るだろうか(キャッチしたい!)という思いだった。何球かは上手くキャッチできなかったけれど、グローブに父の投げたボールがあった時、とっても嬉しかった。父は私には下から軽く投げてくれていた。また、弟も優しいから「お姉ちゃん、頑張れ!」って云ってくれた。何故だか、そんな遠い日の想い出たちが蘇り、今も上手く自分の気持ちが綴れないけれど、ただ悲しい。 私は熱狂的な野球ファンではないけれど、「好きなチームは?」と尋ねられたなら「タイガース」と答えている。そして、あの70年代の終わりから80年代半ば頃は野球観戦が楽しくてしかたのない頃だった。弟は今も大のタイガース・ファン。けれど、二人の甥はどちらも野球にあまり興味がない。でも、甲子園に何度も行っている。上の甥はオマリー(コーチ時代)に頭を撫でてもらったのだそうだ。甥よりも弟の方が大喜びして帰って来た。 現監督の真弓さんとも小林さんは仲が良かったという。真弓さんも私は阪神に入団されてからずっと好きだった。ホームランを打てる一番打者でハンサムだし。私も長嶋さんや王さんが好き。でも、阪神の次に好きなチームは広島カープだった。川口さんや大野さん、山本浩二さんに衣笠さん、そして前田さんとかスター性がありかつ実力のある方々が多く居た。今も居られるのだろうけれど、テレビを観なくなったしなにか私の中では違う感じ。やはり「昭和」が好き。そして、こうして私の好きな人たちがお亡くなりになってゆく。昭和のヒーローやスターたちが。そして、今日18日に追い討ちをかけるような訃報。浅川マキさんが心不全でお亡くなりになられたというニュース。浅川マキさんとは幾度かお会いさせて頂いたことがある。ご一緒にカレーライスを食べたり、頂いたご本なども大切にしている。あの不思議なマキさんに「あなたは変な女ね」と云われてしまい「そうですか?」と自分ではまともなつもりなので複雑な思いながら笑ってしまった。もう少し東京に居られたなら...と残してきたものを悔恨する。けれど、両親が倒れ、精神的にも限界だったこともあり関西に戻って今に至る。 マキさんとの事は上手く今は語れない。いつの春にか...。 小林繁さん、浅川マキさんの連日の訃報はまだ信じられないけれど、御冥福をお祈りしています。そして、ありがとうございました。 ![]() 上の絵はエリュー・ヴェッダー(Elihu Vedder:1836~1923)による『プレアデス七人姉妹の踊り』(1885年)。象徴主義あるいはラファエル前派の画家とされているお方。アメリカのお方ながらヨーロッパ的な芳香で19世紀末の耽美な世界に私を誘う。 右下の方に光が見える。これがギリシャ神話で『行方知れずのプレヤードの星』と呼ばれているものだそうだ。この星のお話は世界中の伝説にあるらしくどれも似た内容だという。冬空の美しい星団として知られる「プレアデス星団」の星たちになっているのは、マウリタニアの王、巨人アトラスとニンフのプレイオネの間に生まれた七人の娘たち。マイア、タイゲタ、アステロペ、エレクトラ、ケレーノ、アルキオネ、メローペ。この七人の姉妹に父と母が加わっての星の集まりと云われている。けれど、いくら目を凝らして眺めても現実に見える星は六個で、余程の視力の良さでないと七個は見えないのだそうだ。もしも、七個見えたなら九個見えるとも。 その見えない星を巡る伝説が『行方知れずのプレヤードの星』である。七人姉妹のうち一人だけが見えない(消えてしまった)というお話でとてもロマンチック!その一人はマイアであるとかエレクトラであるとか定かではないけれど、この姉妹たちはたいそう可愛らしい美少女たちで、野原で歌ったり踊ったりと、楽しく遊んでいたところを、オリオンに追いかけられ天に昇り美しい星になったという。 カナダの伝承ものでは、やはりこの七人姉妹(セヴン・シスターズ)が歌い踊っている場面が記されている。その美しい光景を見た青年が魅了されてしまい翌日もその場所にやって来る。ますます、魅せられてしまった青年は三晩目に姉妹たちを追いかけてしまう。けれど、慌てて天上に逃げてしまった。その時に逃げ遅れかごに乗り損ねてしまった少女が一人いた。 「あなたは、どなたですか。どこからやって来たのですか。」と青年は尋ねた。少女は「私たちは、七人姉妹で天上界に住んでいるのです。空が穏やかで湖も静かな時を選んで、ここに降りて来て星明かりで踊っているのです。」泣いていた少女のこの言葉を聞き一層愛らしく想った青年は結婚を申し込んだ。それは天上界で暮らすという条件のもと。そして、二人は仲良く暮らしたそうだ。いつも夫のかげに隠れて座っているこの乙女ゆえに、通常私たちの目には見えないのだというもの。どの娘なのかは記されていないので分らないけれど、「だれだろうなあ」って想うのが好き♪ ☆新年、明けましておめでとうございます。相変わらずこんな調子でありますが、今年もどうぞ宜しくお願いいたします!☆ ![]() ![]() ![]() オマージュ作品は未見のものがあるけれど、ほぼ観れる範囲の作品は観ている。どれも素敵!酷評の作品だってオードリーが素敵ならそれでいいって想う。不思議なお方。今も愛され続け、現役の人気俳優たちに混じって人気投票に名を連ねている。もう何十年もの歳月ではないだろうか。殊に日本での人気は世界一なのかもしれない。平成生まれの甥も「オードリー・ヘプバーン」を知っているのだから凄い。オードリー映画の相手役に好きなお方も多いので私は映画を観る中で、年月と共に”オードリー好き”は強まって行った。それぞれの作品は魅力的で役柄も様々。何歳でも何を演じてもオフショットの時でも、いつも素敵なあの瞳!笑顔も多いけれど、ゆえに内省的なショットや場面に遭遇するとさらに好きでもある。 オードリーは生涯「オードリーであった」。高慢ちきでもなく人の意見をしっかり聞けるお方であり、かつご自分の意思を貫く!それが「オードリーらしい生き方」であり、晩年のユニセフの活動までずっと。オードリーのお写真は数多く存在する。多くのスター女優は撮る角度や採用のチェック、オフ時は禁物...というのが通常。けれど、オードリーはいつでも撮られることを拒むお方ではなかった。気さくで優しい。生まれ持った気品と意思の強さ。個性を活かしたファッション・センス。少女らしさを残しながらも決して子供っぽくはない。”美人女優”ならワンサカ続々世界中から登場される。そんな中で世界規模の国際女優でありスターであり続ける(死してさえ)。ああ、やはり「スターがスターであった時代」に夢を馳せる。褒め讃えるばかりであるけれど、晩年の活動は少女期の暗い戦争という刻との関係も深いと想っている。そんな”慈しみ”のようなものを持ち続けたお方であったから、いつまでも清らかでお美しくあられたのだろうとも想う。上の自転車のカゴに居るのは愛犬アッサム(フェイマスは死んでしまった)で、オードリーとご一緒にスタジオに向かう(『緑の館』で共演した子鹿イップ(イプ)も好き)。息子さまだって。そんなお姿もお美しい。私生活を隠し、母親になってもそうしたイメージを払拭しようと保つお方も多い。けれどオードリーは違う。”潔さ”というのかもしれない。実にクリーンである。やはり永遠の妖精オードリー♪ ※昨夜から台所の給湯器のお湯がでなくなり点検して頂いた。どうやらもう古くて壊れていて部品も製造されていない。運悪く年の瀬なので交換作業はあと1週間程のち。ガクンと冷たいお水でお皿やカップを洗いながら”ヒーヒー”呟いている。こうした予期せぬこともあるのだ。それも人生。それも試練。また愉しいとさえ想える。更新にたいそうムラがある私ですのに、いつも気に留めてくださる方々、何かの検索で訪れてくださる方々、コメントをくださる方々....そうしたご縁をとても嬉しく、また励みに生きております。今後とも末長く宜しくお願いいたします。皆様、良いお年を♪ ![]() このお写真の頃の少女コレットを想う。ブルゴーニュの美しい自然の中で育った。20歳で結婚しパリに出ることになるなんて、この時は知らないのだ。こうした「一枚の写真」はその刻を封じ込める。正確な年月日は分からないけれど、この瞬間はただ一度っきり。どこか物思いに耽るような少女コレットを勝手に想像する私。 コレット原作の映画も多い。マチルダ・メイがコレットを演じた『コレット 水瓶座の女(1991年)』では最初の結婚生活が描かれていた。その夫(アンリ・ゴーティエ=ヴィラール)の名義「ヴィリー(ウィリー)」で出版されたという『学校のクロディーヌ(1900年)』と『パリのクロディーヌ(1901年)』は実質上のコレットの処女作ということになる。けれど、シドニ=ガブリエル・コレットというと、やはり、『シェリ(1920年)』、『青い麦(1923年)』、『牝猫(1933年)』、『ジジ(1945年)』などが代表作だと想う。とりわけ映画化された『青い麦』は私が最初に読んだコレット作品だったこともあり思い出深い。この小説は2番目の夫アンリ・ド・ジュヴネルの息子との関係が作品に与えたものも大きいという。その後、3度目の結婚は17歳年下のモーリス・グドケ。最初の夫は15歳年上でバイセクシャルなお方だったそうだ。 大きな二つの大戦の中でもコレットであった。この「コレットであった」と想うのはおそらく生涯活き活きと、かつ瑞々しい文体を維持された。私生活面でも自由奔放で、殊に夫が居ながらも同性との恋愛も謳歌されていた姿を想うからかもしれない。時代を切り開く新しい女性像のおひとりだったと。そして、その源泉は生まれ育った環境、美しい草花や動物たちとの自然に包まれた少女時代が深く関係しているのだとも想う。 ![]() 大晦日の日にマッチを売り歩く少女。貧乏なので綺麗なお洋服は持っていない。足は裸足。まず、この場面が脳裏に焼き付いている。おそらくまだ10歳に満たないくらいの小さな少女が大晦日の夜にマッチを売って歩いているのだ。裸足なのは死んでしまったお母さんの残した靴を履いていたけれど、歩く中で片方ずつ脱げてしまった。小さな少女には大きすぎたのだろう。この靴一足が唯一の少女の靴だった。エプロンをして美しく長いブロンドの髪の少女がマッチを売り歩く。けれど、誰も買ってはくれない。ひとつも売れない。だんだん寒くお腹も空いてくるけれど、家にこのまま帰るとお父さんに殴られてしまうから帰れない。 私がこの少女を好きなのは、心の清らかさと健気さだと想う。みすぼらしい服装だけれど、どこか清潔感を抱くのだ。きっと、少女がただ一人愛した(愛してくれた)今は亡きおばあさんの敬虔な教えが影響しているように想う。クリスマスの夜という内容のものもあるけれど、大晦日。日本と違ってヨーロッパではクリスマスから新年までを継続してお祝いするような風習があるので、この辺りは子供の頃は分からない事だった。 素足で歩く少女を想う。長い髪を束ねエプロンにマッチを入れて。誰も買ってくれない。この現実の厳しさは大晦日の夜の寒さを増徴する。そして、家に帰ると殴るという父親に憤る。母親が居ないので、この少女は家事全部を担っているだろう。帰ってもどうせ寒いのは同じだと少女は想う...何故!?屋根はあれども隙間風の吹く暖房もない寒い家。 足がどんなに冷たかっただろう!手は悴み、頬も赤みを超し青ざめていただろう!寒さのあまり持っているマッチを少女は4本壁で擦る、「シュッ」と。まるでストーブのように輝く光。でもすぐに消えてしまう。2本目、3本目と「シュッ」。ひとつは豪華な食卓の風景をガラス越しに見る。鵞鳥がナイフとフォークを刺して歩いてくる。また、クリスマスツリーが見える。綺麗な光と飾り付けをされたツリー。少女の心は一瞬楽しい光となり両手を広げ空を仰ぐ。けれど灯は消えてしまう。その時、クリスマスツリーの光は高い星になり、その中のひとつが長い尾を引いた流れ星となって落ちてくる。 星が落ちるときに、ひとりの人の魂が、神さまのみもとに昇ってゆくんだよ この唯一人少女に愛の手を差し延べたおばあさんの言葉を想い出す。そして、4本目のマッチを急いで擦る。すると、おばあさんが優しく輝いて立っている。灯が消えるので束のマッチを全部擦る。おばあさんの姿を留めていたいがゆえに。マッチは赤々と燃え上がり明るくなり、おばあさんは少女を抱き、二人は、光と喜びに包まれて天に昇ってゆき、神のもとに召された。 けれど、大晦日の夜に、少女はマッチの束を持ったまま凍え死んでしまう悲しい結末。新年の太陽が昇り少女の亡骸を照らす。頬は紅色で口元には微笑を浮かべていた。この姿を見た人々は「この子は暖まろうとしたのだね」と云う。けれど、少女が光に包まれて愛するおばあさんと一緒に天国に昇って行ったことを、誰も知る人はいなかった。 このお話は、幼い少女の凍死という結末。けれど、少女は死によって新たな光に導かれ微笑むことが出来た。アンデルセン自身の困窮の経験や想いが重なるけれど、少女は救われたのだろう。なので、かわいそうだけれど、悲しい涙は溢れない。 1848年に書かれた『マッチ売りの少女』。1848年というと、フランスでは二月革命、ドイツとオーストリアで三月革命の年。1820年後半にイギリス人によって発明されたマッチ。時の混乱の中、社会が変革してゆく中、貧しい人々の生活が見える。そんな寒い家しかなく、自分の靴もない少女はどんな暮らしだったのだろう。このアンデルセン童話がただ子供向けに書かれたものでないのは云うまでもないけれど、優れた「童話」であり「メルヘン」であり「ファンタジー」である。子供は子供の心で、大人になれば大人の心でもう一度読み想うことが出来る。そして、各々が心に描き、考える。童話を子供の読み物と侮ってはいけないと想う。また、子供向けに書かれた読み物を大人が読むことで教えられることも多い。また、読んだ少年少女の感想や表情を得られるとなお喜びとなる♪ ![]() ![]() ![]() ![]() 上の少女たちのお写真にちょっとした文が添えられている。その言葉も好きなものから選んだように想う。上から順に(1月~3月~5月~12月)。 ●これから、春をみつけにおでかけするの。 ●ベリーの森は、あまい香りでいっぱいなの。 ●雪といっしょに、すてきなことがふってきますように。 ああ、可愛過ぎて涙が出ます。おんぼろのパソコンの調子が悪いので配置を変えたばかり。それでなくても環境に馴染めない私。今までと違う場所に色んなものも移動してウロウロしたり、機械音痴のくせに配線をいじったりして音が出なくなり元に戻せず落ち込んでいたり。こうして時間は過ぎ行く。けれど、今日を生き、明日を生きるために、優美なもの、美しいものたちを大切に自分の歩幅で歩いてゆこうと想うのです。
★毎月第一日曜日に『なんでもない日のお茶会』で音響・BGM係りで参加させて頂いている。今月は6日に開催された。私はこのお茶会を毎月楽しみにしている。第一回から一度も欠席したことがないのだ(ちょっと、誇らしげ♪)。個性的な方々が集う。もう5年も続いているイベントで、最初は知らないお方が多かったのだけれど、今では次第にお声をかけてくださる方々も増えて嬉しい。今回は『ストレインフォビア(STRAIN FOBIA)』による朗読劇『MOON』だった。この劇団はいそろく君というお方が主宰で、今年はミュージカルもあった。童話モチーフを独自の解釈で脚本化され、演出から出演とこなす才人。毎回出演者は流動的なようで今回の朗読劇はいそろく君と可愛い黒猫ちゃんのお二人でのものだとお聞きし楽しみにしていた。
今回はもう一つ『アリスの音楽隊』という女性4人(お一人男性も演劇で参加)による四重奏で、音楽と演劇を紡ぐ構成でこちらも好きなものだった。彼女たちのリハが終わり、そろそろ2階のオープンという時間になった頃、いそろく君が台本をお持ちになって、DJブースに座っていたZOE氏と私に、「主人公の少年のお父さんとお母さんの箇所をお願いします」と云われた。ZOE氏はまったく動じることなく楽しげに引き受けやる気満々。私は突然のことで不安と緊張を伴っていた。『MOON』というお話は幼少時から月や宇宙に魅せられている少年ユウイチ君が主人公。この少年は事故により神経を患うことになりそれ以来、目が見えないという状況となった。今17歳。その母親の台詞を読むのだけれど、想ったよりも多くてドキドキしていた。それでも、1時間弱の真っ暗な空間の中での朗読劇は私に17歳の少年ユウイチ君と、彼と出会うことになる16歳の少女ハルちゃんの会話。そして、壁伝いにぎこちなく天体望遠鏡を持って神社に向かう姿が目に浮かぶのだった。「大丈夫だろうか...」と想いながら。そんな素敵なお話に自然と引き込まれていたので、何とか台詞を読むことができた。横にZOE氏とマッチ君が居てくれたので安心感もあったと想う。 少女ハルちゃんも天体好きの少女。けれど、何故か学校生活に馴染めずにいる。そんな疎外感と孤独感を持つ少女がぎこちなく歩いてゆく少年に出会い、そぉっと後を追う。少年は自分の目の見えないことに劣等感を持っている。けれど自己を放棄はしてはいない。そんな二人の夜空の観測風景と交わされる会話。お互いが偽りながらもどこか気遣い合う。「本当の事を云ったら...」という不安が共にある。感動的だったのは、途中で分かることだったけれど、少年の天体望遠鏡のレンズは割れていた。そして、少女はその割れたレンズでは星を観測することなどできないと分かっていて、夜空の美しさを告げる。少年は割れたレンズに気付かず、「うん、綺麗だね」と見えていないのに語る...私は泣き虫なので既に泣いていた。 自分の息子がこんな状況になってしまったのだ。両親の心もどんなに苦しいだろう!一人で外出することをどんなに心配しただろう!私は母親の台詞で泣く箇所があったのだけれど、開演前は上手く泣いた感じで読めるだろうか...などと不安だったけれどなんとか。お話を聞きながら浮かぶ二人の姿と共に心に浮かんだのは私の亡き母だった。元気な折から近眼と乱視が酷いという方だったのだけれど、病気になり寝たきりになり死が近づく中、次第に視力を失ってしまったから。面会に行っても私の姿が見えていないのだった。辛うじて右手の感覚だけが機能していたので、私は母の手をさすり耳元で話しかけ私だということを伝えていた。今から想うと、私の母である!手をさする私の指の感触で娘であることは充分分かっていただろう。それでも姿が見えないことはどんなに辛いことだっただろうか...。私は帰りはいつも泣いていた。そんな母の姿を見るのが辛かった。でも、見えない目で私を想像していたのだろうと想うと、不思議な気分にもなる。 目に見えないものを心で見る。見えるものだけではなく、見えないものの中に見えるものもある。これはずっと私が感じていることで、歳を重ねる毎にその尊さを想う。「想像してごらん」とジョン・レノンは歌った。絵空事と現実派の方に笑い飛ばされることもあった。それでも、私はこの厳しい現実を生きていく上で、少しでも心豊かに生きていたい。お金がなければ生きてゆけないということも知ってしまった。それでも、何とか生きてゆくだけのお金があればいい。それよりももっと大切なのは心まで貧しくならずに「人生謳歌」してゆくこと。 自由であるためには不自由であらねばならないだろう。また、幸福であるためには不幸であらねばならないだろう。これらの事は大好きな寺山修司から学んだように想う。まだまだあるけれど、私にとって最大の難問がずっとある。課題とでもいうのだろうか。それは子供の頃から頑固なくせに自分から積極的に向かうことを怖がるということ。また、苦手であるとか好きではないということに関し、自然と距離を保つようになった。いそろく君が仰った。「何かを始めるのに年齢や遅いということはないと想う」って。私もそう想う。私は少年少女の心を想うことが何よりも好きで仕方がない。ある意味病気かもしれない。それでも、もうどうしようもない。なので、とことん!自分の内面を見つめ掘り下げてゆこうと想っている。その作業のようなものの過程には必ず壁があり闇に遭遇する。行き先不明と戸惑いや挫折もある。けれど、掘り続ける事に決めたのだ。まるでモグラのような状態。でも、ちょっと途中で土から顔を出せば叩かれてしまうのだから、暗くても堀り続ける方が良い。すると、いつの日にかきっと、光を見ることができるだろう!途中で死んでしまうかもしれないけれど、それでもいい。 まだ漠然としているけれど、来年2010年のちっぽけな目標ができた。それも、やはり親愛なる友たちにお力をお借りしながらだけれど。ZOE氏とYAMATEN氏には軽くお伝えした。そして、ZOE氏より「詩を書いてください」と云われたので、今少しずつ書いているところ。さて...?いったいどんな風になるのやら。本業のお仕事は山積み状態なので、あくまでも心のバランスのため。そして、ある克服のため。そして、美しき心の住人たちにさらなる愛を込めて私の人生に刻むために☆ ![]() ![]() ◆12月になりました。暑い夏の日もすっかり紅葉の秋、そして白い冬の季節。もうすぐクリスマスがやって来て、年末今年も終わり。2010年の新年が近づいています。この私の心の支柱のようなブログ『クララの森・少女愛惜』は絶えるまであれやこれやと拙い想いを綴ってゆきます。また、連動した形にもなりますが、「音楽」、それも「ポップ・ミュージック」に特化し、私的ガールズ・ポップやボーイズ・ポップの愛しきアーティストや楽曲が浮かぶだけでも数千を超します。始めたばかりでまだまだ記事が少ないのですが、この『永遠のアイドルとガールズポップ愛好館』も今月からピッチを上げて更新してゆく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします☆ ![]() はかない いのちを・・・・・ 劇中、明るく愛らしい笑顔の少女たち、みんなで合唱する儚き輝く刻が今も浮かぶ。まだお若い頃の古手川祐子さんが特に印象強く残っている。また、宮城先生役の栗原小巻さんのお美しさと凛々しさ。師を敬い慕う美しき少女たちと身を持って接する尊き姿の先生たち。美しい!けれど、史実が悲劇なので映画化だからと云ってハッピーエンドで終えることなどできない。内容は脚色されているだろうけれど、私は「ひめゆり」と聞くと反応してしまう。先生と生徒、227名がこの戦争で亡くなられている。これから、教師への道、また恋する季節の思春期の少女たち。夢と希望はそれぞれにあったはずなのに。「青春」という短い刻を戦争という狂騒の中に身を投じることになった運命。生き残られたお方もこの悲劇は心の傷跡として消えることはないだろう。そして、徴兵され兵役を担う運命になった方々も。この青年兵士たちの様子は、1968年の舛田利雄監督による映画『あゝひめゆりの塔』で考えさせられたように想う。吉永小百合さんと浜田光夫さんの青春コンビだった。吉永小百合さんの妹的な存在だったのではないだろうか、和泉雅子さんもまだお若く可愛いかった。 熱心な「サユリスト」であった母の姿が吉永小百合さんの出演されている映画を観るとどうしても浮かぶ。私はもっと後の世代だけれど、子供の頃から栗原小巻さんが好きだったので、もう少し早く生まれていたなら「コマキスト」と呼ばれていただろうか。宮城先生は最後は目が見えなくなってしまう。爆撃の連続の毎日で気がふれてしまう少女たち。負傷して壕から脱出できず死に至ってしまったり、解放後も米軍に引き渡されることを拒み手榴弾で自らの命を絶ってしまった少女たち。「ひめゆりの少女たち」のことを知って良かった。もっと学びたいとも想う☆ ●“ひめゆり”の由来● 沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校には、それぞれ校友会誌があり、一高女は「乙姫」、師範は「白百合」と名づけられていました。両校が併置された際、校友会誌もひとつになり、両方の名前を合わせて「姫百合」と名づけられました。ひらがなで「ひめゆり」と使うようになったのは戦後です。「ひめゆり平和祈念資料館」より。 ![]() この童画と共に女流歌人の若山喜志子(若山牧水の妻)の歌と解説が載っている。美しいお話で心洗われるもの。朝早くに門を開けにゆくと少女が駆け足で牛乳配達している姿に出会う。あまりの可愛らしさに言葉をかけその理由を聞いてみると、この少女のお父さんが出征したのでお兄さんとふたりでお母さんを助け、家業の牛乳配りをしていると。そして、その健気さにすっかり感心してしまい翌日から朝夕一本ずつ配達を頼み、幾分かでもそのお家の人々を助けてあげることにしたのだという内容が記されている。1938年とあるので日中戦争の頃のこと。戦地へ向かった人々と残された家族。そして、失われてゆく人の心のあたたかさを想う♪
★時折思い出す。今はもうご結婚され母親になっているだろう6年間親交のあったお友達のことを。中学と高校の6年間が一緒だった。中学になると違う小学校からもやって来る、そんな中で部活も一緒で仲良くなっていた。けれど、同じクラスになったのは最後の一年、高校三年生の時だけ。同い年なのにどこか大人っぽいクール・ビューティーな少女だった。最終的には同じくらいの身長になったけれど、私は身長が伸びるのが遅くて中学の時は前の方に居た。彼女は後ろの方。もっともお話するのはやはり部活の時間。私達は陸上部で彼女は主に跳躍の専門。私は短距離とハードル。
そうそう!「長距離ランナーの孤独」ではないけれど、陸上部って孤独だといつも感じていた。自己の記録が更新されている期間は短いけれど、その儚き時間を私は太陽光線が苦手なのに夏休みも練習していた。楽しかったのだ。真夏の想い出はそばかすが一気に顔中に増えたこと。みんなのように綺麗に黒くなれず、いつも真っ赤な顔で鼻先の皮膚が醜いと鏡を見ては悲しくなっていたこと。髪も日焼でさらに赤茶色になっていた。でも、日曜日は大会があればみんなで自転車で遠出した。帰りには美味しいコロッケ屋さんに行ったり。その女の子とは400メートル・リレーが同じだった。陸上で唯一のチーム競技。チームでダントツに早い凄い人がいたので彼女が第四走者と決まっていた。その他の三人はその都度記録(タイム)により決定された。私は何故かカーブ(第一走者か第三走者)のタイムが良かったみたいでいつの間にか第一走者と決まっていた。試合の前日はドキドキしてほとんど不眠だった。責任重大なのだ、第一走者って。フライングするともうアウトだし、最後の走者までに少しでもタイムを良くしてバトンを渡してゆく。バトンの受け渡しにタイムのロスが生じるのでその練習も幾度もした。私の個人の競技のどれよりもそのリレーが終るまで緊張していた。一位でメダルを頂いた時の感覚があまり思い出せない。中学の時に大会新記録を4人で出したことがある(すぐに更新されたけれど)。その翌日の朝礼で校長先生が私達の名を挙げ誉めてくださったのだけれど、朝礼は長いとすぐに貧血になり保健室へ向かう私。その顔ぶれは毎回大体同じ。私は運動部の体質ではなかったらしい。 その「スーパー・リッチでクール・ビューティーな少女」は第三走者を担うことが多かった。最後の年までは同じクラスでないので彼女がお昼ご飯をどうしているのか知らなかったのだけれど、試合にゆくとパンなどを一緒に買いにゆくことがあり、その時に驚いたのは、中学生の頃からお財布にお札がいっぱい!私はというと必要最低限のその日のお小遣いを貰っていただけなのでビックリ。学年を上る度に仲良くなっていてようやく高校三年生で同じクラスは嬉しかった。お誕生日とかクリスマスくらいしかケーキを食べることは普通なかったけれど、そのお友達はしょっちゅう食べていると云う。高校にもなれば学食を利用する人が多く、お昼休みに教室に残っているメンバーは決まっていた。ガランとした教室で、私は持参したラジカセと編集したカセットテープをそのメンバーに聴いてもらうことが楽しかった。どんな反応を頂けるかなって。その中にはブライアン・イーノやエルヴィス・コステロを知っている人が居て意気投合したり。彼女は演劇部。私は16歳で腎臓が悪化しドクターストップを受ける。診断書を先生に提出しみんなとお別れした時のことも想い出す。お陰で自由な時間ができた私は学校の図書館を利用することが多くなった。読書をする時間が退部届けと引き換えに与えられたみたい。校舎から見下ろすと中学から一緒に過ごしてきた彼女たちの姿がある。寂しかったな...。でも、その女の子とはクラスが同じなので部活が終ってからも一緒に過ごす約束が多くなった。彼女と私は校区の端と端というくらいにお家が離れていた。彼女達の通学路の近くに私のお家があったもので、制服のまま彼女たちが集まることになって行った。 私は両親によそのお家に遊びに行き門限を過ぎて帰宅すると凄く叱られた(私の10代の門限は夕方の6時だった)。なのに、彼女たちが家に居てくれる分には問題なくて、時には晩ご飯を一緒に過ごすこともあった。なんだか変なのだけれど、お友達と少しでも一緒にいるために、彼女たちのすっかり寄り道の場所に私の家(部屋)が役立っていたようだ。私は早々と私服に着替えて彼女たちがやって来るのを待っていた。そのメンバーに洋楽を聴く人は居なかったので、彼女たちが好きそうな日本の音楽(当時はニューミュージックと呼ばれていた)をエアチェックした専用のテープを用意して。偶に洋楽をかけたりしても反応はなく、ほとんどお喋りしていて耳を傾ける暇もない。「いつもこんな音楽聴いてるの?」とか「普段はこんな格好してるんだ!」とからかわれた。「ロックを聴いていると肌が荒れるんだよ」とか...懐かしい♪ そして、いつもお財布にお金をいっぱい持っているスーパー・リッチなお友達。彼女はいつの間にか、学食ではなく購買部でパンとジュースを買ってガランとしたお昼休みの教室メンバーに加わるようになった。そんな時に初めて知ったこと、その時のことが忘れられない。ポツリと「毎日お弁当で羨ましい...」って、そのクール・ビューティーな少女が云った。ドキっとした。その寂しげな表情と同時に「そうか!」という想い。私は毎日お弁当が嫌でみんなと偶には学食に行きたかった。母に云うと週に一度だけ500円を学食費に頂けることになり、姑息にそのお釣りを貯め翌月のレコード代に充てていた。私のお弁当と彼女のパンを半分ずつ交換することもあった。そうすることを喜んでくれるので。私の家で最も遅くまで居ても良かったのはそのお友達。帰っても外食ばかりだと母の煮物を美味しいと食べてくれていた。母はそのお友達のお母さんと電話でお話していたこともあったので、実は私より現状を知っていたのだろう。一度だけ彼女のお家に行ったことがあるけれど、自転車でも遠くて少ししか居られなかった。お兄さんとお母さんと三人暮らしだと知った。お兄さんは働きながら大学に通っていると。お母さんはお仕事が大変で、お弁当どころか、一緒にご飯を食べることも滅多にないと。なので、小さい頃から一ヶ月の食費としてお金を貰っていたのだった。私はその時、ずっとお金持ちのお嬢さんだという勝手な彼女への浅はかな思い込みが瞬間に散って行くようだった。そして、彼女の表情にいつも何か翳りを感じていた(それを美しいと想っていた)、その訳も理解できた気がした。あまり他のお友達は彼女の翳りに関心がなかったけれど、私はどうしていつでもケーキを食べることが出来るのかを知った。でも、そのケーキもいつも独りぼっちで食べていたのだと。よく連れ立って学校内を歩くようになったのに、進路は異なり卒業しなくてはならない日がやって来た。桜の咲く頃はこうした淋しい想い出ばかり。 私が陸上部だったと云うと驚かれることが多い。今から想うと自分でも信じられない位に練習していた。校庭はいっぱいにみんなで使っていた。野球部のボールが怖くてビクビクしながらキャッチもできず何度か頭に当たって痛かった。ソフトボール部、サッカー部、フェンス越しにテニス部、その奥にバレーボール部、バスケットボール部。反対側の隅に卓球部、演劇部の人たちも発声練習しながら時々ランニングしていた。英語部の人たちは窓からいつも手を振ってくれた。私は顧問の先生によく注意を受けていた。「何のためにスパイクを履いているんだ!?」って。先輩の真後ろに付いて走らされたことがある。スパイクで土を蹴りながら走る正しい姿なのだ。私の真後ろにいてもまったく土がかからないと云われた。自分では分からず結局上手く蹴りながら走ることが出来ずに終ってしまった。手を振ってくれる英語部の友人たちは私のそんなスーっと走る姿が好きだとフォローしてくれたけれど、実際に先生の指摘は正しいのだった。上手く活用していたならもう少しタイムは良くなっていたのだから。県大会のハードルで練習不足故に転倒してしまった。凄く叱られた。準決勝まではいける予定だったのに予選でのこと。そして、その上手く活用できないスパイクの針で足は傷だらけ。かなりサイテイで先生も叱った後は呆れて笑うしかなかった。私は呆然としていた...でも、今では大切な想い出たち♪ ※(追記) 腎臓を十代で患う羽目になったのは自業自得のことだと随分後に身に沁みた。大事な臓器であるのに、私はバカだとしか云いようのないことに、中学高校という時期に校内のおトイレを利用したことがほとんどない。校舎内の云えば秘密の場所。内緒話したり教室では云えない悩み話を聞いたり。そんな為に一緒に利用していた。あるいは、鏡を見て前髪や制服を整えたりする場所だった。また、長年、駅や公共の場のおトイレも抵抗があった。その為に極力水分を摂らないことが普通となっていた。その上、陸上部なので水分はバテることになるのでお砂糖漬けのレモンをお水の代わりに少しずつ食べていた。そんな愚かな時期を情けなく回顧できる歳になっている。そうして、あの頃の私を懐かしい私であるとも。でも、私に違いない。今も完璧に克服できたかは自信はないけれど、醜いと想っていたことが実は美しいことであったり、尊いことであると心から想えるようになった。あるお友達が「偶には太陽に当たるのも大切よ」って仰ってくださった。もう何年か前だけれど、今ようやくそのお言葉の有り難さを感じているところ。人間の日常には滑稽なことも多い。それらの悲喜交々はすべて美しい生きている姿なのだとも。最近、ノスタルジーに浸ることがさらに多くなったのは歳のせいだろう。本当に100歳まで生きられるのだろうか...その為の学びの日々なのだとポジティヴ・シンキングと水分摂取は欠かせない☆
★フランスの文豪アナトール・フランス(Anatole France:1844年~1924年)が1886年にパリのアシェット社から刊行された、『少年少女』という19篇の短いお話からなるもの。初刊の題名は『我々の子供たち』と題された上下巻からのものだったそうだ。その下巻の題名が『少年少女』で日本語訳の折にこの題となったとあとがきに記されている。私は馴染みの深い三好達治訳で手にしたのだけれど、もう大人になっていた。そして、この小さなご本を10数年ぶりに読み返し感動している。もう毎日がこんな具合で過ぎてゆく。ちょっとばかり今、バランスの均衡が不安定でまた風邪気味。何故、私はすぐに風邪をひいてしまうのだろうか。きっと、精神力や気力、また自己管理能力が欠けているからだろうと想う。考えなくてもよい「ここではない、どこか」へ想いを馳せることが多く、でも「あなたの場所はここよ!」と現実の大きな壁が現前する。そんなまだまだ人生という荒波の真っ只中の私。それでも、私なりに少しは乗り越えて(あるいは伴って)歳だけ重ねているとも想うのだけれど。
読みやすく品性のある文体。子供の頃にも読んでみたかったな。今の私の心に響く数々の少年少女たちの日常風景。少女カトリーヌと弟ジャンを中心に少年少女たちが主人公。中にはカトリーヌのお友達でもあるお人形も出てくるし、野の草花で花冠や花環を作って遊んだりしている。このお話の中の子供たちにすんなり私の子供時代の風景が重なる。過ぎ去りし幼き日々なのにありありと。輝くようにそれらの風景が浮かぶ。ヴィム・ヴェンダース映画に夢を映像化するようなお話のものがあったけれど、そのような機械があれば素敵かなあ...とか。私の脳内あるいは心象風景として輝く場面たち。たかが、想い出と記憶による不思議な風景でもある。 ![]()
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