IE9ピン留め
『友だちのうちはどこ?』 監督:アッバス・キアロスタミ ★ 少年の瞳の美しさ!大好きなイラン映画です♪
★私はイラン映画が好きなのですが、アッバス・キアロスタミ監督は中でもダントツに好きです。素人の子供たちを自然な感じで撮っているようで観ていて親近感を覚えるのです。この『友だちのうちはどこ?』はジグザグ道三部作の第一弾となるもので、もう、とってもとっても大好きな映画。主役のモハマッド少年がとにかく健気で可愛い!イランの人のお名前って覚えにくく、特にこの二人の少年の名は似ているので注意を払って。
その二人の通う小学校の先生はとても厳しくてアハマッド君に"明日ノートに宿題をしてこなければ退学だ!"と注意する。泣きじゃくるアハマッド君も可愛いけれど、モハマッド君の心配そうなその時の表情とか、もう胸が締め付けられるくらいに可愛いのです。お家に帰ると兄弟達の世話やお母さんのお手伝い、そして宿題...ととってもハード。机もなく背を曲げて床で勉強する。今の日本の状況とは全く違う。

お家のお手伝いを終え勉強しようとふと見ると、アハマッド君のノートが鞄に入ってる。返さなければ彼は宿題が出来ないので退学にされてしまう。そこで思い切って、隣町のアハマッド君のお家を探しに行く決意をする。でも、なかなか辿り着けない。道中に登場する大人たち、最後に親切な老人に案内してもらうけれど間違っていたり、もう日が暮れ真っ暗。諦めて我が家に帰ると両親に叱られ晩ご飯も喉に通らない。そして、アハマッド君の宿題もしてあげることにする。何て優しいモハマッド君!翌日、学校に登校するがアハマッド君は遅れてやって来る。そして、さり気なく、"やってあるから大丈夫。"とノートを渡す。そして、先生は"よくできました。"と仰る。ああ、良かった!と私は胸を撫で下ろす。監督は「子供の為の映画ではない。子供についての映画です」と語っていた。よく知らないイランの子供たちの様子を少し知ることができる。当たり前ながら、子供たちの純粋さ、子供たちでも子供たちの心で考えて行動するのである、ということを再認識させられる。でもイランの子供たちの境遇は苛酷。両親や先生、目上の人の言う事は絶対!という一昔前の日本もそうだったのだろうけれど、厳しい社会である。モハマッド少年の心が台詞少なに動きや表情で伝わってくる。なので、もうハラハラしたり、イジイジしたりしながら彼の行動を見守るしかないのだけれど、"急がなきゃ!"とか"ちゃんと聞いてあげてください"等と心の中で呟いていた。でも、お友達が退学にならなくて良かった。

この『友だちのうちはどこ?』の感動を一行で云うと、「このモハマッド少年の瞳の美しさが語ってるいるものに感動していた」と、云える程に綺麗な瞳の少年が主人公の、大好きなイラン映画です☆

友だちのうちはどこ?/KHANE-YE DOUST KODJAST?
1987年・イラン映画
監督・脚本:アッバス・キアロスタミ
製作:アリ・レザ・ザリン 撮影:ホマユン・パイヴァール
出演:ババク・アハマッドプール、アハマッド・アハマッドプール、ゴダバクシュ・デファイエ、イラン・オタリ
※5年程前に書いたものですが、その映画ブログは閉じましたもので、場面等を追記し再度掲載させて頂きました。

# by Claranomori | 2012-01-31 00:01 | 銀幕の美少年・少年映画 | Trackback | Comments(1)
『プロミス』 パレスチナとイスラエル7人の少年少女たち ★ 少女サナベルの瞳が忘れられない
★今日も怖い夢で目が覚めた。明日で新年1月も終わり2月となり3月を迎える。あの3月11日から間もなく1年。戦後生まれの者にとって忘れられない大震災が日本で起こった。その上に原発事故で今も復興ままならぬ状態が続く。この日本の大災害がなければ3月20日未明(日本時間)に始まったリビア戦争が新聞のトップを飾る出来事だっただろう。英仏米による多国籍軍とリビア、カダフィー政権との戦い。戦争は世界中でいつも起こって来たし起こり続けている。世界の平和を願う人々の気持ちがいくら大きくとも。ガンジー思想を理想と心に掲げてもそんな日は来ないだろう。中東諸国の原油生産量が多い土地柄は幸か不幸か。今、最も大きな中東問題はイランがホルムズ海峡を封鎖すると声明したことだろう。日本にとっても大きなこと。何年前だったか中東情勢をテレビで観た折の小さな体には大きすぎる銃を持った少年兵たちの姿が脳裏に焼き付いている。勇んで気を吐く少年も居れば、怖がっていた少年も居た。それでも彼らは祖国のために戦場に向かわねばならない。運命という逃れられないものがいつも誰にもある。戦争に悪も善もないのだろう。今回のイランに対しては日本は立場的に欧米に歩調を合わせるしかないのだろう。言語も宗教も肌の色も違うことは長い歴史の中で今も紛争の要因だとも想う。どちら側か一方の視点だけで正義も悪もあったものでなはい。私が「戦争による悲劇」と想う折は、その国々の子供たち、少年少女たちを直ぐに想う。それがどうしてか、私の中のどこから其処に向かうのかは自分でも分からないけれど。

2001年のアメリカ製作の『プロミス』というドキュメンタリー映画を想い出す。主な舞台となる場所はパレスチナで、パレスチナ・イスラエル問題を現地の子供たちの姿と共に観る者に問題提起した映画だと想います。公開前に東京の友人にこの映画のことを教えて頂いた。監督はジャスティン・シャピロ、B・Z・ゴールドバーグ、カルロス・ボラドの三人でボストン生まれのアメリカ人ながら少年時代をイスラエルで過ごしたB・Z・ゴールドバーグ監督が提案者。パレスチナとイスラエルの長い対立の中で、今も昔も戦争と隣り合わせの日常を過ごす子供たち。家族や友の命を奪われても、それでも彼らはその地で生きてゆかねばならない。B・Z・ゴールドバーグは、そんな紛争と和平の狭間にいる子供たちの声が聞きたくなったという。1997年から2000年の和平交渉の時期に撮られた映画で、パレスチナとイスラエルの子供たち7人(8歳から12歳の少年少女たち)を取材したもの。お互いほんの20分足らずの場所に住んでいるのに、彼らはお互いの事を知らない。ユダヤ人の双子の少年ヤルコとダニエルはパレスチナ人の少年ファラジの写真をB・Z・ゴールドバーグ監督に見せてもらい、彼に会いたいと想う。反対する子供もいるけれど、彼らは初めてファラジが中心となり会合を開く事になる。難民キャンプを訪れ、食卓を囲みサッカーをして遊ぶうち距離は縮まってゆくが、歩み寄りたい彼らの願いは叶わず、友情の約束は束の間の出来事として、その後もお互いの現実を生きてゆく。その遮断されたもの、壁は途轍もなく厚く強固である。7人の内、唯一の女の子サナベルの愛らしい姿と瞳がどうしても忘れられない。

●7人の子供たち●
ファラジ
デヘイシャの難民キャンプに住む少年。イスラエル兵に殺された友達の仇をとりたいと想っている。
「いつか必ずこの土地を取り返してやる。いつか次の世代がパレスチナを開放し、故郷を取り戻してくれる」
ヤルコとダニエル
西エルサレムに住む双子の兄弟。関心事は陸軍、宗教、バレーボール。祖父はドイツのユダヤ人強制収容所の体験者である。
「イスラエルでは自分で自分を守らなければならないんだ。仲良く暮らせばよいのに」ヤルコ
「戦争やテロで人々が死んだと聞くたびに殺し合ってバカみたいだと感じる」ダニエル
サナベル
デヘイシャの難民キャンプに住む少女。ジャーナリストの父親は刑務所に2年も抑留されている。
「エルサレムはキャンプから10分なのに私はまだ一度も行ったことがないのよ。検問所のせいでね」
マハムード
東エルサレムに住み、ハマス(イスラム抵抗運動)を支持している少年。父親は旧市街のイスラム教徒地区で、三代に渡り香辛料とコーヒーを売るお店を経営している。
「ここは絶対アラブ人の土地さ。何をどう言おうと変わらない。ここで生まれ育ったのは僕らだ」
シュロモ
ユダヤ教徒地区に住み、1日12時間トーラー(モーセ五書)を勉強している。超正統派ユダヤ教徒なので兵役義務は免除され、国から給付を受け神学校に席を置いている少年。
「彼らの気持ちも分かる。50年前に土地を奪われて心細いんだと思う。でも、アラブ人とは友達になれない」
モイセ
歴史の古いベイト・エル入植地に住む少年。将来はイスラエル軍の最高司令官になり、アラブ人を一人残らずエルサレムから追い出したいと思っている。
「ここはユダヤ人の地だ。アラブ人と仲良くなんかしたら友達に臆病者扱いされちゃうよ」

★資料を基に打ちながら涙が出て止まりません。彼らの中で誰が間違っていて、誰が正しいとか想えないです。もうみんな二十歳を過ぎた頃ですが映像の中でしか知らないけれど、出会えて嬉しいです。

プロミス/PROMISES
2001年・アメリカ映画
監督・製作:ジャスティン・シャピロ、B・Z・ゴールドバーグ
共同監督・編集:カルロス・ボラド
撮影:イアン・バックビンダー、ヨーラム・ミロ
出演:B・Z・ゴールドバーグ
ファラジ、ヤルコ、ダニエル、サナベル、マハムード、シュロモ、モイセ
(実在の少年少女たち)
※赤い丸で囲んだ辺りがホルムズ海峡です。

# by Claranomori | 2012-01-30 21:42 | 銀幕の少女たち・少女映画 | Trackback | Comments(0)
パンダよりも「東京も大事だが東京より国家が大事だ」と云える石原慎太郎都知事のようなお方が必要☆
 「被災地の仙台にパンダを」という動きが去年から報じられていた。暫く聞こえなくなっていたので立ち消えたかなっと思いきや、何を想ってか近藤真彦及びジャニーズが全力で取り組んでいるらしい。中国との友好を望むゆえでしょうが、「子供たち」というキーワードを利用するような感じで、何とも不気味な違和感を抱くのは私だけではないだろう。親米のジャニーさんの方がずっと良かったな。「被災地」とか「子供たち」を想うのなら、其処に政治的とか企業的なるものを匂わさないでほしいです。善意からの発想でしょうが、「パンダ」はチベットのものだと今でも想っている方も多い。中国の「パンダ外交」なるものを想う時、チベットの人々の姿も浮かぶ。

 今年2012年は日中国交正常化40周年あるいは日中友好40周年と昨年から親中の方々は大喜びらしい。パンダに気を取られていて、いつの間にか尖閣諸島が中国のものになっていては大変なこと。私たち一般庶民には到底見えない大きな権力がうごめき合っているのだろう。ああ、グロテスク!いたいけな少年少女たち、それも被災地の子供たちの笑顔と引き換えにパンダに数十億円ものお金が必要だなんて想えない。仙台に中国の領事館建設の計画もあるという。中国は国策として長期計画の基に今年は色々と進めて来るだろう。暢気な民主党政権ではどうしようもない。こんな国難の折のリーダーは、少々荒っぽくても独自の言葉を持ち発言し行動する方が必要だと想うのです。橋下市長の国家的思想はまだ窺えないけれど、懸命に大阪の溜まりに溜まった膿みを出そうとされているのだと想う。また、石原慎太郎都知事を党首とする新党の動きの27日のニュースには歓喜した。石原都知事の定例会見が実は毎週楽しみなのです。暴言と云われる荒っぽい言葉も石原節。ずっと発言に耳を傾けている中で感じられるものは「日本」である。所謂、正論としての国家感が石原慎太郎というお方の言葉の数々の中にはっきり見て取れる。それをマッチョイズムと批判するのはあまりにも短絡的すぎる。また、言葉尻ばかりの揚げ足を取ることはメディアのお好きなことですが、そんなにみんな馬鹿ではない。私の世代は学校教育も報道も偏向がちであった、残念ながら。でも、あれ?と疑問に想い、自分で調べたり考えたりする人々も居る。

東京も大事だが、東京より国家が大事だ by石原慎太郎

 この石原都知事の言葉を聞き涙が出ました。以前、"私は年を取り過ぎた"、とも仰っていたけれど、国家のために毅然と立ち向かう姿は凛々しい。こんな事を堂々と今云える政治家が何人いるだろう!

石原慎太郎を総理大臣にでもしてみたいね by立川談志

 故、立川談志師匠の言葉。不思議なことってある。立川談志師匠の落語をまだ暑い夏の終わりに聞いていたのです。この映画を愛した破天荒な天才落語家が子供の頃から好きだった。何故かな。闘っている人に想えたのかな。己の意志と言葉を以て行動する人が好きなので、どうも敵も多いお方のファンになる傾向がある。好きな人が好きでいい。アンチ意識よりも応援したいと私の心が躍るお方を応援する。ごく単純なこと。

 今年の4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効した日本の主権回復記念日であり、今年は主権回復60周年の年。主権とは、と考えること、学校で深く教えて頂けなかった事柄の多くに、国家を考える大切なものがあった。国家とは主権、領土、国民であることは学校のテストにも出たけれどよく分からずに生きて来た。けれど、今の私は私なりに先人方の言葉を右派左派といった安易な先入観無しに心を傾け、私が想う「日本」という「国家」を考えたいのです。私であるが為にも大切だと感じています。「私」などはちっぽけなもので、いつか死が訪れた後も「日本」は在る。そう祈るためにも。そこで、今再び三島由紀夫の残された言葉が付き纏う。大義としての死の意味が心底理解できるにはまだ時間が必要な私ですが、この知性と気概はやはり美しい!と心に旋律をおぼえるのです。


●三島由紀夫の言葉(発言)と演説☆

# by claranomori | 2012-01-29 14:25 | 想い・鑑賞・読書メモ | Trackback | Comments(0)
『つもった雪』 詩:金子みすゞ ★ 『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』 より

★金子みすゞ(1903年:明治36年4月11日~1930年:昭和5年3月10日)は山口県出身の、大正末期から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人。殊に西條八十に絶賛された女性詩人で、金子みすゞ自身も西條八十のファンタスティックな童謡に心おどらされたお方。金子みすゞが二十歳の折、初めて書いた童謡を雑誌『童話』に投稿。その「お魚」と「打出の小づち」が選ばれ『童話』9月号に掲載される。選者の西條八十は金子みすゞの童謡を「この感じはちょうどあのイギリスの詩人、クリスティナ・ロゼッティと同じだ」と褒め、「女性のすぐれた童謡詩人のいない今日、この調子で大いに努力してください」と励まさたれという。優しくて、それでいて人の心の奥深くまで見つめたみすゞの童謡は、多くの詩人や文学少年・少女の心をとらえた。

この童謡集のタイトルである「わたしと小鳥とすずと」の「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい」のあたたかな祈りのような響きが多くの人の心に静かに届くのだと想います。小さきもの、力の弱いもの、無名なもの、無用なもの、存在するすべてのものには何かしら意味があるもの。26歳での自死はあまりにも惜しまれるお方ですが、今でも読み続けられていること、出会えたことに感謝しています。

寒い白い冬ですね。今年は積雪が多いそうです。雪は綺麗ですが雪国の生活、ましてやあの大きな東日本大震災後、復旧ままならぬ東北の雪景色を映すニュースを拝見すると、何故か涙が出てきます。真っ白で綺麗な冷たい雪と共に冬を過ごす人々に、以前のような暮らしが一刻も早く訪れますように☆今日はこのやさしき詩『つもった雪』と共に♪

つもった雪

上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。

下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。

中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。

『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』 より

# by claranomori | 2012-01-28 21:21 | 愛の花束・日本の抒情 | Trackback | Comments(0)
『書物』 詩:西條八十(西条八十) と 『歌というものは』 ★ 「世界少年少女詩集 世界童謡集」 より
歌というものは、人間が幼いときから年寄りになるまでいつもその人の人生につきまとう、まるで影法師のようなものです。わたしたちは生まれると間もなく母親の口から、あのやさしい子守り歌を聞いて育ちます。それから、幼稚園や小学校へ行けば、あのかわいい童謡、すこし大きくなれば校歌や会歌、それからレコードなどから覚える民謡や流行歌やシャンソン、ジャズ、山には木こりの歌、海には漁師の歌、軍隊には軍歌、もっと広くは、国民ぜんぶが歌う国歌もあります。こんな風に、歌は人間が生まれて成長していく間、絶えずそのくちびるに咲く花のようなもので、人間はそれらの歌をうたっている間に、知らず知らずその歌の意味や響きから大きな影響を受けます。だから歌は空気や水と同様、わたしたちの生活にとって、もっとも大切なもののひとつといえましょう。

この書物は日本をはじめ世界各国の子どもたちが、どんな歌をうたっているかということを考え、その代表的なものの中から、なるべく健全で芸術的なかおりの高いものを選び集めたものです。ふしのついているものはそのまま歌い、ついていないものは、読んでよく意味をあじわってください、きっとみなさんのためになると信じています。

参照引用:西条八十 「世界少年少女詩集 世界童謡集」 まえがき より

★西條八十によるこの「歌というものは」という「世界少年少女詩集 世界童謡集」 のまえがきに託されたお気持ちを想うことが今ならできます。「歌」とは「詩」でもあり、やはり言葉と響きなのだと想います。なので、私は詩や歌が好きです。小説なども詩の響きのあるものが好きです。

会話の中でも、人それぞれの話し方、口調があって愉しいです。関西人ゆえに、標準語でお話しているつもりでもどこかイントネーションが違うこと、その面白さを東京に住んでいた折に指摘されたことも想い出します。関西と云えども、大阪と兵庫では少し違う、京都も違う...そんな地域の言葉の妙はやはり尊い文化だと想います。友人には関西圏以外の方も多く、ちょっとした折に見え隠れする生まれ育った地域の言葉や訛りのようなものに出合うと嬉しくなります。子供の頃から在日の友人も居ます。日本語しか話せない方も居れば、母国語と両方話せる方も。私は髪が赤いことが子供の頃はコンプレックスでした。そのことでからかわれる事もありましたが、みんな何かしらコンプレックスを持っていると感じるようになり、時代の流れも幸いし気にならないようになりました。今から想うと、酷いあだ名で呼ばれていた女子や男子がいました。それでも、泣いたり笑ったり、時に喧嘩にもなったのでしょうが、また一緒に遊んでいた、そんな風景が蘇ります。懐かしく、少し悲しい想い出もありますが。

会話とは相手の意見を聞き、私はどう想うかと問われることもあれば、まるでそっくり似ていて歓喜することもある、相互の言葉を読み取る大切な習慣だと想えます。ネットの時代となり、電話も携帯、お手紙よりもメールとなって行きましたが、それでもその短い言葉のやり取りで勇気や喜びを得られることも多いです。この私のブログに訪れてくださるお方から頂くコメントやメールなどに、どんなに励まされて来たことでしょう!世の中には偏狭な方も居るもので、意見が違うとある一言だけを批判するという光景もニュース等でもよく見かけます。その前後の言葉や言葉の奥にある心も読めるともっと有意義に想えます。いつの間にか、禁止用語となった日本語も多いです。言葉によって傷つくこともあります。けれど、表現の仕方が違うだけで、根底は似ていることを云っていることも多々あるのではないかと想います。一方的に言い放つお方には到底敵いませんが、それでも後から自分の言葉で気持ちを伝えること、それを教えてくださったのは社会という荒風、荒波の中でです。泣き虫の私はきっと、人より多く泣いて過ごしているでしょう。でも、涙から学ぶこと、救われることも多いです。「歌」の中でも、エレジーやララバイ、バラードやバラッドという感傷的な美しい哀調のメロディーに触れ、涙した回数もまた多いです。偏狭にならず寛容に、これからも美しい「歌」や「詩」に触れて生きてゆきたいです。

やはり人間は言葉ありきです。読み書き以前から語る言葉を持っていた。ケルト人は文字を持たなかったけれど、多くのバラッドや伝承物語が今も受け継がれています。ショーペンハウエルの読書にたいする考えは、決して読書の否定ではない、と想えるようになるには読後暫くの時間が必要でした。書かれたものを読む作業の中で、自分はどう想うかとも考えられなければ読書は危険を伴うということだと勝手に解釈しています。西條八十の『書物』という大好きな詩がありますので今日はその詩を胸に♪

書物

月の夜は
大きな書物、
ひらきゆく
ましろきページ。

人、車、
橋のやなぎは
美しくならべる活字。

木がくれの
夜の小鳥は、
ちりぼいて
黒きふり仮名。

しらじらと
ひとりし繰れば、
なつかしく、うれしく、
悲し。

月の夜は
やさしき詩集、
ゆめのみをかたれる詩集。

詩:西條八十

# by claranomori | 2012-01-26 00:00 | 愛の花束・日本の抒情 | Trackback | Comments(4)
最近のニュースから想うこと ★ ふと想うのは、私は学校で「君が代」を習った事がないということです。
 最近のニュースで考えさせられるもの、深刻な問題は多すぎ、私のような者には到底どうしようもないことながら、自分なりに考えるということは大切だと想う。とても奇妙に想った最近のニュースの一つに、橋下市長による、日本の国歌である「君が代」の斉唱を、教育基本条例として打ち出されたこと。当たり前のことを条例化しなけらばならない現実に驚くのです。入学式や卒業式にご自分の思想によるものからか起立されない、歌われないという教員が存在することは裁判にもなった。私はこれまで、どの先生に対しても尊敬の念を抱いて生きて来たつもりなので、やはり、教育の場に政治的思想を持ち込む、そのような態度は残念でなりません。けれど、ふと想うのは、私は学校で「君が代」を習った事がないということです。兵庫県で生まれ育ちました。高校までは公立高校でした。地域によって、学校によって異なると想いますが、先日、同世代の友人に尋ねてみると、やはり学校では習っていないと。少し年上の店主に尋ねてみても、学校では習ってないと。けれど、私は「君が代」を知っているし歌えるのは何故だろう。生徒手帳の後ろの方に校歌や国歌が記載されていた記憶はあるのですが、10代の頃の学校で国歌斉唱した記憶がない。学校の講堂に国旗掲揚の記憶もない。不思議なことです。想い出すのは、家の玄関先に国旗掲揚していた古い記憶、オリンピック等の代表選手がメダル受賞された折の風景です。あとは両親との会話の中で聞くことのできた、天皇陛下や日本のこと、私の生まれる前の。

 祖父の家(父の実家)に夏休みには1週間程毎年行っていた。優しいおじいちゃんにお会いするのが嬉しかった。広い古いお家の中にはお部屋が多く、屋根裏部屋もあり、そんな中を弟と一緒に好奇心いっぱいで探検している気分でもあった。我が家のよりずっとずっと大きくて立派なお仏壇のあるお部屋の壁に、父のお兄さんのお写真もある。その方はお若くして戦死されたのだと知る。いつだったか、幼い素朴な疑問として、父に尋ねたことがある。「お兄さんが戦争で死んでしまってお父さんは悲しかったでしょ?」と。父は「一番仲のいい兄さんだったな」と懐かしそうに云った。「戦争なんてなければ死ななくてすんだのに」という私の想いは伝わっていたと想うけれど、父の言葉から戦争を批判するような言葉は一度も聞いたことはない。母も複雑な気持ちを抱きながらも。身内の戦死も国家のために死んでいった英霊方すべてに、まるで祈り続けているかのような気がした。私にはそうした両親の多くを語らない、そして一切敗戦したあの戦争を否定するような言葉が聞けないことがずっと不思議でならなかった。

 けれど、今の私には父や母の想いが少しずつ分かる気がするのです。私の時代には「道徳」という時間があった。母からは「修身」という教育があったことを教えて頂いた。そして、何十年も経ち、甥たちの時間割には「道徳」がないことを知る。下の甥に至っては、運動会のかけっこでみんなで一緒にゴールする。騎馬戦も組体操もないという。上の甥は小学校の頃、かけっこでビリになった。伯母馬鹿ゆえにドキドキしながら見に行っていた私は、それでも最後まで頑張った甥が愛おしくて「頑張ったね」と伝えると、彼は半べそだったけれど、「来年は頑張る」と云った。そんな甥が今でも大好きだし親友なのだ。下の甥も勿論愛おしいけれど、辛抱することが少し欠けてると成長の中で感じて来た。偶に会うことがあれば、出来るだけ色んなお話を聞くようにしていて、私の意見も伝えるようにしている。時代が違うとか世代的な差異もあるだろうけれど、変わらないものは昔からあると想う。私もあまり人との競争心の希薄な子供時代から今に至っているけれど、自分なりに出来るかぎり頑張ってみようとはしてきたつもり。上手く行かないのも人生と云うもの。挫けたりしながらも、心の核なるものはそれでも形成されてゆく。今さらどうしようもない。

 何故、国歌や国旗、または天皇という言葉を日常会話でもできないような時代になって行ったのだろう。どの国でも愛国心を抱いていて当然のことなのに、右派とか右翼とかイメージされ敬遠されがち。逆に私は子供の頃から岩波書籍に親しんで生きて来た。殊に文学に於ける作品群の豊富さ、挿絵好きになっていったこともとても感謝している。けれど、左翼の出版社だという声を耳にするようになった。思春期以降はフランス文学に傾倒して行く中、新潮社の作品たちにもとてもお世話になった。そうした、私個人の子供時代から多感な思春期に出合った書物たちにはやはり愛着がある。当時も今も、買う折に右だ左だという想いは微塵もなく手に取っていたのだ。多くの感動を古典文学から学び続けている。安易なイメージやレッテルで会話も出来ないような人も偶にいるけれど、そんなものかと想うだけ。僅かながらも私の日々の疑問や想いを共有してくださる方が居る。それだけでいい。私もいい加減よい歳である。国家について思考すること、天皇陛下が居られてこその日本であることの尊さに感謝しています。天皇皇后両陛下のお言葉は、昨日の国会での首相や大臣方の読み物とはやはり言葉の本質が異なると痛感。大和言葉、言霊という不思議な日本語からの学びはやはり深く重いことも再三痛感しては涙することも多い。

 私個人としてはグローバル化が決して良いとばかり想えない。破壊と再構築という言葉は聞こえは良いが、今の東北の方々の荒廃してしまった想い出のいっぱい詰まった町は、再構築というよりも一日も早い復旧をと願います。それもままならぬ状況なのに、増税とかTPPとかまったく訳が分かりません。メディアの情報操作も深刻化。色々な意見を聞いたり読んだりして、自分はどう想うか考えることさえ機会を失う危険がいっぱい。なんだか本当に怖い状況に陥っていると危機感すらある。中国は長い歴史のある国で優れた文化も多い。けれど、国策としての反日運動、反日プロパガンダも着々と進めている。先日、とてもショックなニュースを知った。映像が美しい中国の優れた映画監督であるチャン・イーモウ、その新作『ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(金陵十三釵)』のこと。南京大虐殺という名の下に日本兵が醜く残虐に描かれているという。アメリカ版での予告編で観たかぎりながら、とても悲しかった。それも主演はクリスチャン・ベイルを起用!そのニュース記事ではアメリカの俳優と紹介されていたけれど、クリスチャン・ベイルはイギリスの子役時代から今も国際的に活躍している素晴らしい俳優です。クリスチャン・ベイルが好きなのでショックはさらに大きかった。

 もっとみんなで調べたり、語り合うことはできないのだろうか。一方的な偏った思想から少し寛容を以て。私も私なりに調べるようになった。大きな捏造という人間の手によって歴史を書き換えられることの恐怖、事実がどうだったというよりも時代背景や相互の立場での視点、ましてや戦争と云う逃れられない状況下での国家と運命を共にする人々...。平和を望まない人など信じない。多分、本来は右派も左派も「平和」のために考え行動してきたのだと想う。中庸なるアリストテレスの言葉も忘れてはならないと想う。儒教にもある言葉。バランスを保つことは困難でもあるけれど、そのことを忘れてもならないと私は想うのです。長年愛し続ける「美しきものたち」「美」なるものを追求することは私が死に至る折になんの役にも立たないことかもしれない。けれど、己の志は高く抱き続けたい。その「美」に「言葉」が如何に深くかかわっており、その根底には精神というものも。日本の武士道やヨーロッパの騎士道精神が感じられる作品が好きなのも、崇高なる精神美ゆえなり。

 バブル期にぬくぬく育った、所謂「シラケ世代」と云われる私の世代。同世代にも其々の想いがある、また先輩方やお若き方々、少年少女たちにも其々の想いがある。世代を超えて、繋がるものは先祖を含めて未来の日本を生きる人々と共にある「日本という国」をどう想うかくらい、シラケ世代でも考えることはできる。面倒だと想う方も多いけれど、私にとって大切なことだと、東日本大震災の、あの日以降、日々明確になった。寒い冬を過ごされている家族や故郷さえも失った状態の人々に心から感謝と祈りを続けたいです。

 漠然とした想いを綴ってみました。ある言葉に対して過敏になられるお方はどうか戯言だと軽く読み流してください☆

# by claranomori | 2012-01-25 19:21 | 想い・鑑賞・読書メモ | Trackback | Comments(0)
『雪』 詩:ウォルター・デ・ラ・メア 挿絵:ドロシー・P・ラスロップ 訳:荒俣宏 ★ 『妖精詩集』 より


風も吹かない
日も照らない―
だのに 白雪が
そっと舞いおちる―
小枝も大枝も
広葉も棘も
みんな凍って
ひっそり さみしい。
ささやきながら、寄りそいながら、
空に舞い、舞い、
敷居に石に、
そして屋根にも―どこにでも
雪は 粉の水晶片を積みあげて
どんな木でさえ 山にする。
一日の終りに
一本の冬の日差しが
淡く、かすかに
西空から消えゆくまで。
そして おぼろな月の出るあたり
火の羽根に覆われて、
一羽のこまどりが
さみしい調べを さえずりつくす。

詩:ウォルター・デ・ラ・メア 挿絵:ドロシー・P・ラスロップ 訳:荒俣宏
『妖精詩集』 夢の世界
より

★この『雪』はウォルター・デ・ラ・メアの1922年刊行の『妖精詩集』の中に収められている好きな詩の一つです。挿絵はドロシー・P・ラスロップで、各詩に寄りそうように一緒にあります。ニュースで東北及び首都圏の雪空、雪の中を歩く人々の姿を拝見いたしました。大阪は昨日から今日も雨模様。同じ日本に生きる人々なので、やはり気になります。私が雪掻きのお手伝いが出来るのでもないのですが...。ウォルター・デ・ラ・メア(Walter De La Mare:1873年4月25日~1956年6月22日)はイギリスのケント州チャールトン生まれの作家。幻想文学、詩集、児童文学と多岐に渡る独自の夢幻的世界を美しく綴る作家です。

ウォルター・デ・ラ・メアは幼な心を謳いあげた"幼な心の詩人"と謳われるお方。この『妖精詩集』の訳者である荒俣宏氏のあとがきには、西條八十や佐藤春夫、三好達治もウォルター・デ・ラ・メアを愛したのだとあります。また、江戸川乱歩は、デ・ラ・メアの名言「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」を座右の銘にしていたのだそうです。

デ・ラ・メアの作風をひとことで述べれば、"夢の中に暮らす幼年期の感性"、ともあり、私はそうだからこそ、ウォルター・デ・ラ・メアの詩や物語が好きなのだと想えます。年々実年齢だけは増してゆく中で、どうしても幼き頃の風景たちが私の人生には不可欠のようなのです。夢の世界と現実の世界を往来できる作品に出合うと嬉しいです。

現実を見つめると重く悲劇的な気分に陥ります。殊に東日本大震災以降、否、おそらくあの終戦後(敗戦後と云うより)から日本の心は闇の中に沈むばかりだったのではないかと感じます。けれど、黙して耐えながら曙光を求め願い続けて来たのも日本人ではないだろうか、とも想います。雪の寒さの中ですが、どうか東北の皆様、頑張ってください☆

# by claranomori | 2012-01-21 18:05 | 神話・お伽噺・妖精譚・伝承 | Trackback | Comments(2)
ジョージ・ロムニー:GEORGE ROMNEY ★ 少女の肖像画 ウィロビー嬢 ヴィクトリア嬢 ゴワー一家の子供たち
★ジョージ・ロムニー(George Romney:1734年12月26日~1802年11月15日)は英国の画家で、主に肖像画家として多数作品を残されている。エピソードとして、ジョシュア・レノルズとの長きに渡る確執も有名。生涯ロイヤル・アカデミーの展覧会に出品しなかったのは、総長をジョシュア・レノルズが務めていたゆえに。青年時代に出品した歴史画『ウルフ将軍の死』が受賞することになっていたが、レノルズの情実のため、自分の友人にその賞を授けたことがロムニーの憤慨の種となったという。このような事情から、ジョージ・ロムニーは肖像画家としては在野の首領となり、高い画料をとっていたにもかかわらず、ロムニーのアトリエは依頼者が絶えない状態の人気画家であったそうです。

ジョージ・ロムニーが47歳の折に17歳の少女エマ・ハートと出会う。後のハミルトン夫人ですが、ロムニーはエマ・ハミルトン(ウィリアム・ダグラス・ハミルトン卿の愛人から夫人となる)の美貌にたいそう打ち込み、ハミルトン夫人を題材に、神話や伝説のヒロインを多く描いた時期もある。今日は、やわらかで甘美な佇まいの少女の肖像画を幾つか。どれも大好きな作品です。殊に「ロースン・ゴール一族の子供たち(ゴワー一家)」が最初に知ったロムニー作品でしたので、やはり今も思い入れの強い大好きな絵です。この頃、18世紀の英国画家は、フランスの宮廷、ロココの影響も漂う作品が多いように感じます。
※上から「ウィロビー嬢」、「ヴィクトリア嬢 少女の肖像画」、「ゴワー一家の子供たち(ロースン・ゴール一族の子供たち)」です。

# by claranomori | 2012-01-20 18:23 | 絵画の中の少女・女性たち | Trackback | Comments(2)
『007 カジノ・ロワイヤル』 名優共演ピーター・セラーズ&デヴィッド・ニーヴン 音楽:バート・バカラック
★1967年の英国映画である『007 カジノ・ロワイヤル』。私はこのピーター・セラーズとデヴィッド・ニーヴンの共演するスマートなコメディが好きみたい。このひねくれたイギリスらしいセンスと、この華麗なコンビの雰囲気が好き。気品溢れるデボラ・カーもここでは可笑しな役(ラッパの罰ゲームとか)、まだお若い頃のジャクリーン・ビセットはミス太ももという役柄だし。ジョン・ヒューストンの鬘が飛んだり...随所にクスクス笑える場面がいっぱい。そう云えば、アメリカにも好きなコンビが居る。ジャック・レモンとウォルター・マッソー。こちらもまた誰にも真似できないユニークさ。でも、シリアスな演技も出来る名優方々ばかり。

2時間強のこのハチャメチャっぽい『007 カジノ・ロワイヤル』。オープニングから最後まで流れる音楽はバート・バカラックとハル・デヴィッドとの黄金コンビ!最近のSFXを多用した映画には無いチープな可愛らしさが随所にあり、やはりこんな映画の方が性に合う気がした。知らなかったけれど、この作品は5人もの監督さんが一緒に作った様だ。そして、キャストの何とも豪華な顔ぶれ!

ウディ・アレンはニーヴン扮するジェームズ・ボンド卿の甥のジミー・ボンド。終盤しゃっくりの数の吹き出しとかあの変な動きが好きだ。そう言えば、この映画と『何かいいことないか子猫チャン』はとてもメンバーがだぶっている。ああ、面白い。ジェームズ・ボンド卿が唯一愛した女性はかのマタ・ハリ。その二人を両親に持つ娘の名はマタ・ボンド。こんな役名も馬鹿馬鹿しくて好きだ。役者が揃っているが故にこのギャップが愉しい。

ファッションも鮮やかでさり気ない置物にもクスクス笑えるものがあちらこちら。お腹を抱えて笑う事も無く気楽に観れる。ああ、やはり映画は最良の娯楽である。ピーター・セラーズが着せ替えごっこをしてヒトラーやナポレオンになったり、最後は各国軍入り乱れて(ジェロニモが踊っていたり)訳が分からないけれど可笑しい。でも、あの有名な曲「愛の面影」が流れると何故かジ~ン♪・・・そんな小粋な映画☆

007 カジノ・ロワイヤル/CASINO ROYALE
1967年・イギリス映画 
監督:ジョン・ヒューストン、ケン・ヒューズ、ロバート・パリッシュ、ジョセフ・マクグラス、ヴァル・ゲスト
製作:チャールズ・K・フェルドマン、ジェリー・ブレスラー
原作:イアン・フレミング
脚本:ウォルフ・マンキウィッツ、ジョン・ロウ、マイケル・セイヤーズ
撮影:ジャック・ヒルデヤード
作詞:ハル・デヴィッド 音楽:バート・バカラック
出演:ピーター・セラーズ、デヴィッド・ニーヴン、デボラ・カー、ウィリアム・ホールデン、ウディ・アレン、シャルル・ボワイエ、ジョン・ヒューストン、オーソン・ウェルズ、ウルスラ・アンドレス、ダリア・ラヴィ、ジャクリーン・ビセット、ジャン=ポール・ベルモンド
 
※2005年に書いたものに少し追記いたしました。今後、どんどん好きな映画もこちらで感想等を綴ってゆきたいと想います。

# by claranomori | 2012-01-18 10:19 | キネマの夢・シネマ万華鏡 | Trackback | Comments(0)
『地下鉄のザジ』 作:レイモン・クノー 挿絵:ジャック・カルルマン ★ 対話:マルグリット・デュラス
★好きな映画の原作は出来るだけ読むようにしている。原作と映画共に大好きな作品の一つに『地下鉄のザジ』があります。作者はレイモン・クノー(Raymond Queneau:1903年2月21日~1976年10月25日)で1959年に刊行。翌年1960年にルイ・マル監督の映画化により大ヒットとなり、今も色褪せない愛すべき映画です。80年代に読んだものは今はもうなくなってしまい、手許にあるのは中公文庫版で、翻訳はこれまた大好きな生田耕作。ジャック・カルルマンの挿絵も愉快です。ずっと以前に映画『地下鉄のザジ』のことを書いたのですが、今日はマルグリット・デュラスとの対話に興味深いお話があるのでそのことを。

アナイス・ニンのことに触れながらレイモン・クノーが浮かびました。まったく作風は異なり、私はレイモン・クノーの方が作品は好きですが、お金を稼がなければ生活できない貧窮の中、次から次へと書いたアナイス・ニン。レイモン・クノーはじっくり時間をかけて書き上げる。この『地下鉄のザジ』の完成には6年を費やしている。それ以前の名著『文体練習』(1947年)も5年かけて完成。レイモン・クノーもある意味総合芸術家のようなお方であるけれど、「言葉」への拘り、執着は当時のシュルレアリスムやヌーヴォー・ロマンの作家たちの中でも異才を放っていたお方に想う。言葉あそびをユニークな調子で重ねてゆく。数学者でもあるレイモン・クノーならではの前衛的文学遊戯のようでもある。英国のルイス・キャロルにも数学的な言葉あそびの感覚があるけれど、「言葉」というものに徹底して向かい合う姿勢は凄まじく、小説という骨格を根底から覆すかのような功績は大きい。

詩は言葉で作るものだ」とステファヌ・マラルメは云った。それは重要なことだと想ってやまない。そこで、詩人でもあるレイモン・クノーが『地下鉄のザジ』を発表直後の、マルグリット・デュラスとの対談より。

デュラス:どういうご意見か(小説について)お聞かせいただけますか?
クノー:小説は、いってみればソネットのようなものです。もっとはるかに複雑なものであるとすらいえましょう。

デュラス:当今の作家は早く書き過ぎるとお思いになりますか?
クノー:そう。嘆かわしいことです。彼らのために嘆かわしいことです。これは不幸にも暇がありすぎる作家たちの病いです。暇を有益に使うことは、ご承知のように、たいへんむずかしいことです。だから、皆んなは働き、書きまくります。自分の時間をすべて自由に使えて、しっかり腰のすわった、本物の作品をつくり出せる作家はごく稀にしかいません。なんだか自分のことを弁解しているみたいですが。だって、私は一つの小説(『地下鉄のザジ』)を書くのに六年もかかったのですから。

書くことは苦渋であるとも語っているレイモン・クノーは、それでも言葉に拘り時間をかけて作りあげてゆく。この風変わりな作家の小説観が窺え、それもこれまた大好きなマルグリット・デュラスとの対話によるものであることに、私の心は微笑んだようです。
●この二つの絵はジャック・カルルマンによる挿絵です♪

# by claranomori | 2012-01-17 18:29 | 文学と映画★文芸・史劇 | Trackback | Comments(0)
『ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女』 監督:フィリップ・カウフマン 原作:アナイス・ニン (1990年)
前述のアナイス・ニン繋がりですが、アナイス・ニンなる女性作家の存在を知るきっかけは、フィリップ・カウフマン監督の1990年映画『ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女』なのです。80年代の同時代性としての英国映画は美しき男優が続々登場する時期でした。そんな中にダニエル・デイ=ルイスも居られ、ミラン・クンデラ原作の映画化『存在の耐えられない軽さ』(1988年)を観ることでフィリップ・カウフマン監督の名を知りました。この映画も好きなのですが、続いて公開された作品が『ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女』で感動作という程ではないのですが女性二人と男性一人という関係、お衣装などの美しさは印象強く残ったものです。けれど、私としてはジューン・ミラー役のまだ20歳頃のお若き日のユマ・サーマンとアナイス・ニン役のマリア・デ・メディロスを鑑賞する映画であったようにも想います。ヘンリー・ミラー作品は熱心には読んでいないのですが、クロード・シャブロル監督の『クリシーの静かな日々』(1990年)など、映画を通じての親しみ方を多少している程度です。何故だか奥様のジューン・ミラーへの興味の方が強いのは今もまだ変わりません。
●ジューン・ミラーを演じるユマ・サーマン♪
●実在のジューン・ミラー♪

公開当時の映画雑誌だったと想うのですが、ユマ・サーマンのインタビューで、このジューン・ミラーを演じることの困難さを語っていました。それでも降りることなく演じられたのはロバート・デ・ニーロの助言があったこと、劇中のヌード場面は他の女性の代役であると語っていたことも、この映画と同時に甦る記憶でもあります。

ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女/HENRY & JUNE
1990年・アメリカ映画
監督:フィリップ・カウフマン 製作:ピーター・カウフマン
原作:アナイス・ニン
『ヘンリー&ジューン』 『アナイス・ニンの日記 1931-1934』
脚本:フィリップ・カウフマン、ローズ・カウフマン
撮影:フィリップ・ルースロ 音楽:ジャン・ピエール・ルー
出演:マリア・デ・メディロス、フレッド・ウォード、ユマ・サーマン、ケヴィン・スペイシー、ジャン=フィリップ・エコフェ、リチャード・E・グラント、フアン・ルイス・ブニュエル、フェオドール・アトキン、モーリス・エスカルゴ
●ヘンリー・ミラー役のフレッド・ウォードと
アナイス・ニン役のマリア・デ・メディロス♪

★アナイス・ニンの『ヘンリー&ジューン』及び『アナイス・ニンの日記 1931-1934』を基に、彼女と無名時代の作家ヘンリー・ミラー、そして彼の妻ジューン・ミラーとの妖しい三角関係を官能的に描いたもの。舞台は1931年のパリ。銀行家ヒューゴーの妻アナイス・ニンは、無名の作家ヘンリー・ミラーと出会う。二人は互いに惹かれ合うが、アナイスはその後ニューヨークからやって来たヘンリーの妻ジューンにも強く惹かれてゆく。そうした妄想と現実の体験が次第に文学的資質を開花させてゆくことになる。やがて、ヘンリー・ミラーの『北回帰線』が発表され、再びヘンリーのもとを訪れたジューンにも愛を告白するアナイスだがジューンは二人の関係を知り傷つき去ってゆく...。大まかなあらすじはこんな感じです。

ユマ・サーマンがとても好きなので、もう少し出演シーンを望んでいたことも想い出します。ユマ・サーマン出演作は今も可能な限り追っています。ユマ・サーマン、マリア・デ・メディロス共にクエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』(1994年)にも出演。マリア・デ・メディロスも最近は母親役も多くなっており、最も新しく鑑賞したものはジャン=ピエール・アメリス監督の『デルフィーヌの場合』(1998年)以来の『ベティの小さな秘密』(2006年)です。フレッド・ウォードだとメリル・ストリープの夫役の『誤診』(1997年)とロバート・アルトマン監督の『ショート・カッツ』(1994年)が印象強く残っています。映画はやはり大好きなので、まだまだ好きな映画の感想等を気長に綴って行こうと想います。

# by Claranomori | 2012-01-16 11:28 | 文学と映画★文芸・史劇 | Trackback | Comments(2)
『小鳥たち』 作:アナイス・ニン 訳:矢川澄子 まえがき訳:小池一子 公刊(1979年)
★『小鳥たち』はアナイス・ニンの死後、1979年に公刊された作品で、日本では『リトル・バード』(訳:杉崎和子)として富士見書房から1982年に刊行。私が読んだものは新潮社から2003年に刊行されたもの。私はアナイス・ニンの作品というよりも、アナイス・ニンという女性の生涯に興味を抱いているように想います。矢川澄子さんがとても好きなことと、この御本の『小鳥たち』というタイトルに惹かれて購入したものでした。内容は13篇からなるエロチカ。それもどれも切ない。この『小鳥たち』のどの短篇が好きかと尋ねられたなら、どれもあまり好きではない、と答えるでしょう。けれど、アナイス・ニンによる「まえがき」と、矢川澄子の「訳者解説」は大好きなのだ、とも。

貧窮のあまり現金収入をもとめる一群の作家がいて、彼らがエロティックなことに全力を投入したとしたらどうなるだろうか。彼らの生活や世界についての感覚や彼ら自身の作品にどう関わっていくだろう。彼らの性的生活にどんな影響を及ぼすだろうか。

私は、そういった作家グループのなかで懺悔聴問尼(マザー・コンフェッサー)のような役割であった。ニューヨークでは、なにごとも困難を極め、残酷さもいっそう増す。まるで、ジョルジュ・サンドみたいに世話しなければならぬ大勢の人間と問題を抱えていた。

アナイス・ニン 『小鳥たち』 まえがき 訳:小池一子

このような回想から、アナイス・ニン自身も周りの友人たち、恋人たちも絶望的に貧しかったという時代であることが窺われる。

けれどもこうして集められた材料に彼女自身の体験からする深い洞察を重ね合せ、このような典雅で澄明なひびきをもつ短篇に仕立て上げたのは、ひとりアナイス・ニンにのみゆるされた特権であり、彼女の希有の詩人的素質を物語る証拠とみてもよいだろう。

矢川澄子 『小鳥たち』 訳者解説
アナイス・ニン(Anais Nin:1903年2月21日~1977年1月14日)はフランスのヌイイ=シュル=セーヌ生まれの作家。11歳の頃から60年余りの間、綴り続けたという日記。1923年にヒュー・パーカー・ギラーと20歳で結婚。1955年にはルパート・ポールとも結婚。重婚であった。キューバからパリ、そしてニューヨークと移住。アナイス・ニンが1977年に死去するまで、ポールはギラーとニンの結婚を知らずにいたという。

アナイス・ニンは、西欧的・カトリック的な純潔教育の申し子として、内向的かつ閉鎖的な少女時代を過ごしてきた。パリでのヘンリー・ミラーとの邂逅をまって、アナイス・ニンは心身ともにはじめて解放された女性となったという。その後、ニューヨークに戻るも、徹夜で書きお金を稼がなくてはならなかった。匿名で幾つものエロチカ小説を書いた。この『小鳥たち』も大金持ちの老人の楽しみのために書かれたもの。それもお腹ぺこぺこの状態での幻想小説。究極の貧窮など知りもしない私にいったいアナイス・ニンの何が分かるというのだろう。11歳から日記を書き続けた所以とは。「薬と悪」だと云う日記を綴ることで人間の心理を分析すること、研究することで、「詩は不要」と云われても書き続けることが出来たのかもしれない。『小鳥たち』の中の少女たち、女性たちはアナイス・ニンでもあるのだろう。やはり希有なる女性作家である。

# by claranomori | 2012-01-14 18:17 | 往還する女と少女 | Trackback | Comments(0)
『華氏451』  監督:フランソワ・トリュフォー 原作:レイ・ブラッドベリ 『華氏451度』 (1966年)
★フランソワ・トリュフォー監督の1966年作品『華氏451』。トリュフォー映画としては初めての英語圏作品であり、異色作だと想います。初めて観たトリュフォー映画は『黒衣の花嫁』でしたので、最初はこの『華氏451』がトリュフォー監督作品だとは思いませんでした。初見はテレビ放送で、ジュリー・クリスティとオスカー・ヴェルナー共に初めて知った想い出深い映画でもあります。原作がレイ・ブラッドベリの『華氏451度』であることも後に知った程、まだ10代の私にはほとんど資料的なものは皆無でした。けれど、その映像(色彩)に惹きつけられ、また、ジュリー・クリスティが直ぐに好きになりました。再度観返してから感想を書こうかと想いましたが、今の時代に共通するものを何となく感じるので、映画の細部の記憶はおぼろげで、映画とレイ・ブラッドベリの原作が混淆しますが思いつくままに大まかなお話を。
主人公のモンターグ(オスカー・ヴェルナー)と、妻リンダと隣家の少女ソラリス(ジュリー・クリスティの二役)の三人はやはり印象的。近未来という設定ながら私にはSF映画であるけれど其処に留まる描き方ではないように想う。モンターグは書物を読むことを禁じられた世界での焚書官で、消防士であるファイアーマンの任務は書物を発見してはそれらを焼く作業である。華氏451度とは摂氏220度で、紙の自然発火温度のこと。瞑想すること、思考を促す行為を禁じている社会に於いて、読書なるものは当然必要悪であり、犯罪行為である。ゆえに、この焚書官であるモンターグの任務は重大。しかし、本に興味を抱く隣家の少女ソラリスと会うなかで、なにかしら心の動揺が生じてゆくことを感じる。ある密告により老女が自ら本と共に焼身自殺をする。この場面はやはり印象強く残っている。少女ソラリスも事故死し、話し相手を失ったモンターグは書物を読み、思考する喜びを得る。妻のリンダはテレビに夢中で愚かな女性と描かれているが体制に従って生きている人々である。書物愛好家の教授との出会いなどもあるが、モンターグは妻の密告により自分の本を焼く日が訪れた。本を焼いた後、モンターグは逮捕される前に逃亡する。その行き着いた先で、本を暗唱して口伝えにその知識を共有する人々のグループに合流する。戦争が始まり、都市にミサイルが投下される中、ようやくモンターグは新たな使命を感じるのだった。
★レイ・ブラッドベリの『華氏451度』は1953年に発表された。この時代のアメリカはマッカーシー旋風の頃で、その反感からこの『華氏451度』を書くことにもなったという。マスコミによる制御、映画界も標的となり、多くの赤狩りへと発展してゆく頃のこと。情報操作、制御による愚民政策へユーモアを持った反抗として素晴らしい作品だと想う。古くから、ある権力の下に焚書行為は世界中で行われて来た。日本も第二次世界大戦後、GHQによって焚書された書物がある。焼かれる運命の書物を愛好家たちが諳んじ共有する共同体。私がもしもこのブラッドベリが描いた世界に生きているとすればその人々と共に行動したい。その想いは絵空事ではなく、今の日本も一般庶民の手に負えない大きな権力や組織がメディア工作している。近くて遠い国に囲まれた我が国日本の危機意識の薄さを感じながら、政治的イデオロギーとやや距離を置きながら、残された人生、私が私である為にも我が国日本、国家とは何かと考えながら生きてゆきたい。東日本大震災は大きな転機であり、悲劇に終わらせてはならないと想います。日本人の忘れかけていたもの、その尊い文化や美を精一杯心に刻んで生きてゆこうと想っています。ある友人曰く、私は文化保守というのだそうです。しかし、今右派や左派とか云ってる場合ではない問題が山積みの正しく国難状況。日本に限らずアメリカもヨーロッパもアジアも大変な時期ですが、それら各国の優れた文化や歴史は学びの宝庫なので、私なりのバランスで美しきものとの旅路を全うできたら本望に想います。

華氏451/FAHRENHEIT 451
1966年・イギリス/フランス合作映画
監督:フランソワ・トリュフォー
製作:ルイス・M・アレン
原作:レイ・ブラッドベリ 『華氏四五一度』
脚本:フランソワ・トリュフォー、ジャン=ルイ・リシャール
撮影:ニコラス・ローグ プロダクションデザイン:シド・ケイン
衣装デザイン:トニー・ウォルトン 編集:トム・ノーブル 
音楽:バーナード・ハーマン
出演:オスカー・ヴェルナー、ジュリー・クリスティ、シリル・キューザック、アントン・ディフリング、ジェレミー・スペンサー、アレックス・スコット

★追記です。
映像、殊に色が鮮明に焼きついているのですが、撮影は映像の魔術師とも謳われる英国監督ニコラス・ローグでした。ニコラス・ローグ監督と云うとデヴィッド・ボウイ主演の『地球に地球に落ちて来た男』です

# by Claranomori | 2012-01-13 11:24 | 文学と映画★文芸・史劇 | Trackback | Comments(4)
『さよならだけが人生ならば』 と 『だいせんじがけだらなよさ』 詩:寺山修司 歌:カルメン・マキ 1969年
先述の『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』(著:竹内整一)のあとがきでは決定打のような感動でした。私が日本人作家で一等好きな寺山修司の『さよならだけが人生ならば』の詩を引用されていたもので。私も大好きな詩であり、読み進めるなかで寺山修司の「さようなら」に纏わる詩(多いです)が浮かんでもいたからです。唐の詩人、于武陵の『勧酒』と井伏鱒二による訳詩『酒を勧む』が元となるものであること、その微妙な言葉による違いで意味合いも異なることに触れています。

勧 君 金 屈 巵
満 酌 不 須 辞
花 発 多 風 雨
人 生 足 別 離 
 
君に勧む 金屈卮
満酌 辞するを須いず
花発いて 風雨多し
人生 別離足る

于武陵 『勧酒』

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二 『勧酒(酒を勧む)』

人生 別離足る」を井伏鱒二は「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」と訳され名文として知られているけれど、実は「さよならが多い人生だ」ということと解釈すれば、「人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かどうかが決まる」と云った阿久悠の言葉に繋がる。「さようなら」とはなんとも美しい日本語であると再確認できる。「さようなら」或いは「さらば」とは、本来「さようであるならば」であり「然あれば」であるという。この長きに渡って何気なく使っている言葉がこんなにも深く重い意味を持つのです。日本人の精神や死生観、または武士道にまで繋がるように想います。運命を受け入れる、覚悟や潔さでもあり、これは決して諦めではない。ゆえに「さようであるならば」なのである。この日本語ならではの言葉の微妙さ、あわいはやはり「美」である。

そして、この「さよならだけが人生だ」という言葉を寺山修司はある意味人生訓のように問うことになったのだと想う。『さよならだけが人生ならば』は、井伏鱒二の訳詩へのアンサーソングのようなものとも少し違う。何故なら、カルメン・マキに『だいせんじがけだらなよさ』という詩も贈っている。さかさまに読むと「さよならだけが人生だ」となるのです。寺山修司は、いったいどれくらいこの言葉を読んだのだろう。こうした作業は問いとなり(問いが作業となり)、「さようなら」というお別れの言葉が死と結びつく時、その限りではなく、「さようなら」の後にも人の心の中で生きてゆくことに出合う。私的な想いながら、愛する両親の死からそろそろ20年という歳月の今、私のような情けない人間は父と母を弔い続けるなかで自分に問い続けるのだろう。これからさらに歳を重ね、「人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かどうかが決まる」という言葉の意味が、もっともっと沁み入るのだろう。やはり言葉は詩であります。

さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに咲いている野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが人生ならば 人生なんか いりません。

寺山修司 『さよならだけが人生ならば』

さみしくなると言ってみる ひとりぼっちのおまじない
わかれた人の思い出を わすれるためのおまじない
だいせんじがけだらなよさ だいせんじがけだらなよさ

さかさに読むとあの人が おしえてくれた歌になる
さよならだけがじんせいだ
さよならだけがじんせいだ

寺山修司 『だいせんじがけだらなよさ』



★寺山修司の詩を歌うカルメン・マキの『だいせんじがけだらなよさ』(1969年)です♪


# by Claranomori | 2012-01-12 11:46 | 愛の花束・日本の抒情 | Trackback | Comments(3)
『ぼくのさよなら史』 作:阿久悠 ★ 『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』 作:竹内整一 より
★『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』という竹内整一氏による著書(ちくま新書)を昨年読み、たいそう感動いたしました。引用されている作家の言葉や作品に好きなものが多いのも嬉しく感じながら、またまったく知らない作家の言葉にも考えさせられ、やはり新書好きもやめられないと想いました。覚え書きとして留めておきたい箇所を幾つか。

先ず、「はじめに」という序文から一気に惹きつけられたのですが、それは昭和の歌謡曲史に多大なる功績を残してくださった作詞家、作家の阿久悠氏の言葉を引用されていた、その言葉が私の心に強く響いたのです。

「さよならは有能で雄弁な教師であった」
「人間はたぶん、さよなら史がどれくらいぶ厚いかによって、いい人生かどうかが決まる」


生活の中で、もう少し大仰にいって人生の中で、別れということに無自覚なら、感性をヒリヒリ磨くことも、感傷をジワッと広げることも、それに耐えることも出来ない。

人間の心というのは、いつも少し湿りけを帯びていなければならないのに、カラカラに乾かしていては味気ない。心に噴霧器で水分を与えるには、切なさや、哀しさや、寂しさの自覚が不可欠である。(中略)人の心にはさよならによって湿りが加わるのである。

阿久悠 『ぼくのさよなら史』 より

この阿久悠氏の言葉は、「さよなら」が孕んでいる重い意味を語っているものであり、同時に、時代に対する危機認識が阿久悠氏の根底にあり、なぜ「さよなら」を云わなくなったのか、それは「別れ」を自覚することもなくなったという現代人の悲劇を問うているようです。

そして、著者の竹内整一氏は、『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』、なぜ、日本人は別れに際して「さようなら」と云ってきたのかと考察してゆくのです。私は今でも「さようなら」と会話の中で使っていることにも気づきました。「バイバイ」と気楽に別れのことばにすることもあれば、「それではまた」とかメール等では使うことも。けれど、子供の頃から、日常会話の中、学校の中で、例えば「先生、さようなら」とまた明日お会いするけれど、今日のお別れのご挨拶として何の抵抗もなく自然と云ってきた。でも、私の感覚は大いにして世間とズレていることも多々あるので、阿久悠氏の嘆きの如く、いつの間にか次第に「さようなら」は死語へと進んでいるのだろうか。そうであるならば、やはり寂しい。この阿久悠氏の『ぼくのさよなら史』は晩年に、『ミセス』に掲載されたコラム、エッセイのようです。私は阿久悠著作をまだ3冊しか読んだことがなく、この『ぼくのさよなら史』が後に、エッセイ集として纏められた作品が刊行されているのかも知らないので、ご存知のお方が居られましたら教えて頂きたいです。

★子供の頃から、「この曲の歌詞が好きだなあ」と想うと、その作詞家は阿久悠(1937年2月7日~2007年8月1日)であることが多かった。そんな私の幼き頃の阿久悠作詞の曲と云うと、桜田淳子であり沢田研二だと想う。永遠のアイドルである郷ひろみの阿久悠作詞の曲なら『いつも心に太陽を』が好き。でも郷ひろみは岩谷時子や阿木燿子の作詞曲に好きな曲が多いです。また、阿久悠氏は小説も書かれており、『瀬戸内少年野球団』は篠田正浩監督により映画化もされました。お美しい夏目雅子さんが主演の中井駒子を演じており、その夫の傷痍軍人、中井正夫役は郷ひろみで片足が不自由な役でした。郷ひろみは凛たる軍人役を他の作品でも演じており、それらの姿はやはり毅然たる軍人の美の姿として脳裡に焼きついています。死にゆく役ばかりだったと想います。そうしたことも、この御本を読みながら少女の頃の記憶や想いが色々と蘇り繋がり合い、今も考えています。次ももう少し、この『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』のことを続けたいと想います。

# by claranomori | 2012-01-11 00:49 | 愛の花束・日本の抒情 | Trackback | Comments(0)
『好きなもの』 詩:アルベール・サマン 『読書をする少女』 絵:ピエール=オーギュスト・ルノワール

わたしのとても好きなものは、おぼろげなもの、ほのかな音と色、
すべてうちふるえ、波打ち、おののき、玉虫色に光るもの、
髪の毛と眼ざし、水、木の葉、薄絹、
ほっそりとしたものの生けるごときたたずまい。

詩:アルベール・サマン 『好きなもの』より 訳:内藤濯

★19世紀フランスの詩人、アルベール・サマン(Albert Samain:1858年4月3日~1900年8月18日)の詩です。この詩を読んでから随分年月が経ちましたが、今もやはり共鳴する私です。絵は、アルベール・サマンと同じ時代のフランスを生きた、印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの1886年の名画『読書をする少女』を何となく一緒に並べさせて頂きました。印象派、19世紀末、フランス、淡くほのかな音と色...私の好きなものでもありますので、心が安堵します。

# by claranomori | 2012-01-05 23:48 | 19世紀★憂愁のロマンと美 | Trackback | Comments(4)
迎春 ★ 中原淳一 『雪の音』 (1949年) 憂愁の少女たちを想って
★迎春!謹賀新年!新たな年を迎えました。年の瀬に不穏な出来事も起こる中、時間だけは流れてゆき2012年を迎えました。久しぶりに実家で大きくなった甥たちと元日を過ごしました。彼らの成長、彼らの笑顔が今の私の心に平穏を与えてくれるものの一つとして感謝しています。神社にお参りにゆき、おみくじは末吉でした。自ら何かしようとはせず、今の職を守り、家の中で勉強しなさい。という内容のお言葉が記されており、私の気持ちもそんな感じでしたので嬉しい想いでした。それにしても、こんなに沈鬱な気分の新年は父の死、母の死の間にお正月があったあの年以来のようです。今日は故郷に帰省されていた方々のUターンのピークの日だとのこと。浮かれた気分で新年を迎えることができないのですが、被災地で過ごされている少年少女たちの笑顔と希望を想像したいです。

戦後の傷痕の残る日本を想うことが好きです。中原淳一というお方の描かれた愛らしき少女たちの絵に託されたお気持ちを想像したりもします。新年最初の記事は久しぶりに大好きな日本の抒情画を掲載させて頂きたいと想います。中原淳一氏の『雪の音』という1949年の絵で、『ひまわり』1月号に掲載された作品です。1949年は昭和24年ですが、この『ひまわり』1月号ということはひまわり社の編集作業等は昨年末から進められ刊行された号でしょうね。その1948年末には東京裁判もあり、まだまだ日本はGHQ支配による状況下。そんな時代に生きていた少女たちを想う。資質による違いは大きなものでしょうし、少年少女と云えどもやはり年齢や環境によっても一人一人違って当然。この中原淳一氏による『雪の音』の愛らしい少女の表情にもやはり憂いを感じますが美しい少女画だと想います。大正時代の抒情画の流れを汲みながらも、これからの少女たちへの心の解放、光を与えようとする中原淳一氏のお気持ち、戦中戦後の日本を生きた少年少女たちは私の両親の少年少女時代でもあるので、そんな人々を想像する中でさえ、無言の言葉からの学びも多いです。

この『ひまわり』の「読者文芸欄」に寄稿されていた寄稿少女の中には、皇后陛下である美智子妃殿下のお名前もあったのだそうです。今年新年の天皇陛下の祝賀のお言葉を胸に、日本の国民一人一人が力を合せて良き年になるようにと願い祈ります。北朝鮮が日本の弔問等について非難したというニュースが今日ありました。言葉が出ないような気分になりました。野田首相の発言によるとこの春にも解散、総選挙がありそうな気配にもなり、問題山積みでいったいどうなるのだろうと不安だらけですが、一つずつ乗り越えてゆかなけばならない。それには一人一人の気持ちの結びつきが大切だと想います。寄り添うこと、日本がバラバラになってはいけない。難しい思想は分かりませんが、右も左も、日本で生きる人々はもっと寄り添い合うことで...「絆」という言葉もまた尊い日本語だと想います。

★こんな調子ではございますが、今年もどうぞ宜しくお願いいたします!

# by claranomori | 2012-01-03 23:38 | 愛の花束・日本の抒情 | Trackback | Comments(4)
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